秋篠宮の長女眞子さまと小室圭さんの記者会見をテレビで観て、微笑ましく思った。25歳といえば私はもう結婚していたので、あんなにも初々しいというか、清々しいというか、観ている私の方が照れ臭かった。「結婚するまで手を握ったことがなかった」と子どもたちに告白した時、「バッカみたい」と軽蔑されたが、それが普通だと思っていたからに過ぎない。
それにしても日本人は皇室が好きだ。私は「天皇制を廃止せよ」とは思わないが、人権のない天皇が気の毒だと思うし、天皇が「一般人になりたい」と言われるなら、そうされるのがいいと思う。権力のない象徴に祭り上げられ、自分の意思を表すこともできないのは苦痛以外の何物でもない。歴史の経過がそうさせている訳だが、「自由になりたい」のであれば、それでいいのではないかと思う。
皇室の伝統に従いながらも新しいカップルの誕生に、国民の多くが喜びを共有したことだろう。それでもヒネクレ者は「小室さんが太陽で、眞子さまが月か。なかなか美しいたとえだがちょっと心配もある」と言う。「えっ、どうして?」と聞けば、「月は満ちたり引いたりする。いいことばかりじゃーないということさ」と答える。
まあ、夫婦なんてどこも同じ。いい時ばかりが続く訳ではないから、小室さんも眞子さまもそんなことは充分承知のことだろう。日本語は言葉の使い方が豊かなので、「慎重」でなければならないが、そういう点では今、トランプ大統領こそ「慎重」であって欲しい。「北朝鮮に対して武力攻撃はあるのか?」と聞かれ、「今に分かる(We will see)」と答えていたが、武力攻撃もあり得ると思えた。
私の英語力では怪しいが、英語にもあいまいな表現があるようだ。昔、酒が飲めるようになったばかりの頃、居酒屋で歌ったことを思い出す。「松の木ばかりがまつじゃない あなた待つのもまつのうち」。松と待つをかけたものだ。都々逸にも「松といふ字を分析すれば きみとぼくとの差し向え」とある。松の右は「公」で「きみ」と読めるし、左の「木」は「ぼく」と読めるからだ。
こんなダジャレに「ウフフ」と笑ってくれれば、「いいフウフ」になれるはずだ。