友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

教育の礎なのに、なぜか等閑にされている

2021年11月26日 16時02分14秒 | Weblog

 悲惨な事件が続いている。兵庫県では民家が全焼し、小学生の兄弟2人が死亡した。この家に同居している母親の51歳の弟が、放火の容疑で逮捕された。「子どもが寝ていることは承知していた」と男は言っている。「兄弟は仲良しだった」と近所の人は話している。

 愛知県弥富市で、中学3年生が学校の廊下で同じ3年生に刺身包丁で刺されて死亡した。「嫌なことをされた」とか、「自分自身に不満があった」とか、供述していると報じられた。死亡した中学生は運動ができて、生徒会活動もしている、リーダー的存在だったようだ。

 どうして人間は「殺す」ほど、相手を憎むのだろう。腹が立つようなことはあっても、「殺す」ほどのことは無いはずだ。「ムシャクシャしたから」「誰でもいいから殺したかった」。どうしてそんなに自分勝手なのだろう。殺される側のことは、なぜ考えられないのだろう。

 戦争は全く大量の殺人である。なのに、なぜ止められないのか。憎しみも無いのに、平気で爆弾を投下できるのか、私には分からない。兵庫県の事件も、弥富市の事件も、それ相当な理由があるのかも知れないが、理由があれば「いい」ということでは絶対無い。

 「目には目を」という報復を正しいとする考えを無くさない限り、戦争は無くならないだろう。殺人を無くすには、常に相手の側に立って考えるクセをつけることだと思う。自分が刺されたら、自分が火だるまにされたら、決してされる側にならないだろう。

 人の生きていく道というか、生きている意味を考える教育が必要だ。教育の礎なのに、なぜか等閑にされている気がする。今晩は、「食事券があるから」というので、出かけることになった。


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