鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

今年も・・・蛍狩り

2015-06-15 06:52:24 | Weblog

昨日(14日)は、早朝(4時頃)から、遠雷の音がして、時折、ザーっと音を立てて、シャワーのような雨が降っていた。

夕方から、蛍狩りに行く予定だったので、これは、延期だろうか・・・と思いながら、土曜日よりも、幾分涼しく、凌ぎ易い日曜日を迎えた。

去年の7月。
那須塩原へ、蛍狩りに出かけて、今年もまた蛍がみたい・・・と、相方に希望を述べた。

関東地方では、6月が蛍のピークで、7月になると、山間部か、東北地方などが見頃となるようだった。
今年もそろそろ蛍のシーズン到来である。
来月もまた那須塩原に行く計画を立てていた矢先であった。

そんなことを言っていたら、相方が、我が居住地より、1時間前後で到達できるであろう県西の山里で『ホタルまつり』なるイヴェントが行われるらしい・・・という情報を掴んできた。

情報の根拠は、相方の会社の取引先の会社に面する国道の看板であった。
看板というよりは、手作りの案内板と言った方が正しい。

『・・・という訳で、今年の蛍狩り第一弾は、ココにいきましょう。ホタルまつり。13日と14日の二日間の開
催なので、14日の日曜日ね。』

一応、『ホタルまつり』のイヴェント元である町立のHPで情報を確認するも、コレといって情報らしい情報もなく、ただまつりの開催期間と地図、屋台の出店と、公民館で、蕎麦が食べられる・・・ということだけだった。

17時に待ち合わせをして、ホタルまつり会場へ。

国道沿いに、『ホタルまつり』と書かれた看板があって、その看板を曲がると、狭い道なりに田んぼがあって、町のオジさんたちが、駐車場へ車の誘導をしている。
10台前後の既に車が止まっていた。
その先は、車両進入禁止となっている。

蛍狩りの会場らしき、小さな川の向こうには、焼きそば、鮎の塩焼き、焼き団子、カキ氷などの屋台が出店していて、売り子は、中学生とおぼしき少年少女、その保護者・・・。
オカリナの演奏会。
もしかすると・・・コレは、『ホタルまつり』と銘打った町内会のお祭りなのでは・・・?

公民館で、地産の蕎麦粉で打った蕎麦を頂く。
蕎麦を運んでくれたのは、小学生の男のコだった。
蕎麦をゆでているのは、地元のお母さん、おばあさんといった町内会の人たちのようである。

地元のひとに、聞いてみると、蛍は、20時くらいに飛び始める・・・ということであった。

夏至前のこの時期。なかなか暗くならない。
まだ19時にもならない時間帯。
『ホタルまつり』の行われている公民館、屋台の周辺を散策する。

なかなか暮れない薄暮の中をゆるゆると歩く。

一回りして、今度は、蛍の棲息する小さな川周辺を歩くことにする。

見た感じ・・・それ程、綺麗な川とは、思えないけれど、本当に蛍は、いるのだろうか・・・。

川の両側に細い道があって、花々が咲き乱れ、民家、田圃、畑が続く。

暫く、外出していなかったので、歩き疲れた。

上流の小さな橋の上で、あたりが暗くなるのを待つ。
次々とヒトが増えてきた。

20時少し前、川の橋に、ひとつぽっちりと閃光が見える。

『一番蛍ですね。』

それ一匹以外は、見当たらない。

暫くして、ふたつ、みっつと光始めたのが、やはり20時を過ぎてから。

上流から、下流に戻りながら、それでも、ところどころ、小さいけれど、強い光を放つ蛍が確認できた。


川面を飛ぶ蛍の光。

水面に映る蛍の幽玄な光。


この川沿いに住む民家の方の話だと、今年は、5月が暑かったので、蛍の孵化が早くて、ピークは、10日前だった・・・と開催関係者が、話しているのが、聞こえてきた。




『低』な体質②

2015-06-13 22:52:07 | Weblog

蒸し暑い夏日。

久しぶりに深夜(午前2時前後)に眠って、二時間半後の午前4時半に目を覚ました。
晴れる予報だから、洗濯をして、まだ霧のかかっている外を眺めながら、ベランダに干した。

