晴・曇・雷雨・晴・・・空は、目まぐるしく色を変える。
このところ、終日(・・・というわけでも、ないけれど)、身体を横にしている。
普通の会社員は、年末・年始、4月末から5月初旬にかけての所謂、大型連休、8月半ばの夏季休業といったあたりが、まとまった休暇の取れる時期だろう。
夜中から、明け方にかけて、眠くなるまで本を読み、昼過ぎに起きて、好きな食事を作り、昼酒など嗜み、午睡を経て、食事をして、また明け方まで、読書をする・・・これは、もう至福としか言いようのない幸福感だ。
何しろ、決まった時間に起きなくていいし、退屈で、ツマラナイ・・・カネになる仕事は、しなくてもいいし、気儘な猫のような暮らしが、年に3回程、出来る訳だ。
年3回は、少ないかもしれないけれど、生活するには、『カネ』がいるから仕方がない。
その『カネ』を捻出するのが、生きる事(ツマラナイ仕事をすること)なのだ。
ツマラナイ仕事だから、会社も『カネ』を払って、代わりにやって貰う訳で・・・楽しい仕事なら、『カネ』なんかもらわなくても、自分でやるだろうから・・・。
・・・それでも、そんな『ツマラナイ仕事』でさえ、喪失の危機に立ったのが、2008年で、その後、2009年は、もう公私ともに、生きていても仕方がないのではないか・・・と思えるくらいの精神的に追い詰められた時期があった。
そのときは、好きな読書をしていても、右から左へ流れていくだけで、ただ、目で、活字を追っているに過ぎず、それでも、活字から離れることができなかった。
全く、不毛な読書をしていた時期でもあった。
物語を必要とするのは、不幸な人間だ。幸福な人間に、物語は、要らない。
(皆川博子『薔薇密室』)
それを踏まえて、耐えられない程、不幸な人間にも、物語は、要らない・・・と付け加えておこうか。
物語を必要としない程の不幸・・・。
それは、物語を読んでいても、目の前にある苦痛(精神的な・・・或いは身体的な)から、逃れられない不幸である。
・・その不幸を打ち破るほど、没入できる作品に、出会えるか否か・・・。
物語も出会いモノであろう。
運命が与えてくれるものなのだろうと思ったりする(また・・・大袈裟な・・・)。
このところ、終日(・・・というわけでも、ないけれど)、身体を横にしている。
普通の会社員は、年末・年始、4月末から5月初旬にかけての所謂、大型連休、8月半ばの夏季休業といったあたりが、まとまった休暇の取れる時期だろう。
夜中から、明け方にかけて、眠くなるまで本を読み、昼過ぎに起きて、好きな食事を作り、昼酒など嗜み、午睡を経て、食事をして、また明け方まで、読書をする・・・これは、もう至福としか言いようのない幸福感だ。
何しろ、決まった時間に起きなくていいし、退屈で、ツマラナイ・・・カネになる仕事は、しなくてもいいし、気儘な猫のような暮らしが、年に3回程、出来る訳だ。
年3回は、少ないかもしれないけれど、生活するには、『カネ』がいるから仕方がない。
その『カネ』を捻出するのが、生きる事(ツマラナイ仕事をすること)なのだ。
ツマラナイ仕事だから、会社も『カネ』を払って、代わりにやって貰う訳で・・・楽しい仕事なら、『カネ』なんかもらわなくても、自分でやるだろうから・・・。
・・・それでも、そんな『ツマラナイ仕事』でさえ、喪失の危機に立ったのが、2008年で、その後、2009年は、もう公私ともに、生きていても仕方がないのではないか・・・と思えるくらいの精神的に追い詰められた時期があった。
そのときは、好きな読書をしていても、右から左へ流れていくだけで、ただ、目で、活字を追っているに過ぎず、それでも、活字から離れることができなかった。
全く、不毛な読書をしていた時期でもあった。
物語を必要とするのは、不幸な人間だ。幸福な人間に、物語は、要らない。
(皆川博子『薔薇密室』)
それを踏まえて、耐えられない程、不幸な人間にも、物語は、要らない・・・と付け加えておこうか。
物語を必要としない程の不幸・・・。
それは、物語を読んでいても、目の前にある苦痛(精神的な・・・或いは身体的な)から、逃れられない不幸である。
・・その不幸を打ち破るほど、没入できる作品に、出会えるか否か・・・。
物語も出会いモノであろう。
運命が与えてくれるものなのだろうと思ったりする(また・・・大袈裟な・・・)。