友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

バチが当たると言われそう

2025年02月04日 17時33分13秒 | Weblog

 ああ、しまった。やっちまった。今朝、パソコンにスイッチを入れ、自分のブログを開いてみると、昨日の記事がアップされていない。おかしい、確かに原稿は仕上げたのに、いったいどうしたことかと慌てた。

 原稿は確かに仕上がっていたから、ブログにアップするのを忘れたようだ。昨日は朝からドタバタしていて、ブログの記事は早めに書いた。メモ用紙にあった短歌をどこかで使いたかったので、今日はこれでと思った。

 昨日は立春、如月はいいモチーフだ。書けた時は「出来た」と喜んで、カミさんに「終わったよ」と告げに行った。いつもは必ず、アップしたブログを見てから終わるのに、その行為を怠ってしまった。

 カミさんが出かける時、「車のカギ、しらない?」と言う。カギの置き場所には無い。「カバンに入れたんじゃーない」と返答する。カミさんが置きそうな場所を、いろいろ探してみるが見当たらない。きっとカバンの中のどこかにあるだろう。

 カミさんは予備のカギを持って出かけて行った。帰って来た時、「やっぱり、あったわ」と言うと思っていたら、「無いのよ。でも、家の中にあることは確かだから」と、また、探し始めた。そして、「あったわ」と嬉しそうな声で言う。

 認知機能検査の結果、カミさんも私も、合格点に達していた。物忘れや思い違いと、認知機能とは違うようだが、本当にそうかなと疑問が湧いて来る。幼児が初めて会う人を怖がる人見知りは、防衛本能が働くからだ。

 高齢者の物忘れや思い違いも、何か、防衛本能からくるものではないだろうか。これではダメだと他人から判断され、アテにされないための本能ではないだろうか。と、考えてみたが、老化をそんな都合で考えていると、バチが当たるぞと言われそうだ。

 さあー、今日は思い違いしないように終わろう。

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梅も桜もいつか咲くのに

2025年02月04日 10時18分03秒 | Weblog

 テレビを観ていると、横文字を使う人が多くて困る。日本語で言い換えることが出来るなら、日本語で言えばいいのにと思うが、横文字の意味とニュアンスが異なるのかも知れない。それで「オヤッ?」と思う時は、メモしておいて調べるようにしている。

 「ステマ」とか「コスパ」のように、2つの単語を1つで表すのは、英語圏の人に通じるのだろうかと思う。そんなたくさんのメモ用紙の中から、短歌が1首出てきた。「きさらぎの恋のゆくえは寒かろう 梅も桜もいつか咲くのに」。

 著名な歌とは思えないし、自分が作ったという記憶も無い。2月の寒い時に、恋した人を想い慕う姿が目に浮かぶ。私が初恋の人から、「あなたはあなたの描いた人に恋しているのよ」と、別れを告げられたのは2月だったのか。

 恋は青春のものと思っていたが、中年になっても、初老を迎えても、恋する気持ちが衰えることはない。松井久子さんの著書『疼くひと』は、「高齢社会に新しい文学ジャンルを切り拓いた」と上野千鶴子さんに讃えられた。

 「70歳からの恋」はさらに続き、「75歳になって、86歳のひとを好きになって、何が悪いの?」と『最後のひと』を書き上げた。2冊とも中央公論新社の出版で、現在も書店に並んでいる。

 「高齢者のクセに」と顔を顰める人がいるかも知れないが、それはやっかみだろう。他人の幸せを素直に喜べないのは、妬みがあるからだ。中居正広さんとフジテレビの問題から、「フジテレビは止めろ」「週刊文春は廃刊せよ」と言う人がいる。

 暴露記事は間違いを犯すかも知れないが、存続するか否かは会社が決めることだ。SNSについても、「政府が取り締まれ」と言うが、言論の自由を自ら放棄することだと私は思う。大切なことは、受け取り手が賢くなることだろう。

 明日からもっと寒くなると予報されている。季節が寒くなるのは構わないが、世の中が寒いのは絶えられない。「梅も桜もいつか咲くのに」。

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