快晴だったので、絶好の作業日とばかりにルーフバルコニーへ出たのに、風が強くて作業が出来ない。青い空が羨ましい。こんな日は皆、どうしているのだろう。今度の27日にクラス会を計画してくれている幹事からメールがあって、返事がなかった同級生の家を訪ねたら亡くなっていたと知らせてくれた。「詳しいことはクラス会の時に」とある。
教員になって3年目に担任をした1年のクラスである。それまで生徒指導部の世話になることは1度もなかったのに、この時2人の生徒が万引きで停学処分を受けた。担任としては弁護のしようがなく、彼らの家を訪問して見守るだけだった。しかし、家に行って驚いたのはまるで「休み」のように思っていることだった。「処分なんだからそれらしく生活しろよ」と言ったと思う。
2人とも絵の才能は高いものがあった。ひとりは後にデザイン会社を設立し、私が地域新聞を始めて5年目、冊子づくりを始めた時、そのデザインを頼んだ。「ところで先生、この冊子のコンセプトは何ですか?」と彼に聞かれて恐縮した。事業を広げたいという思いだけで、何も考えていなかった。それを指摘されて、偉そうにしていた教員時代がひっくり返った。
もうひとりは神経が繊細だった。宇野亜紀良のような絵を描かせたらきっとすごい画家になるだろうと思っていたが、そうなれなかった。私は全く力になれなかった。結婚する時、仲人を頼まれたのに、夫婦の間で問題が生じた時も何も出来なかった。年賀状が途絶えてからは音信不通になっていた。「57歳で亡くなったそうです」という。一旦、歯車が狂いだすとなかなか修正は出来ないようだ。
LoveとLiveはよく似ている。oとiが1字違っているだけだから、語源はいっしょなのだろうか。愛を失っては生きていく気力もないから、生きるということは愛する何かがあるということなのだろう。今朝、『特ダネ』で林部智史さんの「あいたい」を聴いたけど、やっぱり泣いてしまった。