友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

かくれんぼ

2014年06月28日 17時11分34秒 | Weblog

 もうすぐ5歳になる孫娘は微熱が続いている。昨夜も、母親である長女が「仕事で保育園に迎えに行けなくなったから、行って来て」と連絡が入り、カミさんとふたりで迎えに行った。久しぶりといっても1ヶ月くらいのものだが、見る間に大きくなっている。身体が大きくなっただけでなく、振る舞いや言うことも変わってきた。知識もついてきて、ジジババとの会話も大人っぽい。けれど、何となく雰囲気が違う気がして、遊びの中で体温を図ると若干高めだった。

 今朝はまだ熱があるようで、ゴロゴロしていると連絡して来た。その写メで送られてきた寝姿を見たら、長女かと思ったくらいよく似ている。長女も小学校の低学年まではどこか悪いのではないかと思うくらいゴロゴロしていた。運動は好きで走りは早く、ジッとしていることのない活発な子なのに、どうしてかだるそうにしていた。孫娘も母親の血を受けて、小さい時からジャングルジムの天辺まで平気で登っていった。怖いもの知らずのおてんばなのに元気がないのは気にかかる。

 「仕事がしたいから連れて行くね」と長女から連絡があったのに、まだ来ないのは連れてこられないほどの状態ということなのだろうか。「共働きの家庭では食事も満足に食べられないから、ちょっと奮発して美味しいものを食べさせてやろうよ」と提案しておいたけれど、食べることも無理なのだろうか。いや、昨夜だって、「お腹いっぱい」と食欲のない素振りだったのに、それでも私たちと同じくらいは食べていた。もう少しの辛抱だ。小学校の2年生になる頃には、元気になっているだろう。

 おやつの時間の頃、長女がマスクをした5歳になる孫娘を連れて来た。「咳が出て、微熱が続いている」と言う。おやつを食べてしばらく大人しかったけれど、だんだん元気になってきて、部屋中を歩き回り、「ねえ、かくれんぼしよう」と私を指名する。女の子は男の子とかくれんぼするのが好きなようだ。この子くらいの時、かくれんぼで女の子とふたり真っ暗な部屋でジッとしていてなぜかドキドキしたことを覚えている。「早く遊ぼうよ」と求めているので、今日はこれでおしまい。

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