鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

獄舎に繋がれた囚人達

2012-11-08 22:31:31 | Weblog
穏やかな晴れ。


この世に生まれてくるひとで、自由なひとなんて、ひとりもいない(・・・はずである)。

生れると、まず、時間という檻の中に収監される。
この檻は、1秒1秒と確実に死に至らしめるのだけれど、存外、気にならないものだし、意識しないかぎりは、時間を檻だとは、思うまい。

そして、与えられた身体。
これも、けして、自分の自由にはならない。
その証拠に、髪の毛1本でも、思った通り、生やせるかっていうと、そんなことは、できない。
だから、育毛剤が売れるのだろう・・・。
病気による苦痛なんかもセットでついてくるのだから、たまらない。

コレは、逃れようと思えば、逃れられないこともないのだけれど。
でも、この檻に捕まることを最初は、だいたい祈るのだ。
配偶者。
家族を養うためだけに、働いている人も多かろう。
真面目で、不正のできない会社員などは、たぶん、この家族という足枷に繋がれて、心を殺して、会社という(・・・コレは、人によっては、わりかし快適な檻でもある)檻の中で、それ程、やりたくない仕事に従事する。
やりたい仕事についているひとは、別だけれど。
ソコは、檻ではなく、パラダイス・・・だったりするかも。  

永遠に続くようにみえる家族の平和も、やはり、いつしか、目には、見えない速度(或いは、目にもとまらぬ早さ)で、崩壊したりする。
再生したり、崩壊したり、しながら、家族は、やがて、お互いを嫌って、断絶し、離れていく。
早く死んでくれないだろうか・・・と・・・願っているひとだって、少なくはないはずである。

お金もたぶん、そうだろう。
物欲は、満たされることはなく、次から次へと欲しくなる。
何も持っていなかった時代もあったのだろうに・・・。
物欲に縛られ、支配され、やがて、罪を犯して、現実の牢獄に入るひともいる。

ひとは、最初から、足枷をつけて、この世に生まれ、生きて・・・そして、死んだときに、初めて自由になったりするのかもしれない。もしかすると、死んだあとにも、なんらかの縛りがあるのかも?

生きとし生けるもの全ては、囚人である。

Lowすぎる血圧

2012-11-07 22:52:18 | Weblog
おだやかな晴天。


帰宅してみたら、家人が血圧を測っていた。

手首に巻きつけて、量れる簡易な血圧計で、簡単に計測できるスグレモノだが、最近は、指でも計れる超小型のモノもあるようだ・・・なんてことは、数年前のブログに、既に書いているけれど。

血圧なんて、半年前の会社の健康診断で、計ったきりだったよなぁ・・・。

・・・で、ついでに、私も計測してみる。

エアーが手首を締め付ける感じだ。

78-54・・・脈拍60

ありゃありゃ・・・最高血圧80Hmg切ってるじゃないですか・・・。

ますます、下がる傾向だわな。

家人曰く。

『この血圧計もそろそろ寿命かもしれない。でも、ワタシが計ると、上は、150超えるんだわ。』

『も、いっぺん、計ってみよか・・・。』

74-49・・・???

ははは・・・。よく生きてるね・・・っていうか、コレって・・・。計測の仕方が悪いんじゃないの?

でも、この値は、わりと普通なのであった。
以前の入院時、毎朝の血圧測定でも、こんなものだったからな・・・。

所謂・・・(たぶん・・・)本態性低血圧ってヤツでして・・・。

この血圧で、毎朝、起床し、一応、ちゃんと会社員やってるってことは、私、最大限の努力でございます・・・この上、何を頑張れば、よいのでしょうか・・・???

