友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

我が家の子育て

2012年04月22日 16時30分02秒 | Weblog

 雨にはなったけれど、激しい暴風雨にはならなかった。ルーフバルコニーの草木もどうやら無事に越せそうだ。私たちは同じマンションの別の場所からここに引っ越してきた。29年前のことだ。西側にルーフバルコニーがあり、そのため明るくて開放的だった。バルコニーには花壇があり、つげの木が植え込んであった。それが防水工事のために撤去され、大型の植木鉢に代わった。次の防水工事の時には、その大型の植木鉢も無くなった。

 地域新聞を作っていた時、一緒に働いていた女性が「実家の父は毎年、チューリップを育てている」と案内してくれた。家の前は一面のチューリップ畑になっていた。それが毎年チューリップを植えようと思った原点だろう。夏には朝顔を初め、いろんな草花を生い茂らせた。そして新聞作りに携わっていた人たちや自治会の役員で知り合った人たちを招いて、ビアパーティーを開いてきた。

 私が育ったのは戦後で、映画はモノクロからカラーへ、そしてワイドへと変わっていった。そんなアメリカやヨーロッパの映画に、バルコニーが出てくるものがあった。人々は花や木を育て、太陽の下で食事をしたり、お茶を飲んだり、パーティーをしていた。それが無意識のうちに私の中にあったから、せっせと植木鉢を買い、土を買い、カミさんの知らない間に小さな花園を作ってきた。小さい頃からの憧れは、こんな風に形になった。

 我が家のビアパーティーにも来てくれた親しい大学教授の夫婦は、年齢も世帯の形もよく似ている。私は、子育ての仕方もよく似ていると思っているが、厳密にはかなり違っていたのかも知れない。私は3世代が同居するような商家で育ったのに、父母は教員で祖父母とは全く交流しなかった。材木屋の奥に間借りしている独立した家庭であったが、いつも祖父に気兼ねをして暮らしていた。父も母も私には、何かを押し付けたり強制することはなく、自由にさせてくれた。夏休みの宿題を全くやらなかった時も何も怒らなかった。

 「子どもはいつか分かる」と父母が言ったわけではないが、私はそう思って子どもを育ててきた。絶対に手を上げない。子どもに怒鳴らない。そう決めてきたけれど、カミさんは「両親の方針が違っては子どもは言うことを聞かなくなる」と怒ったが、「違ってもいい」と私が言うからますますカミさんを怒らせてしまった。長女は活発な子で、一人遊びも個性的だった。私は天真爛漫のままでいいと思ったけれど、カミさんは学校から呼び出しがある度に困っていた。

 今、長女の3歳になる娘は誠にやんちゃである。「このままの子で育って欲しいです」とダンナは言う。「あなたがこの子の防波堤になって、これがこの子の個性です。いいところなんですと、守ってあげればいいんじゃないの」と私は答える。私たちも、大学教授の家庭も、初めて生まれた子どもだったからのびのびと育ててきたし、育つように守ってきた。大学教授の娘は今、教育ママになって子育てをしているそうだけれど、それはそれで彼女が見つけた価値なのだ。長女夫婦が3歳の娘をどんな風に育てるのかは、ふたりが決めること。そしてその前に、高校3年の娘を社会へ旅立たせなければならない。ジジババは応援している。

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