折角、起きたのだから、本でも読もうか・・・などと思いつつ、食欲もあまりないから、液体流動食を2本(200ml)飲んだ・・・コレが引き金となったのか・・・腹痛が起こり、何やら、ヘンな予感がする。
吐き気がして、心臓がバクバクいいだして・・・ああ・・・あの症状だ・・・と思う。

真夜中や猛暑、酷寒に起こるあの症状だ。

暫くすれば、おさまるから、少しの辛抱だ・・・と思うもののやはり、辛いことは辛い。
胃痙攣のような七転八倒な痛みではないから、三転四倒くらいの苦しさ・・・痛いというのとは、また一寸違うのだけれど、ボキャヴラリーの少ないさが災いして、適当な表現が思い浮かばない(・・・最近、こんなことばっかりだ)。

嘔気が酷いので、吐いてしまうと楽になるかもしれない。
全身汗が噴き出して、身体は、冷えていくばかりである。
羽根布団にくるまって、横になり、頭を低くして、平常に戻るのを待つ。

消化器系に問題があるのかもしれない・・・と思っていたけれど、どうも見当ちがいだったようだ。

起立性低血圧による脳貧血。

血圧が低いから、頭に血液が回らず、酸欠状態になって起こる症状で、酷い場合は、気を失い、転倒し、打ちどころが悪ければ、あの世行き・・・というケースもあるらしい。

何も食べていないところへ、高カロリーの液体流動食を流し込んだので、胃と腸に血液が集中してしまったために、起こる症状だと思われる。

・・・でも、低血圧が、どうして、腹痛やら、下痢やら、嘔気といった消化器系に症状が出るのだろうか・・・???

解決策は、低血圧の治療だそうだけれど、引き籠りで、運動は、していないから、ますます酷くなる一方だ。



気がつけば・・・天中殺。

2015-06-12 22:12:43 | Weblog

昨日、3日前に梅雨入りしたことを、知らされ、そして今日は、朝から雨である。

まぁ・・・梅雨だしな・・・。

昼夜が逆転してしまい、明け方に眠り、夕方起きて・・・という、ヒトらしからぬ生活パターンに陥ってしまっているのだけれど、夜中に、フト・・・気が付いた。

昔・・・(まだ21世紀になる前)の深夜番組で、『11PM-イレブンピーエム』という23時頃から始まる番組があって、大人の見る番組で、お色気?シーン(・・・ってどんなシーンだ?かたせ梨乃さんの豊満バストのアップ・・・とか???)も、随所にあった・・・ような気がする。
MCが、大橋巨泉さん、藤本義一さん、愛川欣也さん・・・といったメンバーだったように、記憶しているけれど、大橋巨泉さんが担当していた枠内で、故・和泉宗章さんの『算命学』をテーマにしたシリーズが、オンエアされていた。
最初は、巨人が、優勝するか、しないかを当てる・・・だとか・・・そんな内容だったと思う。

そのときに知ったのが、かの『天中(沖)殺』。
人は、12年に2年間、1年に2ヶ月、1ヶ月に1回だか、2回、情け容赦なくやってくるオソロシイ時期で、この時期になにか始めると破滅する・・・という時期という説明がなされていた。

その頃は、ただ、天中殺が怖い・・・というイメージがあったけれど、天中殺だからと言って、引き籠りをする訳にもいかなかったし、まあ、気にしないことが一番であるかもしれない・・・と思っていた。

そんなこんなしているうちに、初代・和泉宗章さんは、お亡くなりになって、『天中殺』は、国民的?忌日となって、残った。

私は、いつも気が付くのが、大変遅いのだけれど、今は、年運天中殺・月運天中殺の真っ最中なのであった・・・しかも・・・2008年から、20年間続く、大運天中殺という期間でもあった。

さもありなん・・・。

2008年のリーマンショック以来、全く良い事がないばかりか、失業までしてしまったのだから、算命学は、当たっている・・・と言わざるを得ないような・・・。
何だか、妙に納得してしまったのだけれど、こんな状態も天中殺のせい?なのね???