・・・などと、一応、自分を評価してみるけれど。
でもな・・・ホントに朝は、辛いんですよ。まるで、地獄・・・とほほ・・・。


『旅人の樹:今市子・著』~ウダン皇太子に惚れた・・・。

2012-11-06 22:53:04 | Weblog
終日雨・・・。雨、雨、雨。


皇太子に惚れたシリーズ?第二弾(第一弾は、拙ブログ2011年5月8日:『悪趣味な美学:名香智子・著』~リオン皇太子に惚れた・・・をご参照下さい)

ウダン皇太子とは、何者かについては、表題の『旅人の樹』に、たった15ページしか登場しない
皇太子なのだ。
・・・しかも、殺しても死なない『鬼人』という設定。

このウダン皇太子は、トカゲの姿になったり、なかなか可愛いのだ。

『・・・ねえ、おばさま。なんで私は、人から好かれないのでしょうね。いつも素直に本当のことを口にだしているだけなのに。』

皇太子自ら、翠湖の統治者・東の巫女に問う。

アホを装っているだけで、本質は、全く違う。
チャラチャラしているように見えて、本質を見極め、知識もあって、自由な発想の持ち主なのだ・・・と思う・・・(違うかもしれないけれど・・・)。

そして、なかなか、美男なのであった?

この皇太子の問いを受ける翠湖の巫女を『おばさま』と呼ぶところをみると、縁戚関係にあるのかもしれない。
この翠湖の巫女は、物語の初期の『岸辺の唄』で、登場する老女である。
この水辺の物語の基幹となっている人物のひとりだ。

今市子さんは、ゲイの美青年だとか、妖怪物(或いは、民俗学)などを主体に書いていらっしゃるけれど、美中年・美老人も得意中の得意で、なんで、老人をこんなに綺麗に描けるのか、いつも不思議に思ってしまう。
『百鬼夜行抄』シリーズの飯島怜(蝸牛)は、青年期から老人期まで、一貫して美しいキャラクターだし、彼の息子の飯島開、孫の飯島律は、同じ系統の血の美しさがある。

・・・ウダン皇太子は、かなりチャラ男系だが、私の好きなキャラクターでもある。15ページしか出てこないけれど。

・・・なんてことを書いていたら、最新刊『影法師たちの島』の中の『星の落ちた場所』では、主役を張っておりました・・・そしてなんと・・・ウダン皇太子は、当年とって17歳(ぜってぇ、17歳には見えん・・・)・・・で、32歳の盲目のシルクサルム姫と結婚~~~???なんか・・・スゴイ展開・・・。


残夢

2012-11-05 23:02:56 | Weblog
初冬の曇り空。1日中寒い週明け・・・。


睡眠と夢のことを書いていたら、ふと『残夢』という言葉を思いついた。
実際に、使われている言葉なのだろうか・・・と思いつつ、検索してみると・・・。

ありました。

言葉として、成り立っているようです。

『残夢(ざんむ)』・・・明け方に見る夢 

・・・有明の月(残月)みたいなものですかね?

同音語で、『残務』が、変換されるし、とにかく、残りもの・・・ってことでは、間違いないみたいです。

ザンム・・・なんだか、無残・・・と語感が似ているし、あまり良い意味には、取れないかも・・・と思いつつ。

明け方に見る夢は、逆夢で、夜中に見る夢は、正夢・・・或いは、逆だったかもしれませんが・・・・

私には、先天的に予知能力が備わっていないので、正夢は、みたこともありません。

逆夢の方は、割と多いかも・・・???
良き哉・・・夢と期待してみても、悪かったりもするし。

夢を見ているときは、結構、楽しい。
あのリアルさは、何処から来るのだろう?と思えるほど。
荒唐無稽さは、現実では、想像もつかないし。

いつしか・・・100%・・・夢の中の住人になれたらいいのに・・・。
そう思ってしまうほど、私にとっては、甘やかな世界が展開する。

夢の中に住むひとは、何故か、優しい・・・。



夏のツケを支払う・・・???

