小1の孫娘の学習発表会に行って来た。この小学校では全学年が一緒に発表するのではなく、1年は午前9時からの50分間だった。体育館のステージ前7から8メートル空けてマットが横に2列並べてある。その後ろには年寄りのために平均台が並べてある。最近、学校行事には両親だけでなく私たちのようなジジババも来るので、学校はその収容に気を遣っているのだ。
「日教組の平等主義が日本の教育をダメにした」と言う人がいるが、先生たちは組合の指示で教育をしているわけではなく、政府の方針の下で作られた学習指導要領に縛られて教育に携わっている。「運動会で1等を決めない」と問題にする人がいるが、学校は評価しない訳ではない。むしろ最近の教育モンスターと言われる親たちの学校への要望が大きい。先生たちは子どもたちを見ているから、能力に差があることは充分知っている。けれど、差は固定しているわけではなく、努力によって変わる。だから教育は大切なのだ。
1年生の出し物は昔話『おむすびころりん』。3クラス全員が出演するから、確かに目立つ子を作らない「平等主義」が反映されているように見えるが、全員がそれぞれに演技する訳だから見に来た親たちは嬉しい。おむすびになってマットの上ででんぐり返りしたり、ネズミになって踊ったり、活躍する場面を考え指導してきた先生たちの苦労がよく分かる。見ている親たちも以前のように勝手に前に出てカメラを回す人はいなかった。ただ、男性でひとり、帽子を被ったままの人がいたが、後ろの人のためには取って欲しかった。
終って喫茶店に入った。夫婦が「子どもがスマホに夢中で困った」と話していた。男性が「スマホを取り上げないとイカンな」と言うと、女性が「オマエもだわ」と言う。おいおい自分のダンナに「オマエ」はないだろう。悪ふざけで言ったとしても年寄りの私たちには気分のいいものではない。ダンナに向かって「オマエ」呼ばわりするのは「世代の差」としても、納得のいかないやり取りを聞いてしまい不愉快になった。