友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は誕生日

2012年04月16日 18時08分08秒 | Weblog

 今日で68歳になった。ビックリしている。父も母も54歳で亡くなった。兄も若くして死んだ。姉は81歳で健在である。姉は若い頃、結核を患い、父が「長くは生きられないだろう」と言っていたそうだ。そんな話を聞いていたから、姉は早死にすると思い込んでいた。だから、姉は例外なのだと思っていたら、私もこんなに長く生きてきた。

 私の人生計画では、終点は70歳で、50代の後半に首長になり、2期か長くても3期勤めたなら引退し、最後の何年かは好きなことをして暮らす。だから62歳で首長になれなかった時、もう一度という気持ちはなかった。じゃあ、70歳までの8年間の計画はあったのかというと、それもなかった。

 考えてみると、偉そうに人生計画などと言うけれど、実はそんなものは存在していない。その時々の選択で今に至っているに過ぎない。いろんな節目が人生にはあるけれど、たまたま合格してしまったとかいうように、意外と何が何でもということはなかった。いろんなことがあって、地域新聞を始める時はかなり努力したし、始めてからの1年間は必死だった。人生の中で本当に努力したのはこの期間だったのかも知れない。

 曲がりなりにも生活できたのは、カミさんのおかげであることは間違いない。教員時代以外はいつもカミさんの方が収入は多かった。今も我が家の収入がいくらなのか、蓄えがあるのか無いのか、私は知らないし知らない方がいいと思っている。カミさんには感謝しているが、世の中の主婦がダンナに抱いているものと同じだろう。

 3月に受診したら、そのまま入院し手術となってしまい、全く考える余地も無いままにサイボークになってしまった。私は自然のままに死を迎えたいと思っていた。臓器移植までして延命する道は進まないつもりだった。ペースメーカーは臓器移植ではないけれど、機械を身体の中に入れて心臓の働きを助けるのだから、これはもう立派なサイボークだろう。あれよあれよという間だったから、これも運命と言うべきなのかも知れない。

 子どもたちやその家族の行く末、孫たちの成長、見守っていく義務と楽しみがあるけれど、どこまで続けられるか、不安は確かにある。高校3年になった孫娘が成人式を迎えるのは2年後だからまだいいけれど、3歳になる孫娘の成人式までは17年もある。まあ、成人式を見たからってどうってことは無いけれど、歳を取るとそんなことばかり考えるようになるのは不思議だ。

 今晩は、長女たちが誕生日のお祝いをしてくれると言うので、これから出かけて行く。

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