友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

万葉の人々の恋心

2012年10月01日 21時15分46秒 | Weblog

 台風で、花粉など飛ぶはずがないのに、相変わらず左目が痒い。眠っている時が一番痒いのか、ついこすってしまうので、朝には目が真っ赤になってしまっている。この時期の朝は大変で、クシャミを連発して恥ずかしくなる。皆さんは「爽やかな季節になりましたね」と、嬉しそうに挨拶されるけれど、私は身体もけだるくて元気がでない。そのせいなのフトンにもぐりこむと、朝でも昼でも夜でも、すぐに眠ってしまう。

 昨日の、友だちがくれた『それを止めれば健康になる』の要約の中に、そう言えばお酒のことは何もなかった。でも、会った時は、「毎日飲んでいるようだから注意しておかなくちゃー」と、例の「月曜日はNo Monday」の絵ハガキを送ったのだと言った。その時、「近いうちに会おう」と約束したけれど、お酒も飲まずに会うことはないだろうから、そうなると月曜日以外の日にしなくてはならない。

 先日、現代の短歌には恋の歌が見つからないと書いたので、「そんなことはありませんよ」とコメントが来るかと期待していたが、未だにない。ナンキンハゼの苗木が欲しいという人も出てこない。何気なく見ていたら、万葉集巻16の3877(というものらしい)に出会った。

 「くれないに 染めてしころも 雨振りて 匂いはすとも うつろはめやも」

 高校生の時に、もう少し古典の勉強をしておけばよかった。日本語なのに古文となるとさっぱりわからない。これが私のダメなところで、物心がついてから、分からないようなものを勉強する意味はないなどと、言いがかりをつけて勉強を放棄してしまった。英語がしかり、数学がしかり、物理がしかりだった。辞書で調べれば学ぶことは出来たはずなのに、めんどくさいなどと逃げていたのだ。

 「くれない」は赤であることは分かる。「染めてしころも」は染めた衣である。分からないのは「うつろはめやも」で、えっ、何、何なのと思った。それでもう一度読み直し、紙に書いてみると、「匂いはす」と「うつろはめやも」とは、こうだけれどこうだという形のように見えてきた。古語辞典で、「やも」を引くと疑問や反語の意を表すとあり、「であろうか、いや、‥でない」とある。「め」は「む」の己然形とあるから、「うつろはめ」は移ることと考えていいだろう。

 先の歌は、「赤く染めた衣は雨に振られて 匂いはするかも知れないが色褪せるだろうか、いや褪せないだろう」と、いう意味だとわかる。そんなことを歌にするはずがないから、もうこれは恋の歌としか考えられない。歌謡曲にもありそうな、「あなた色に染まられ私の愛は、いつまでも変わることがありません」ということだろう。読み人知らずの歌ということは、万葉時代の人たちにとって、歌つくりは日常とともにあったのだろう。

コメント
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