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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ご都合主義でごめんなさい

2012年10月04日 19時26分39秒 | Weblog

 真冬のように北風が強く吹き抜けている。あまりの寒さに、ルーフバルコニーの植木鉢たちの水遣りを諦めた。もし、このために幾鉢かの草木が枯れるようなことになったなら、私はその責任を負わなくてはならない。風がこれほど強くなければ、夕方の水遣りに出ることを嫌がることはないのだから、草木が枯れることがあったなら、水遣りをしなかったのではなく、風が強すぎたためだと責任を転嫁することもできる。

 世の中のタイプは2通りに分けられる。こうなったのは全て自分に原因があると、責任を抱え込んでしまうタイプと、全て他人や自然のせいにして少しも責任を感じないタイプだ。どちらがいいとか悪いとか、そんなことは言えないし、世の中にはいろんなことがありいろんな人がいるのに、2つのタイプしかないと言い切る方が間違っているのかもしれない。生き方としては、全てを抱え込む内向きよりも、何事も流してしまう方が楽だろうし、その方が周りの人々にとっても気楽だろう。

 今、はっきり覚えていないけれど、聖書の中の次々と災難に襲われる男がいて、初めは、これは神が自分に与えた試練と受け止め、自分の信仰が弱いからだと我が身を鞭打つ。しかし、あまりにも災難が続くのでとうとう神に対して、その非情を嘆き、神を呪う。誰だってあまりに不幸が続けば、どうして自分ばかりこんな目に遭わなければならないのかと言いたくなってしまうだろう。知人夫婦は、カミさんが乳ガンでダンナが胃ガンと分かり、続けて手術を受けた。続く災難にショックだったと思うけれど、今はふたりでフランスに長期旅行へ出かけたと思ったら、今度はイタリアへ行くと言う。ダンナの方はイタリア語の勉強まで始めている。

 本人の病気が次々と見つかっている知人もいる。配偶者にガンが見つかって落ち込んでいる人もいる。そうかと思えば、せっかく大学を卒業し、見込まれてさらに上の研究機関に進んだのに、うつ病になってしまった息子を持つ家族もいる。井戸掘り仲間の先輩は楽観論者で、「人生はいい時もあれば悪い時もあり、どちらも長く続かない。泣いて暮らすも笑って暮らすも人生なら、笑って暮らした方がいい」などと、水戸黄門の歌のようなセリフが口癖だ。

 私はキリスト教徒にはなれなかったけれど、人の力の及ばないものがこの世にはあると思っている。人にはそれぞれ、定められた道があるようにも思っている。神はその人にふさわしい人生を与えてくださっている。そんな風に考えれば、明日はきっと今日よりもよい日になるだろうと思えてくる。「本当に勝手な人」と言えるかも知れないが、それもこれも神が決めたことなのだからと自らに言い聞かせ納得している。しかしこれは、ご都合主義であることに間違いはないようだ。

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