友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間とゾンビ

2012年10月27日 18時20分44秒 | Weblog

 大学祭で演劇部が上演する作品を見てきた。昨年、その大学に入学した娘を持つ父親が、親バカぶりを発揮して「ぜひ、見に行ってやって」というのが始まりだった。その後も、名古屋の小さな劇場で見せてもらった。さすがに学生だけあって、2つの作品はともに奇想天外で面白かった。ストリーは自分たちで書いたものだろうけれど、それがなかなかの出来だ。大学祭で見た方は童話「100万回生きたねこ」を下敷きにしたもので、もうひとつはやはり童話「チビくろサンボ」を下敷きにしたものだった。

 この2つは有名な劇団の演劇とは違って、学生らしいアバンギャルドに溢れていた。ところが今回見た演劇は随分と大人しくなっていた。言い方が悪いかも知れないが、高校生の演劇がうまくなっているといった感じだった。今回の出し物は「やわらかいパン」という題名で、雑誌記者がゾンビの国へ迷い込んで、これを記事にするというものだった。パンがどこに関係するのかというと、ゾンビの国の長老が作ったパンを食べるとゾンビになれるという設定である。出来の悪い記者が、たまたま迷い込んだところがゾンビの国で、そこで長老の娘の心優しいゾンビに出会い、彼女のおかげでゾンビの国の取材が出来た。

 この劇は、人とゾンビとの比較を通して人間社会を考えようとするオーソドックスなものになっていた。人間社会は毎日毎日いろんな規則やノルマに縛られ、働かなくてはならないが、ゾンビの国ではみんなが汚い格好をしているのでフアッションに構う必要がない。食べ物はもちろん人肉なのだが、最近では野菜を食べるようになっていて、自給自足の生活をしている。人間社会での落ちこぼれの記者はゾンビの社会に一瞬だが憧れる。人間社会に憧れていたゾンビの長老の娘は、「やっぱりゾンビの社会が自分の居場所」と言う。

 自分に無いもの、自分たちに欠如しているものに憧れるものだ。けれどもそれは虚しい。そう言ってしまっては余りにも常識的ではないだろうか。今の若者たちの方が冷静に先を読んでいるとよく言われるけれど、こうして物分りのよい、大人しくなった演劇を見せられると、年寄りの私の方が「そんなことでいいのだろうか」と思ってしまう。欲望のままに突き進んだり、理想ばかりを追い求めて現実を知らない、そういうハチャメチャな情熱を若者たちに求めることは無理なのだろうか。

 明日は、中学の時のクラス会である。みんなはどんな思いでいるのだろう。前回のクラス会の時、自分の息子や娘が結婚しないと嘆いていたけれど、結婚したのだろうか、やはりまだしないままだろうか。私たちはなぜ結婚したのだろう。生きてきた意味を問うことは愚かなことだと思うけれど、たまにはふと考えることが合ってもよいだろう。そんな訳で、明日はブログを休みます。

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