いづれにせよ・・・今、私は、トリプル天中殺の真っ只中なんだわね。
だから、今、引き籠っているのは、或る意味、正解と言えるかもしれない。

でも・・・ホントに、大丈夫なのかしら・・・?と今更気がつく雨の金曜日。



梅雨入りしていたとは・・・つゆ知らなんだ・・・。

2015-06-11 23:21:14 | Weblog

ここ数日、頭痛が続く。
眠り過ぎのせいだろうか・・・。

昼夜関係なく、眠くなれば、即、眠ってしまうのだけれど、眠りに落ちる瞬間に、再び、現実に引き戻されるような一瞬の・・・なんと表現したらよいのだろうか・・・。

『これから先、どうするの?』とか、『もうダメかもしれない・・・。』

みたいな心の内側の不安と恐怖の声?のようなものが聞こえてきて、入眠をくじかれる。

そうなると目が覚めてしまい、そして再び、眠くなるとその声(・・・声とは、違うのだけれど、表現が思い浮かばないので、声と書くことにする。もっとぴったりする表現があれば、また書いて行きたい)に呼び起こされて・・・の繰り返しで、睡眠が、遮断され、長時間、眠ることが出来ずにいる。

違うかもしれないが、もしかするとパニック障害???かもしれないと思い、症状を調べてみると合致することが多い・・・但し、発症の原因というかメカニズムは、違うのかもしれないからパニック障害には当てはまらない・・・かも・・という、とても曖昧な状態で、仕事もしていないのに、疲労度が激しく、何やらもう生きていくのもイヤになる始末だ。

昼夜関係なく、寝たり、起きたりしている部屋は、蒸し暑く、この時間(23時)を過ぎても、28℃もある。

さっさと仕事に着いて、環境を変えるとよいのかもしれないが、いまひとつ先に踏み出すことが出来ずにいる・・・。

そんなことをしているうちに、気象庁のHPでは、関東甲信越が、8日に梅雨入したとみられる・・・という発表があって、例年(・・・去年かもしれない)より、3日遅い・・・ということだった。

蒸し暑ささえなければ、私は、梅雨の時期は、嫌いではないのだけれども。

今年も、梅雨入りしたのだね・・・。

そんなことを思う・・・というか、それを知ったのが、発表後、3日も経っているとは・・・。

このままでは、ウラシマタロウである。
でも、浦島太郎は、竜宮城というこの世以外の極楽で、彼の体感だと1ヶ月(・・・もしかすると1年だったかもしれないし、10日だったかもしれない)、非常に楽しい思いをしたのだから、それでいいのかもしれない。
それに比べると、私などは、何もしない極楽は、楽しめたが、精神的には、いつも追い詰められていて、心の休まる暇がない・・・というか、何もしない状態を、望んでいて、その通りになったというのに、ちっとも楽しめないでいる。

大体、物語の浦島太郎と自分を比較すること自体無意味なのだが・・・。




雨上がりの夕暮れ。②瑞雲

2015-06-10 22:51:52 | Weblog

風の気持ちの良い夏日。


六月の雨上がりの夕刻に富士山をみたのが昨日。

夏至に近いこの頃は、暗くなるのが午後7時を過ぎてからで、薄暮が遅い。
朝は、午前3時半頃には、早起きの鳥達が起き出して、朝の歌を歌う。
夕方は、これ以上、暮れるのが遅くはならないけれど、明け方は、まだ少しづつ早くなっているようで、これから雨期を迎える時期だから、何だか、微妙なカンジがしている。

雨が上がった昼頃から、お天気が、急激に回復するのではなく、くもりがちのうちに暮れていったけれど、昨日の夕焼けの色は、綺麗に染まっていた。
オレンジ色に染まる山入端。

南の空は、ピンク色っぽい透明なむらさき色で、なにやら、明るい夏の兆しのような気がした。

瑞雲・・・というのとは、また別なのだろうか?

