友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ここ辺りで、武器のない社会へすべきだろう

2017年09月02日 17時51分37秒 | Weblog

  「防災の日」、各地で「訓練」が行われた。地震を想定したもの、水害を想定したもの、様々だった。中には北朝鮮からミサイル攻撃を受けた時に備えての訓練もあった。地震の時のように机の下に潜り込む、あるいは身体を丸めて座フトンで頭を保護する、そんな映像だった。核ミサイルが飛んで来たらもう逃げ場はない。頑強な地下シェルターでもなければ人は生き残ることはできないだろう。

 それはもう、田中慎弥さんが『美しい国への旅』で描いている世界で、地上に生物は存在していない、「死の灰が立ち込めている」だけだ。防護マスクが無ければ人も馬も生きていけない。食べるものも飲むものもない。どこかでひそかに作られた人工物を吸って生きながらえている。実際に核戦争になれば、こんな世界になってしまうだろう。

 「北朝鮮がミサイルを飛ばすと宣伝する必要がアメリカにはある」と友人の大学教授は言う。「トランプ大統領がアメリカの車を日本は買わないと非難するが、日本でも欧州車は売れている。それがなぜか、彼は分かっていない」と友だちも口を揃える。「政府が北朝鮮のミサイルに対して、防御システムに巨額の税金を投入しても国民は納得する。すでにイージス艦を2隻購入する方針だ。防衛費は膨張しているが、いっそうこの傾向は強まる」。「そこで儲かるのはアメリカの軍需産業で、自動車の比ではない」。

 人は本当に愚かしい。彼らキリスト教徒は、「隣人を愛しなさい。右の頬打たれたら左の頬を出しなさい。貧しい人に分け与えなさい」と唱えてきたのではないのか。私は聖書に記されたキリストの言葉に人類が歩む道を教えられたが、私よりももっと小さな時から聖書に触れてきたであろうアメリカの指導者たちは、どうして自己矛盾に気が付かないのだろう。

 「アメリカは寄せ集めの国だ」と卑下して言う人もいるが、最初にアメリカに渡った人々は信仰の篤い、自由と平等を理想とする社会を目指した。けれどもイギリスの支配下から独立するために、武器を持って戦う歴史を選んだ。武器で戦うことで新しい社会を獲得したから、「身を守る・国を守る」ためには武器で戦うことに全く矛盾を感じていないのだ。キリスト教はただ仲間であることの証に過ぎなくなった。

 もうここ辺りで、武器を持たなくていい社会にすべきだろう。キリストもそう願っているはずだ。

コメント (1)
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