きれいな青い空だが、風が強く吹いている。カミさんは北の部屋の「カーテンを洗濯する」と言う。「網戸、きれいにして」と命令が下る。網戸に掃除機を当てて埃を吸い取り、窓のガラスや窓枠のアルミを雑巾で拭いた。
午後、カーテンが乾いたので取り付けする。こんな面倒なことを、なぜカミさんはやる気になったのだろうと思いながら、1枚1枚間違いの無いように取り付けた。部屋が明るくきれいになった気がした。
カミさんと私は、美意識も価値観も違う。その溝を埋めないと暮らしていけない気がしていたが、生まれも育った環境も違うのだから、違って当然と思うようになった。いや、全く同じような人間はひとりもいないだろう。
私だって、私のことがどこまで分かっているのだろうか。人はひとりでは生きていけない。みんなでしか生きられないのだから、互いを認め、許し合うしかない。「老いた夫婦は頑固になる。だから、自分から謝れ」と、先輩が円満の秘訣を教えてくれた。
先輩を見ていると、決して彼の方から謝っているようには見えないが、先輩の顔を立てて、「分かりました」と言う他ない。夫婦の関係ばかりでなく、人間が集団の中で生きていく術なのかも知れない。
「殺したいから殺した」とか、「憎いから殺した」とか、「殺してみたかった」とか、よく分からない事件が多い。昔からそんな動機の殺人はあったのかも知れないが、テレビなどが取り上げるおかげで、多発しているように見えてしまう。
私のように家に閉じ籠り、本を読んだり、テレビを見たりしていると、妄想ばかりが膨らんでしまう。けれど、一歩も外に出ないのだから、他人に危害を加えることはない。何のことは無い、閉じ籠り生活は無害生活なのだ。
それで楽しいのかと問われれば、全く楽しくない。人と触れ合うことがなければ、人は干からびていく気がする。今日のようなきれいな青い空の下で、恋人と手をつないで歩きたい。広末涼子さん症候群になっている。
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