瑞雲は、別名、彩雲ともいうようだ。

瑞雲とは、虹色の雲のことらしい。
瑞雲は、瑞兆の表れで、吉祥の予言。

・・・瑞兆であれば・・・と思う。

『綺麗な雲だねぇ・・・。何か佳いことがあるといいのだけれど。』

相方にそういうと、相方は、可笑しそうに笑っただけだった。

運気というものが、あるのなら、いまドン底だし・・・いやいや・・・ドン底だと思っていても、まだまだ遙か下の奈落があるのかもしれない・・・などと思いながら・・・。

六月の富士、瑞雲は、吉兆なのか、凶兆なのか・・・?

なにやら、未来を占うみたいなヘンな胸騒ぎのする夕暮れでもあった。




雨上がりの夕暮れ。

2015-06-09 23:51:04 | Weblog

昨日の夜頃から降り出した雨は、夜半には、本降りとなって、朝をピークに、激しい雨となったようだった・・・ようだった・・・という曖昧な使い方をしたのは、眠りについたのが、明け方で、寝過ごしてしまい、お昼近くなって、涼しい気候なのにもかかわらず、汗だくになって寝ていたので、シャワーを浴びて、さっぱりしたら、また眠ってしまって、本格的に起床したのが、午後4時・・・といったテイタラク・・・であった。

午後6時に相方と食事の約束があったので、出かける。

今日は、久しぶりに、市内のショッピングモールで、待ち合わせをした。
ショッピングモールのホームセンターのペット館にいるオーストラリアンキバタンを見る約束をしていたのだった。

オーストラリアンキバタンは、真っ白い羽毛、頭の冠毛とシッポと翼の内側が明るい綺麗な黄色の可愛いオウムだ。
ペット館の一番奥の片隅の狭いケージの中にいる。

真っ黒な瞳の可愛いオウムなのだった。

相方と私が、ケージの前に立つと、翼を広げてくれた。
かなり大きい。
このキバタンは、2007年生まれということだから、8歳ということになる。
ポップカードには、40年から60年の寿命です・・・という但し書きがついていて、お値段548,000円。
こんな鳥が、家に居たら、楽しいだろうなぁ・・・と思う。

このペット館は、魚類も多くて、アロワナだとか・・・ヘンな魚が沢山いる。

仔猫(・・・といっても、もう8か月で、大人といってもいいくらい)のロシアンブルーがいて、かなりの美猫である。
この子がいたら、楽しいだろうな・・・と思う。

ペット館を出て、屋上駐車場で、車に乗り込むと真南にうっすら富士山が見えた。
北西には、くっきりと濃い群青色の日光連山、両毛連山が見える。
六月の富士や、日光連山が、こんなにはっきり見えるのは、珍しい。
湿気が多いから、そんなにはっきりは、みえないのが、六月だと思っていたのだけれど。

そのあと隣々市のショッピングモールへ向かい、食事をする。
値段の割には、美味な和食を供するお店で、気に入っている。

オウムと猫と六月の峰々とリーズナブルな和食・・・雨上がりの夕暮れ。




『土を喰う日々:水上勉・著』

2015-06-07 23:01:00 | Weblog

終日、くもりがち。雨期近し・・・。

手許不如意で、収入がないから、本も自由に買えない。
自由に買えないから、これまで、購入して、未読のものを読んでいる。

・・・それが、結構、あるんですよねぇ。最後まで読了していない本って・・・。

そんな1冊が、今日のお題。

原発、鼻血描写で、休刊に追い込まれたグルメ?漫画『美味しんぼ』の初期の頃、この『土を喰う日々』が取り上げられていたので、購入したけれど、今まで、読まずにいて、たぶん、家人に貸してそのままになっていたのだと思う。
家人は、水上勉さんを、よく読んでいたようだった。
同じ著作者の『精進百撰』の中にも、『美味しんぼ』で取り上げられたことが記載されていた。
それで、一時絶版だったこの『土を喰う日々』が、クローズアップされて、再版の運びとなったようだ・・・と著者の水上氏は、書いている。

