友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

サッカーW杯・ブラジル大会

2014年06月20日 19時08分50秒 | Weblog

 午前7時から、サッカーのワールドカップ・ブラジル大会で、日本とギリシアの試合が始った。レフリーの笛が鳴った直後にギリシアの選手が日本のゴールに向かって長いシュートを放った。キーパーはまだ、ゴールに向かって歩いていたから、全く無警戒だった。5分くらい見ていたけれど、勝てそうな雰囲気が感じられなかった。私はルーフバルコニーにでて、花たちを見て回り、枯れた葉や咲き終わった花を取り除き、そして丁寧に水遣りをした。

 「どう、勝ってる?」と熱心にテレビにかじりついているカミさんに聞いた。「まだ、0対0で、なかなか点が入らない」と悔しがる。全ての作業を終えてテレビの前に座った時、ギリシアの選手が日本の選手にアタックしてレッドカードを与えられた。サッカーは球技だけれど、格闘技でもあると言われているが、このW杯を見ているとそんな場面が多い。レッドカードに値するようなプレーとは思われなかったけれど、これで日本は有利になったと思った。

1 人少ないギリシアは守りに徹し、これを崩すことが出来なくてドローとなった。ブラジル大会での日本選手の活躍を、マスコミは大いに期待できるような報道だったけれど、第1戦のコートジボアール、第2戦のギリシア、いずれも日本選手は精彩を欠いていた。息も出来ないほど疲れ切っているように見えた。疲れは判断力を鈍らせる。一番期待された本田選手が一番動きが悪い。試合を見ていても勝てるようなオーラを感じないのはどうしてなのだろう。

 私が生まれ育った街は、国体のサッカー会場になったことがあり、小学校でもサッカーの時間があった。高校は全国大会に出場するほどで、体育の時間はサッカーばかりとは言い過ぎかもかも知れないが、とにかくよくやった。私は走り回ることが好きで、サッカーは野球やソフトボールよりも身体に合っていた。ただ、近眼のためメガネが無ければ試合は出来ない。ところが注意していてもやはりぶつかって来る者がいて、メガネを2回も新調しなくてはならなかった。年金生活の父に申し訳なかった。

 近眼のサッカー選手はいないのだろうか。今ならコンタクトで大丈夫なのだろうか。サッカーの試合を見ながらそんなことも思った。第3戦はコロンビアとの戦いだが、3回も見られただけでもよかったのではないかと思う。日本人は緊張症で精神的に脆い。そんなことがよくわかった。

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