新美南吉さんと金子光晴さんは、私の父と同世代の人のように思っていた。父は小説家になりたかったが挫折して、小学校の教員で生涯を終えた。新美南吉さんは母の里に近い半田の生まれで、私が育った隣の街の女学校で教師をしながら詩や童話を書いていた。若くして亡くなったから、父よりも年上のように思っていたが、わずかだが年下だった。
金子光晴さんの詩やエッセーから、勝手に父と同世代と思い込んだが、明治28年生まれだから祖父の歳に近い。愛知県の津島に生まれ、幼い時に金子家に養子に出された。名古屋にしばらく住み、親の転勤で東京に移った。金子家は裕福だったのか、光晴さんは早稲田大を中退し、東京芸大に入り、そこも中退して慶応大に入っている。
やりたいことが多かったのか、やりたいことが見つからなかったのか、分からないが3つの大学に籍を置くことができる金銭的な余裕と環境にあったということだろう。10代の後半は、生きている意味や何をすべきか、いろいろ悩むことが多い。光晴さんの彷徨はここから始まったのかも知れない。私はクソ真面目な南吉さんの作品より、真っ正直な自分を吐露する光晴さんの作品に心惹かれる。
光晴さんのエッセーに、江戸時代と明治維新を比較したものがある。「門閥も氏素姓もない平民の子が、大将や大臣を志し、一代の巨富にいどみかかっても、賞賛されこそすれ、咎め立てするものはいない。つまり、開明の御代は、四民平等、各人の能力しだいで、のぞむ運命を切りひらく自由を獲得した」「日清、日露の国をあげての危機に直面するにいたって、喜憂を一つにするよりほかになく、いつのまにか、みな熱心な天皇支持者に豹変してしまった」。
そして光晴さんは、明治以降の国家が国民にもたらした困難や苦難から逃れる術は「忘却」という。昨日から始まった「国会の解散」「政党の再編成」など、光晴さんはどう見ているのだろう。「期待しないこと」とでも言うのだろうか。