2012-11-04 22:57:05 | Weblog
秋晴れ。穏やかな休日。


今年の猛暑は、もう忘却の彼方・・・。
明け方の冷込みで、目がさめるも・・・。

残暑が厳しかった今年。夜中に眠れず、昼間の眠気に閉口した夏だったけれど。

今は、きちんと夜中(深夜1時くらいから・・・)睡眠がとれるようになった。
眠りの質は、相変らず悪くて、ちょっとした物音にも、目が覚めてしまうのだけれど、コレは疲労の度合いにもよるし、疲れ果てているときは、気がつかないこともあるくらい、眠りの質は、よくなってきているように思う。

それなのに、平日は、わりと上手く行っているように思える睡眠なのだけれども、週末も、眠くて仕方がない・・・。
所謂、惰眠ってヤツか・・・。
そのせいか、本が、ほとんど読めず、新刊など、買ったはいいが、梱包も解かず、積読(積んでおく)ままになっている。
夏の疲れと平日の睡眠不足のツケを今払っているような気がする。それも、苦しんだのに、ツケを払わせられるような理不尽さ。

あれ程、楽しみにしていた本も、読まれずに、ほおっておかれているのだった。

・・・暮れになって、長い休暇もあるし、その時にでも・・・と思ってみたりもするのだけれど、コレから先・・・まだまだ、いろいろとありそうである。

今度は、左側の上顎洞の治療があるし(・・・コレは、8月からストップしてしまった・・・身辺の事情と風邪のため、口を開けていられなくて、3回程、診療をキャンセルしてしまっている)、また、いろいろと痛い思いもしなければならないと思うと、読書どころではないようだ。

・・・ここ数年、全く、落ち着くことを許されないような日々だ。
(他のひとにとっては些細なことだけれど)心配事や、不安など、自分では、どうしようもない。

それが、眠りにも反映して、よく眠れないのだった。

明日を思い煩うことなかれ・・・、明日は明日の重荷を背負おう・・・と思えればいいのだけれど・・・。

夏のツケをイヤイヤ払う・・・初冬も近づく秋の休日。

真珠夜話④~憧れの・・・。 

2012-11-03 22:43:42 | Weblog
明け方、冷え込む。


季節は、もう少し先になるけれど、初冬の天草を旅したことがあった。
そのとき、初めて、航空機を利用しての旅で、南国・鹿児島を起点に、熊本までを北上しながら、縦断する旅でもあった。

最終地の熊本県・天草。

そこで、真珠の養殖と加工を行うパール・センターというところを訪ねた。

真珠の選別を行い、連を組む仕事場を見せていただいたのだれど、天草の海に面した作業場は、全面ガラス張りで、自然光の中で、真珠を選別するということだった。

眼下に広がる海・・・。

こういうところで、仕事が出来たらいいなぁ・・・と思った。
もちろん、このお仕事も、私などには、想像すらできない、いろいろなご苦労も多いと思う。

それでも・・・。
美しい真珠に毎日ふれることが出来て、しかも、海と自然光の中でのお仕事なのだ。

・・・なんで、ここに生まれなかったんだろうね・・・?
ここに就職したかったなぁ・・・と、本気で、思ったのだった。

私ときたら、自分の就職先さえ、満足に探せず、惰性で、設計会社で、イヤイヤ働いていた時期(・・・というより、今でも、イヤイヤ働いているのだけれど)だったので、ついつい、妄想してしまったのだった。

その後、事あるごとに、真珠の選別だとか、連組をしたいなぁ・・・と思ったりしたのだけれど、海には縁のない土地だし、真珠も手の届かない・・・(或いは必要としない)モノだったし、あれから、十数年経ってから、やっと、自分の稼ぎの中から、安物の真珠をいくつか購入することができるようになった。

・・・今でも、チャンスがあれば、真珠を扱う仕事がしたいと思っている。
思っているが・・・しかし・・・目を使う繊細なお仕事だし、私に勤まるとは、どうしても思えない。