禅寺の精進料理は、正に、精進で、僅かな根っこも大切に食べるとのこと。
御馳走とは、おもてなし(・・・東京オリンピック??誘致だったか・・・そのときのキーワードになって以来、なんだか、安っぽくなってしまった単語ですね・・・この、お・も・て・な・し・・・って。以前の拙ブログにも書いたかもしれないけれど・・・)を、するために、馳(は)せ、走り回ること・・・。
手を加え、美味しい料理を作る・・・12ヶ月、四季折々の著者自慢の精進料理の本である。
小学生の頃、京都の禅寺で、生活することになった著者が、典座修行をしたいきさつ、お寺を脱走し、その後、還俗して、作家になったことなども書かれている。
50歳代の著者の写真などが満載で・・・ああ・・・このひとは、美男だったのだな・・・と思う。
チェリストの溝口肇さんにチョット似ていたように思う。

『またお客さんが来やはった。こんな寒い日は、畑に相談してもみんな寝てるやもしらんが、二・三種類考えてみてくれ。』

老師が、禅寺に預けられた子供時代の著者に言う。

こんな経歴からは、想像しがたいが、婚姻・離婚を繰り返したり、私生活では、禅寺の出身とは、ちょっと想像し難いひとのようである。

昨今、主婦の料理は、手を掛けずとも、それなりの味になるような品々が売られているし、勤めを持つ女性(男性でも)、悠長にゴマなんか摺っていられない時代の・・・たぶん、ものすごく贅沢なメニュー集(いや、献立集と書くべきなのか・・・)なのだろうなあ・・・と改めて思う。



『東慶寺花だより:井上ひさし・著』

2015-06-06 22:52:20 | Weblog

相変わらず、寝たり、起きたり・・・の病人のような生活をしている。
何処がどう悪い・・・ということもないのだけれど、昔からすぐ疲れるし、よく勤め人になれたものだ・・・と今更ながらにそう思う。
その『勤め人』の縛りから離れても、不安がつきまとって、結局、何をやっても、やらなくても同じことなのだなぁ・・・と激しい雨の音を聴きながら、いつものように、考えても、どうにもならないことを考えている。

・・・そんな訳で、今のところ、出来ることは、読書をすることだけなのだけれど、今日のお題『東慶寺 花だより』は、現在上映中の映画『駆け込み女と駆け出し男』の原作本。

13人の女性と2人の男が、東慶寺・・・縁切寺に駆け込む物語を、優しさ、ユーモア、悲しさを交えながら、鎌倉の四季の花々の15章。

映画は、主に、4人の女性の駆け込みの物語だったけれど、15人分を、4人に振り分けて、物語を再構築しているようだった。
設定の変更も多かったけれど、特に、大泉洋さん演じる信次郎は、年齢が、まだ20歳代前半といったところだろうか・・・(大泉さんは、40歳くらい?だから、駆け出し・・・というには、ちょっとギャップがありすぎか・・・?)。

各短編が、井上ひさしさんらしい素朴なユーモアに溢れていて、テーマは、離縁なのに、ほのぼのとした読後感がある。

いまでも、繁華街の鎌倉駅とは、ちょっと距離がある北鎌倉にある東慶寺で、一昨年の平日に訪れた時には、静かな古都の雰囲気だった。
最も『水月観音』を拝観したときは、お客さんは、相方と2人だけだったけれど、そのあと団体さんが大勢やってきたから、タイムラグがあるのだろう。

女性からは、離縁できなかった江戸期にあって、それでも、女性は強い・・・というのが、筆者の井上氏の感慨だろうか。

鎌倉は、住むのには、まこと良い処だろうなぁ・・・と思う。

文人墨客の住まい、そして、墓所なども多数点在する。

もう一度、訪れみたくなった。



おイモの芽

2015-06-05 22:49:42 | Weblog




くもりがち。
夕刻より本降りの雨。


昨日、今日と(いつものことながら)何もする気になれず、うとうと眠り続け、その間に本を読んだり、DVDをみたり・・・と、全くの廃人(すたりびと)のように過ごしてしまった。

