みんな、幸せになりたいのになれない。みんな、愛し合いたいのに出来ない。みんな、殺したり殺されたいと願っていないのにそうならない。どうしてこの世界は矛盾に満ちているのだろう。
1776年のアメリカ独立宣言を社会科で学習した時、キリスト教に心酔していた私は、社会は理想へと歩んでいると思った。「すべての人間は生まれながらにして、平等であり、神から生命・自由・幸福の追求を含む不可侵の権利を有する」。
さすがに清教徒だと受け止めた。ヨーロッパからアメリカに渡った初期の白人たちは、貧しいプロテスタントが多かった。厳格な信仰を支えに、新しい土地での困難な開拓に耐えたのだろう。やがて、農作物で成功し、ヨーロッパへ輸出することで富を築くと、植民地支配を強化し取り立てようとするイギリスと対立し、独立戦争へと進んだ。
独立宣言はアメリカの理想を掲げたものだと思っていた。けれど、少年の頃の美談が有名な初代大統領のワシントンも、独立宣言の起草者のジェファソンも、黒人奴隷を酷使した農園主だったと知って驚いた。「すべての人間」に、黒人は含まれていなかったのだ。インディアンは土地を奪われ隔離された。これが清教徒の現実だったのだ。
黒人に選挙権が与えられたのは、キング牧師らによる公民権運動による1964年のことだ。けれど半世紀を経た今も、黒人差別は無くなっていない。25年前にアメリカを旅行した時、大都市シアトルで何人もの乞食を見た。世界一裕福な国に、恵まれない人々がいることに驚いた。
昨日、もうすぐ古希を迎える卒業生の『同級生新聞』のことに触れた。私が一番驚いたのは、みんな立派に生きていることだ。破産したり大病を患ったり、私の苦労など比べ物にならない経過を辿りながら、みんな立派に生き抜いている。
世界は矛盾に満ちているけれど、幸せはいつも手元にある。そんな気がした。
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