友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

祭りの原点

2012年10月20日 19時32分47秒 | Weblog

 私たちが加茂川の堤に陣取ったのは午後3時半過ぎだった。「川入り」のためにだんじりが勢揃いを始めるのは午後4時ごろからと聞いたけれど、一向にその気配はなかった。待つのは長い。太鼓の音が聞こえてきて、だんじりの頭が見え始め、それでもまだかまだかと待っていると、いよいよ幾台かのだんじりが姿を現し、人のにぎやかな声が響くようになる。堤防から対岸の河原に下りていくだんじりもあれば、橋を渡ってこちらにやってくるだんじりもある。私たちのいる場所から近い、堤からだんじりが何台か河原に下りてきて、河原で気勢をあげ、それぞれの位置に止まって「川入り」に備える。

 私たちの目の前、5から6メートルくらいのところに「日明」という地域のだんじりが止まった。そして、だんじりを担いでいたひとりの若者が千鳥足でやって来た。かなり酔っ払っている。私が座っているコンクリートの傍まで来て、ひっくり返りそうになったので、私は思わず手を差し出して若者の腰を抱えて座らせた。若者は「ありがとう」と言い、ニヤッと笑って、「おっちゃんはいい」と言って抱きついてきた。それが縁で、すっかりこの酔っ払いの若者が私の隣の席を陣取ってしまった。

 「おっちゃん、だんじり担ぐか」と言うので、私は酔っ払いの若者と一緒に立ち、だんじりに触らせてもらった。若者は独身だったけれど、彼の先輩という家族が彼の招きで私たちの席の前に陣取った。若者が次々と仲間を呼び寄せてくれて、目の前に大きな集団が出来たのだ。「川入り」前にここで夜の食事をするのか、おにぎりやらつまみやらが広げられ、酒宴となった。若者の先輩という、キリッとした男が隣の女性に「ビール持ってきて」と言い、そのビールを私たちに手渡してくれた。「祭りじゃけん、飲みん」。

 「西条のだんじりはどうかね」と聞く。「これだけの人がよく集まるね。2日間も練り歩いて来たんでしょう。だんじりも見事だけれど、祭りにかける気持ちがすごいね」と答えると、「西条の人間は祭り馬鹿じゃ。祭り馬鹿と言われるのが一番嬉しいんよ。おじさんは分かるね。いい人だね。一緒に飲もう」と、今度は日本酒の茶碗飲みだ。みんな陽気で酔っ払っている。食事係りだったという女性はその役目を終えた開放感からか、完全に酔いが回っていた。九州の博多の生まれというが、だんじりに魅せられここで結婚してしまったらしい。

 先輩の男と隣の女性は夫婦で、子どもは3人いて、一番上の小学4年の娘さんも今夜は川に入ると言う。とてもホットな家族だったので、「同級生で大恋愛の末に結婚した?」と聞くと、カミさんの方が、「4つ上で、すごく格好よかったの」と答えてくれた。どこの誰かを知らなくても、家族の話や恋愛の話や仕事の話など、短い時間だったのにまるで昔からの知り合いのように、酒を酌み話が出来た。ここに集まった人たちが心を開いてひとつになる、そんな気持ちにさせてくれた。

 日本の祭りの原点と昨日は書いたけれど、世界中どこでもこんな風に人は人と仲良くなれる。それが祭りの良さなのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする