どうしてこんな痛ましいことが起きてしまったのか。大人たちは幼い子を見ると、誰もが可愛いと思う。ところが親になると全く違ってしまう。ヨソの子は一瞬の触れ合いだが、我が子は四六時中一緒にいる。泣くし、わめくし、訳の分からないことをする。親がやって欲しいこととは全く違う、「ダメ」なことばかりする。
幼い子にすれば、親は絶対的な存在だ。食事も着る物も寝る場所も与えてくれる。親になるといつの間にか、自分が子どもにとって絶対の権力者になっている。「これが出来なければ食べさせません」と言えば、子どもは訳が分からなくても、どんなに理不尽でも、いやそもそも子どもにとって親は絶対者だから、考えることも許されないから、従うしかない。
東京都目黒区で5歳の女の子が亡くなった。親の虐待による衰弱死という。父親は女の子の実父ではないが、「真面目でよく働いた」とIT企業の元上司は言う。几帳面な男なのだと私は思う。父親になり、女の子を「育てる」ことになって、「絶対」をあるいは「完璧」を求めたのだろう。女の子への要求はエスカレートし、出来なければ「叩いたり」「外へ出す」ことに、何の疑問も感じなくなったのだろう。
母親は実子なのに、「母」から「女」になってしまい、父親の「しつけ」という名の残虐な暴力を、「あなたが出来ないからよ」「あなたが悪いからよ」と、女の子に言って聞かせたのだろう。親にすれば、「子どものためにやっている」と残虐性が見えない。5歳の子が書いていた「反省ノート」を新聞で読んで泣けた。
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」「もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいにやって パパとママにみせるぞというきもちでやるぞ」。 私の親は学校の先生だったが、私は小学校に上がるまで文章は書けなかった。5歳で、こんなに文章の書ける子を、とっても悔しくて涙が出てくる。
方丈いわく「子どもは親を選んで天から降りて来るんだよ。 だから親はしっかり子育てをする事により親になっていくんだね!私はこの虐待の話題から目をそらしたくなるよ」と言われ、私も相槌を打ってきました。奥様も紹介していただき子育て論をしっかり拝聴してきました。ご夫婦ともパワーのある方々でした。