友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

この世で充分なのだが

2012年04月10日 19時35分48秒 | Weblog

 夕方、ルーフバルコニーで、一昨日買って来たバラを新しい鉢に植えていたら、目の前をツバメが飛んでいった。桜は満開になったが、ツバメはこんなに早い時期に到来するのかと思った。地球上のあちこちで異常気象が見られるという。温暖化に加えて、各地で起きる小さな異変が絡み合って、異常気象となっているのだそうだ。

 テレビを見ていたら、枝野経済産業大臣が大飯原発の再稼動について、「おおむね適合している」と発言していた。また自らの組織の一つである原子力安全・保安院について、「原発事故当時とは全く異なり、非常に一生懸命にやっており、信頼に足る」というようなことも言っていた。この人には誠実な感じがあると思っていたけれど、私の見る目は間違っていた。

 2日の参議院予算委員会で枝野大臣は、社民党の福島党首の質問に、「現時点では私もいま再稼動することには反対だ」と答えていた。「原発事故は、直接あるいは間接に、日本国中に影響を及ぼしている。そういう意味では日本全国が地元」と分かったような、分からないような発言を繰り返していた中での明言だった。福島党首の更なる追及に、滋賀県や京都府・大阪府も地元だとも述べていた。

 それが9日の野田首相を含めた関係閣僚会合で、大飯原発は安全基準に「おおむね適合」と判断し、「安全性は確認」された。再稼動については、電力需要の見通しなどを踏まえ、今週中に改めて会合を開いて「政治判断する」と言う。目先の利益よりも、これから先の国のあり方、もっと言えば人類がこの地球で生きていくためにどうしていくのか、政治家にはそれを示して欲しいと思う。

 友人の葬儀で、キリスト者である人が、死後の世界を恐れることはないと話した。「天国は、悩みも悲しみも病気も諍いも、人が背負っている一切の苦しみは存在しない。永遠の喜びに満ちている。人はそこで再び出会うことができる」。そんなメッセージを述べていた。「無信仰な者ほど神を知ることができる」とも説いていた。

 キリスト教も仏教も「よき人は天国あるいは極楽で幸せに生きられる」と、「蘇る」を説く。けれど私は、この世を生きて、さらにあの世まで生きなくてはならないのかとがっかりする。この世に生命を受けたことには感謝しているけれど、人生は一度っきりだから面白いのに、死んでもなお生きなくてはならないのはかなわないなあと思う。

 死してどうなるのかは神が決められることなので、神の定めに従う他ないが、願うことならこの世で終わりにしてもらいたい。共に生きてきた人々に会いたくないのかと問われれば、いまさら会ってまた恥を重ねるのは嫌だなと思う。きれいな思い出はきれいなまま、嫌なことは嫌なままで、それはそれでよいと思う。

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