友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の悩み

2012年05月24日 19時57分05秒 | Weblog

 薔薇が満開になってきた。薔薇の優しい匂いが漂い、華やかなコーナーになった。久し振りに家にいて、チューリップの球根を抜いて土の入れ替えを行った。けれども午後は風が強くなってきて、作業が難しくなった。

 高3の孫娘がやってきて、学校の愚痴を大声で話している。若い政経の先生が、「宿題だ」と言った問題をテストに出した。「非常識だと思わん?答え合わせもしていないのよ」と怒っている。「中国の首相の名前を書けと言うのに、自分は書けないがと言うのよ。まず、自分が書けて、問題に出すべきじゃーない?おかしいのよ、あの先生は」。

 「4月の授業の初め頃は、寝ててもいいようなことを言っていたのに、本当に寝ていたりよそ事やっていたりしゃべっていたりする子がいて、頭にきているとしても、『テストでいい点とっても評価は低いからな』と言うの。それなら、授業に集中するように注意すればいいのに、見た目で評価するっておかしいでしょう」と、愚痴は延々と続いている。

 学校推薦で大学に行く子が多いことも彼女には癪にさわるようで、「私も学校推薦にしてもらおうかな」と言い、「学校推薦で行けるところは目指す学校ではないし、どうしよう」と嘆き節が続く。小さい頃から水泳一本で生きてきた彼女にとって、努力こそが一番大事なことで、努力もせずによい成績をとる子が憎いようだ。

 「結果が一番」と孫娘が言っていたが、一番を取るためには努力が必要だという意味だった。しかし、大きくなると、努力しないでもよい結果を出す人がいることを知る。いや、そういう人でもどこかで努力しているのだろうけれど、それを余り見せないので、彼女には見えないのかも知れない。天才も99%努力だと言っている。

 学校推薦をもらって、早く楽になりたいというのがどうも本音のようだ。それでは、目標に向かってひたすら努力することを大事にしてきたことに反しないか。大学へ行く目的がぶれるのは、「努力なんかせずに楽したい」からだろう。それを全面否定する気はないけれど、若い時からそんな風に生きて欲しくない。

 結果としては、同じということはいくらでもある。それに、艱難辛苦を味わえば必ず幸せになると言うわけでもない。人生はいつでもどこからでもやり直すことは出来るけれど、年をとればそのチャンスは低くなる。大学へ行くことが目的でもないが、後ろ向きになって欲しくないとは思う。家を出て、一人で生活する、そのチャンスは高校を卒業する時だろうと私は思い、孫娘の行く末を見ている。

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