アメリカのカリフォルニア州に住む友だちの親族は民主党支持しているので、今度の大統領選挙を心配している。その80歳近い友だちのお姉さんの一家は、オバマ夫妻と一緒に写っている写真を大事にしているし、自慢でもある。お姉さんは一人暮らしだけれど、娘夫婦のすぐ近くに住んでいる。「家も何度か変わった」という話から、アメリカ人の家に対する思いと日本人の家に対する思いは大きく異なることが分かった。
日本では、家を構えて一人前と言われてきた。マンションが出始めた頃でも、1軒家を持ってこそ男と言われた。どうしてそんなに家にこだわったのかよく分からないけれど、家を造り、守っていくことが男の努めであるように言われ続けた。土地を手放すなどはもってのほかで、それは「田分け者」のすることであった。代々受け継がれた土地を守り、さらに広げていくのが男の甲斐性と教えられてきた。
アメリカ人であるお姉さんは、結婚した頃は多少狭くても快適な家を、そして子どもが増えて子どもたちの部屋のある家を、次に子どもたちが巣立ってしまうとふたりで暮らせる小さな家を、さらにひとり暮らしに適した家を、買ってはあるいは家賃を払って、移り住んだ。家は一生住み続けるものではなく、手放して買い換える資金にするので、いつも大事に使っている。その方が高く買ってもらえるからだ。
アメリカではあまり新築の家を見なかった気がしたけれど、そういう事情だったのか。そういえば、ヒラリー・クリントンの自伝を読んだ時も、とても気に入った中古の住宅を見つけて喜ぶところがあった。お金が無いから中古の住宅を買うのかと思ったけれど、そうではなくて、そうする方が普通のようだ。アメリカ映画を観ていると、部屋を見に来て、その家を買うシーンがあるけれど、そんな風にして家を買い、自分で壁紙を貼ったりペンキを塗ったりして、自分の気に入った家にするのがアメリカ流なのだ。
だから、アメリカのホームセンターには個人が何でも出来るような品揃えができているらしい。器用な人はトイレやバスまでも自分で設置してしまうとも聞いた。マサチューセツ州のボストン郊外に住んでいる娘さんの家にはシカがやってくる。隣の家との間に仕切りもない。西部のお姉さんの家も仕切りには低い木が植えてあるだけだった。土地の大きさで隣とのトラブルはないのだろうか。
日本では1軒の家が建つ面積が狭すぎる。40坪ほどの敷地に家を建てるとなるとどうしても隣と接してしまう。それにそんな狭い土地では、1百年2百年も続くような家は建てられない。小さな家がゴチャゴチャと建ち並ぶことになる。それが日本の文化と言えるし、日本人の価値観とも言えるが、文化も価値観もいつまでも固定されているわけではないから、またいつか、違っていくと思う。