運よく、今日は曇り空で雨の心配はないというので、午前中は我が家で「チューリップを楽しむ会」を行った。写真には映っていないけれど、中央にテーブルを置いて、コーヒーを飲みながらチューリップを楽しんでいただいた。長い時間かけて育ててきたチューリップも、咲き始めて終わるまでは10日間くらいしかない。「花の命は短くて」というとおりである。夕方から風が吹き出したけれど、明日は風雨が強いようだから、チューリップがどこくらい耐えてくれるか心配である。
今年は寒さのためか、球根のせいなのか、成長が揃わなかった。まだつぼみが大きくならないものもあれば、すっかり花びらが落ちてしまったものもある。それでも来週、お世話になった介護施設にチューリップを届けたいから、出来る限り風雨に耐えてキレイなままでいて欲しい。施設の利用者さんは元気でいるだろうか、スタッフの皆さんは変わりないだろうか、皆さんに会えるのを楽しみに出かけたいと思っている。
今日の午後は、大和塾の第25回市民講座で、講師を引き受けてくださったのは、俳優で演出家の舟木淳さんである。当市で朗読と演劇の指導もしている。舟木さんが話してくれたテーマは「表現すること、生きること」で、自らのこれまでの演劇人生を振り返るように語ってくれた。「俳優とは、人に非ざる優れたもので、なんとも恐れ多い。役者は役に生きるもので、この方がピッタリくる」と話す。自分を相手に伝えたいから、「人は誰でも表現者である。表現なくしては生きていけない」。
そうした人間の表現願望には、たとえば他のものになりたいという気持ちがある。ウルトラマンや仮面ライダーに変身することが変身願望ではない。もっとキレイな、もっと立派な、そういう人物になりたいというものも変身願望である。そうした自分とは違うものになれるのが芝居だが、観察が出来ていないと「お里が知れる」ことになる。森繁久弥さんは「役者は、脚本が変わる毎に1年生だ」と言ったそうだ。誰もが始めからやるからだが、「いい役者はいるが、悪い役者はいない」とも言った。それは「よくないだけで、悪いわけではない」からだ。うまいと思うのは、受け取る側の好き嫌いのことで、「役者は役を真剣に生きることが大事で、演じることではない」と話す。
どんな人が役者として大成するのか。1)臆病である。2)気が小さい。3)不器用である。舟木さんはこの3点を挙げた。自信のありすぎる人は稽古をしないし、気の大きい人は心遣いに欠けるし、器用な人は何でも出来てしまって個性がない。あがらない役者はいない。あがって困るから集中できる。なるほど、凡人でいいのだ。人は臆病であるし、気が小さいし、不器用な生き方しか出来ないが、そういう人ほど真剣に生きている。「表現には必ず自分が出る。見せようとするウソの表現はだめだ。本物を生きていきたい」と舟木さんは結ぶ。