来世は、海に面した土地に生まれて、真珠に触れる仕事がしてみたい・・・と思うのは、今、月次決算中で、今の仕事から逃げ出したいから・・・かもしれない。


自分の言語を持てない人間

2012-11-02 22:45:00 | Weblog
北風の吹く寒い一日。


11月は、寒さが、本格的に降りてくるような上旬。
下旬に近づくにつれて、落日も加速度がついて、冬の眠りももうそこまで。

・・・やっぱ。
下手クソな書き出しだな・・・と思う。
私は、自分の言語が持てない人間のようで、ブログなど書いていても、恥さらしな文章を、臆面もなく書き殴って・・・何かの検索ワードにヒットした方々に、とんでもない時間の浪費をさせている・・・そんな気もしている(読む気もないのに、読まされてしまった方、ごめんなさい)。

事実、或る方から、間接的に
『他人の言っていることの引用』だとか、『オリジナリティーがない』ないのなど・・・本人も自覚している欠点の御指摘も多々あったりする。

・・・私は、自分の言語を持てない人間なのだと思う。
先天的に欠落しているから、オリジナリティーなどは、微塵もないし、古今東西・・・あらゆる文献を漁ってみても・・・たぶん、他のひとが、既に、言っている意見なのかもしれない。

・・・それにつけても。
独自性・・・っていうもの、これまで、この世の中には、無かったものを生み出す力というのは、先天的にどれくらいの人間に与えられているのだろうか?

天啓、啓示・・・たぶん、人の世界の外側(・・・或いは、創造の神からの受ける内側の世界なのか?)だとか、そんな人智の及ばないところから、或る日、突然、何の理由もなく、降りてくるものを受け取れる才能のあるひとだけが、知る喜び(・・・或いは、苦痛)なのかもしれない。

・・・たかだか・・・
ブログの1ページで、大袈裟な・・・と思われるかもしれない。

・・・それでも・・・。
文章(或いは、文学)に限らず、美術、音楽・・・と言った芸術系のインスピレーション。
そういう何処から来るともなく、やってくるインスピレーションというもの・・・一度でいいから、受けてみたい気がする。

まあ・・・無理かもしれない。

こんな文章書いているうちは・・・。


振り出しに戻る

2012-11-01 22:45:12 | Weblog
良く晴れて、寒い一日。


このところ、何かにつけて、振り出しに戻る・・・という現象を意識している。

ふりだし・・・双六(スゴロク)のスタートライン。
ゴールに着くまで、山あり谷あり、休憩もあれば、出し抜かれることもある。

人生・・・まさに、双六。
ボードゲームで、『人生ゲーム』というのがあったけれど、コレもなかなか面白いゲームだったけどね。
でも、それよりも、過酷なのは、実際に生きて、人生をゲームの如く、しかも、こちらは、リセットがきかない。

ゴール直前で、運命のサイコロを振っても、思うように出ない目数。

二歩進んで二歩下がる・・・くらいだったら、まだしも、いきなり、振出に戻る・・・そんな目がでることもあるだろう。
徒労と思われることが、ほとんどだ。

ただし・・・人生双六の凄いところは、たとえ、振出に戻ってみても、これまでの知識や経験を得てからの、再スタートだから、以前ほど、その行程は、辛くないということだろうか?
同じ道を行くにしても、前回の行程よりは、ずっと、早く到着したりする。

だから、運命のサイコロが、振出に戻るという目を出しても、たぶん、それは、或る意味、チャンスという可能性だって、あると思うのだった。
・・・しかし、逆に、以前よりも、苦難と思うこともあるかもしれない。
体力や気力がついていかなかったり、精神的・身体的に深いダメージがあったり・・・ということもあるから。

どっちにしろ、振出に戻るというのは、発見なのではないかと思ったりする。

ポジティヴとネガティヴ・・・陰と陽、裏と表、幸福と不幸、幸運と不運・・・吉凶は、あざなえる縄の如し。

気が付かず、迂闊にも通り過ぎてしまっただけの事象。
深く考えることもなかった大事なこと・・・。

それを再認識させるのが・・・たぶん、振出に戻る・・・ってことなのだろうと思ってみたりする。
そして、現在、ここにいる自分は、最初の振出以前の自分自身とは、明らかに違っている。