アゲハチョウが1匹ずつ、羽化している。先ほど羽化したばかりと思われるアゲハチョウが、ランタナの花に止まっていた。私が近づいてもすぐに飛び立つ気配がないので、部屋も戻ってカメラを構えると、その時はさすがに舞い上がった。けれども、私の周りをゆっくりと旋回するばかりで飛び立っていかない。「そうか、お前を見守って来たお父さんだとわかるのか」と私はヘンな幻想に囚われた。アゲハチョウはしばらく私の周りを舞った後、大きく旋回して風に乗って消えてしまった。私は自分が育てたわけでもないのに、子どもが飛び立っていったように思った。
アゲハチョウの青虫は4センチ以上になるとミカンの木を降りてくる。鉢の土の上をぐるぐると何度も回り、そのうちに高さ15センチの鉢の縁を登っていく。鉢の内側でサナギになってもよさそうなものなのに、縁の一番上をまた何回も回り、諦めて内側に下りるのかと思ったら、やおら外側を下り始める。以前は鉢の外側でサナギになったものが1匹いたけれど、今回は外側を下っていった青虫は皆どこかへ姿を隠してしまった。
まだ熱いルーフバルコニーの上をくねくねと移動する青虫。何かを基準に動いているのだろうけれど、見ていると鉢からどんどん遠ざかっていたのに、大きく円を描いてまた鉢の側へと戻ってきていた。青虫の移動する速度は遅いように見えるけれど、ちょっと目を放すともうどこにいるのかわからなくなる。1,2,3のリズムの繰り返しで動いていくのだが、その3の時に周囲を窺うようなそぶりを見せる。このそんなに狭くないルーフバルコニーのどこかでサナギになる安住の場所を探しているのだろう。
しかし、そんな危険な目に遭うようなことをしなくても、ミカンの木でじっとしていてもいいのにと思いながら、ミカンの木にいる青虫を眺めていると、青い枝に葉のような色のサナギと黒っぽい幹に黒い色のサナギがいた。素焼きの鉢の外側でサナギになったものは茶色だったから、アゲハチョウのサナギは保護色になる能力を持っているようだ。4センチ以上ある青虫が、サナギになる時は3センチほどに小さくなる。それが羽化する時はかなりの大きさになるのだから不思議だ。
自然界には不思議なことが多い。台風12号で痛めつけられたヘチマは、枯れてしまった葉に代わって新しい葉やツルが生まれてきて、花も咲かせた。しかし、実はひとつもならない。植木鉢には私が買ってきて植えた草木以外の覚えのない芽が出てくることがある。いったい何だろうかと思って、その芽を別の鉢に移して育てているが、名前のわからないものが何鉢かある。どうなるのだろうと思うのは私のクセなのかもしれない。羽化したアゲハチョウは、ここを飛び立ちどこへ行ったのか、何を見てどうなったのか、気になってしまう。
どこで生まれたものでもいつかは朽ち果てる。その過程は興味深いけれど、結果は受け入れる他ない。
アゲハチョウの青虫は4センチ以上になるとミカンの木を降りてくる。鉢の土の上をぐるぐると何度も回り、そのうちに高さ15センチの鉢の縁を登っていく。鉢の内側でサナギになってもよさそうなものなのに、縁の一番上をまた何回も回り、諦めて内側に下りるのかと思ったら、やおら外側を下り始める。以前は鉢の外側でサナギになったものが1匹いたけれど、今回は外側を下っていった青虫は皆どこかへ姿を隠してしまった。
まだ熱いルーフバルコニーの上をくねくねと移動する青虫。何かを基準に動いているのだろうけれど、見ていると鉢からどんどん遠ざかっていたのに、大きく円を描いてまた鉢の側へと戻ってきていた。青虫の移動する速度は遅いように見えるけれど、ちょっと目を放すともうどこにいるのかわからなくなる。1,2,3のリズムの繰り返しで動いていくのだが、その3の時に周囲を窺うようなそぶりを見せる。このそんなに狭くないルーフバルコニーのどこかでサナギになる安住の場所を探しているのだろう。
しかし、そんな危険な目に遭うようなことをしなくても、ミカンの木でじっとしていてもいいのにと思いながら、ミカンの木にいる青虫を眺めていると、青い枝に葉のような色のサナギと黒っぽい幹に黒い色のサナギがいた。素焼きの鉢の外側でサナギになったものは茶色だったから、アゲハチョウのサナギは保護色になる能力を持っているようだ。4センチ以上ある青虫が、サナギになる時は3センチほどに小さくなる。それが羽化する時はかなりの大きさになるのだから不思議だ。
自然界には不思議なことが多い。台風12号で痛めつけられたヘチマは、枯れてしまった葉に代わって新しい葉やツルが生まれてきて、花も咲かせた。しかし、実はひとつもならない。植木鉢には私が買ってきて植えた草木以外の覚えのない芽が出てくることがある。いったい何だろうかと思って、その芽を別の鉢に移して育てているが、名前のわからないものが何鉢かある。どうなるのだろうと思うのは私のクセなのかもしれない。羽化したアゲハチョウは、ここを飛び立ちどこへ行ったのか、何を見てどうなったのか、気になってしまう。
どこで生まれたものでもいつかは朽ち果てる。その過程は興味深いけれど、結果は受け入れる他ない。
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