・・・現状を打開したい・・・という思いは、2年前からだけれど、なにひとつ変わっておらず、その上、失業も長引き・・・それなのに、何も変わっていない。

変わっていくのは、まわりだけで、私自身は、深い水底に沈んだように、暮らしている。

それでも、日に何度かは、食事などしなければならないから、夕方になると台所で、煮たり、焼いたりしている。


本日の画像。

台所の隅に、根菜類を置いてある場所があって、主に、タマネギ、ジャガイモなどをストックしてあるのだけれど、冬?だったか、春になってからだったか・・・暫く前に、買っておいたさつまいもが、本体の皮と同じ、紫色の小さな芽を出しているのを見つけた。
芽の部分から下、5cmくらいを残して、本体は、オレンジジュースと一緒に煮て食べた(レモンの輪切りと一緒に煮ても美味しい)。

その残した芽の部分を水栽培してみたら、青い葉っぱが出てきた。
1cmくらいしかなかった芽が、サツマイモの部分と同じくらい(5cm前後)に成長している。
可愛らしいので、写真に撮ってみた。

もう少ししたら、土に植え替えてあげようと思う。

ジャガイモの芽は、有毒なので、えぐりとらないといけないのだけれど、サツマイモは、大丈夫なのだろう。

小学生の頃、友達の家で、里いもの水栽培(観賞用)をみせてもらったことがあって、里いもの葉っぱというのは、水をはじく・・・所謂、撥水性のあるユニークな形をしている。
『となりのトトロ』で、大トトロが、傘の代りに使っていたような気がするけれど、梅雨の季節に、葉を大きく成長させて、葉っぱの部分に、大きな球状の水玉を、作るサトイモで、水栽培するのも楽しいかもしれない。

暇だから、今度やってみようかと思っている。





映画『天才ヴァカボン~蘇るフランダースの犬』

2015-06-04 04:53:50 | Weblog

昨日(3日)は、先週に引き続き、相方と夕方から映画『天才ヴァカボン』を鑑賞に、隣々市のシネコンヘ。

午前中は、雨で、かなり強い降りだったけれど、午後になって、雨もあがり、気温もそれ程、高くならず、湿気を帯びた空気。
夏至の前で、19時を回っても、まだ外は、明るい。
上映時間が、19時30分からだったので、ショッピングモールで、様々なパンの食べ放題の洋食レストランで、食事をする。

天才バカボンは、バカボンのパパ、バカボンのママ、小学生のバカボン、バカボンの弟で、幼児のハジメちゃんという一家の物語?である。

オリジナルの『天才バカボン』の赤塚不二夫さんのキャラクターは、上記のバカボン一家、うなぎ犬、レレレのおじさん、おまわりさん、夜の犬が登場する。
さらに、フジテレビの世界名作劇場の『フランダースの犬』をコラボレーション。
ネロとパトラッシュが登場。

その他は、ちょっと、よくわからない線の太い、赤塚作品とは、全く関係のない?他の作家??さんの手によるキャラクターが、沢山でてきて、私的には、敬遠したいキャラクターばかりであった。
(続に言う、ウマヘタ?絵というか、太いガサツな線の・・・気持ちの悪い絵である)。

私は、テレビアニメの『元祖天才バカボン』のイメージしかないので、バカボンのパパは、雨森雅司さんの声のイメージが固定しているから、映画を見ていても、どうも、バカボンのパパ・・・という感じがしない。

ナンセンスギャグは、相変わらずで、そのバカ?さ加減が、オリジナルを踏襲している。

バカボンとネロの友情。
バカボンのパパと神と呼ばれるコンピュータの謎。
天使に愛される少年画家として描かれていたネロの死後。

・・・結局・・・なんだったのでしょうかね?

現在でも、バカボンの普段着は、ユカタだし、弟のハジメちゃんは、幼児なのに、ネットワークからハッキングする天才になっていた。

夏マジかの涼しい夜の映画も、また一興・・・???