友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夢を追う人

2012年04月03日 18時38分36秒 | Weblog

 本当に凄い風雨だった。春の嵐とは言うけれど、確かに予報どおり台風のようだった。それも超早足で、一瞬の内に通り過ぎて行った。我が家のルーフバルコニーでは大きな方の鉢が2つひっくり返った。背が伸びてきたチューリップが風のために折られては大変だと思い、風の通り道にならない場所に移したけれど、まさか一番大きくて重い鉢が倒れるとは思わなかった。もちろん、アゲハチョウのサナギがへばりついている鉢は昨夜の内に家の中に避難しておいた。午後5時過ぎ、西の空が明るくなって来た。夕日が何事もなかったかのように輝いている。とてもきれいな夕焼けだ。

 神社の起工式の後の直会(なおらい)で、宮司が神社をどのように整備したいかを熱く語った。阪神淡路大震災に続く東北大震災を目の当たりにして、神社は多くの皆さんの避難所になる。しかし今、神社には井戸がない。水道は止まるかも知れない。昔のように井戸があればどんなに助かることだろう。神社や寺には井戸があるべきだ。その水で平素は境内の樹木を潤し、できれば水田を設けてお米を育てたい。神社はお米と深くかかわっているのに、お米の育て方も知らない神官ではいけない。そんなことを熱心に話された。聞いている私の方も熱いものが込み上げ、何としても井戸を掘りたいと思った。私たちが井戸掘りをしようと思い立ったのも、阪神淡路大震災で水がなくて困ったという話を聞いたからだ。

 私は夢を語る人が好きだ。私も小さい頃から夢を追っていた。我が家は材木屋だったから、建築関係の雑誌があったので、間取り図を見ながら、自分だったらこんな家にしようと図面を書いていた。造園という庭の設計があることを知って、こういう公園がいいのではと設計してみたり、だんだん大きくなって街のデザインを考えるようになった。地域新聞を作るようになって、こういう街がいいという外観と共に、制度や仕組みも考えるようになった。宅地化による都市型洪水を抑えようと行政は公共施設に地下貯水槽を造ると言うので、それもいいけれど、街の真ん中にある幅5メートルほどの用水路の両岸を20メートル広げて、幅45メートル長さ1500メートルの川岸公園に造ろうと提案した。

 堤に桜を植えれば、公園の少ないこの街の名所になるし、いざ洪水となってもここが大きなプールになる。一石二鳥のプランであったけれど、残念ながら実現しなかった。現在、この用水路の周りは産業廃棄物の置き場になってしまっている。都市の緑化計画プランは作成されているけれど、実行はされていない。緑化する公的な土地がないからだ。市の道を一方通行にして、緑地帯と歩道を造るとか、これは無理があるけれど、家を建てる場合は必ず緑化部分を設けるとか、そんな夢ばかりを描いていた。図書館建設に当たり、「いいアイディアがあったら教えて」と言うので、「開館は午前10時からにして閉館を午後9時にすれば使いやすいのでは」と言ったけれど、拒否されてしまった。

 でも、市民会館の建設では、気持ちのつながる職員がいたから、市民オーケストラをつくることができたし、地元の大学を市民に開放する公開講座も実現できた。さて、次は自分のための夢を考えようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする