弁護士でタレントのケント・ギルバートさんが、「日本は世界の中でも類い稀な、興味深い歴史を作り上げてきました。それに対して愛着を抱き、恋心を抱くということは、誰がなんといおうと、一人ひとりの心に湧き上がって当然の、自然の感情なのです」と言い、「日本人はそろそろ、愛国心についての誤解を正し、非常識で信じがたいタブー感覚から解き放たれるべきでしょう」と諭す。
「日本が好きですか?」と問われれば、「はい」と答えるのに、「愛国心を持っているのですね?」と聞かれると、素直に「はい」と言えないのは戦後政策のためだと、ケントさんは指摘する。「愛国心」という言葉に、私も共鳴できないものがある。おそらくそれはケントさんが指摘するように戦後政策の影響であることは間違いない。
けれど私は、「愛国」に留まることを「OK」としない。「自国の利益」ばかりを求める価値観こそ捨て去るべきだと考えている。そういう点で、「日本が好きなら愛国心を持ってもいい」という次元を超越していると自負している。私たちの世代の多くの日本人が「日本は好き、でも愛国心は持たない」とする態度は、星条旗に1点の曇りもないと考えるケントさんには理解してもらえないだろう。
アメリカの独立宣言は歴史的にも意義深い。けれど、その理想はいつの間にか血で汚されてきた。原住民のインデアンの土地を奪い、アフリカから黒人を拉致し、奴隷として働かせてきた。日本に原子爆弾を投下した。「自由と正義」の国と誇ることのできない歴史があることに、アメリカ人の多くは無頓着だが、私たち日本人は事実を見て、その先を模索している。
アメリカは世界の警察官を自認してきた。けれど、その「法」はどこにあるのか。アメリカに敵対するものを軍事力でねじ伏せてきたが、どうしてアメリカだけが正義なのか。アメリカによって殺された人々の自由と人権はなぜ無視されるのか。こうしたことに目を向けないケントさんから、「日本は長い歴史に育まれた高い美意識と深い文化のある国」と褒め称えられても、私にはうれしくもない。
私たち日本人は、申し訳ないけれど、かなり先を歩んでいる。子や孫たちにそれをキチンと伝えられているのか、心配している。