友々素敵

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野田内閣の改造

2012年06月05日 21時22分55秒 | Weblog

 野田佳彦首相は4日、参議院で問責決議を受けた田中防衛大臣と前田国土交通大臣のふたりと、問題を起こした小川法務大臣と鹿野農林大臣を退任させるなど、5人の閣僚を入れ替える内閣改造を行った。それは、「様々な諸懸案を前進させるための環境整備」と言う。つまり消費増税法案を巡って自民党との協議に入るためである。野田首相は「国のためにやるべきことをやる。この覚悟以外に私の私心はない」と言う。「不退転の決意」とか「政治生命をかけて」とか、熱意を示す言葉をよく使うけれど、その“中身”は少しも見えてこない。

 増税をしなければこの国は滅んでしまうと民主党政権は言うが、民主党への政権に期待したのはこれまでの政治とは違うスタイルだった。マニフェストは選挙のための飾り物となり、自民党政治と同じスタイルで結局は国民に負担を押し付けるだけの政権交代だった。野田政権を見ていると、自民党と社会党の連立内閣だった村山政権を思い出す。自民党政権では出来なかったことを社会党の村山さんを首相に据えることで、自衛隊の合憲も消費税の引き上げも実現した。官僚たちのしたたかな作戦が見て取れる。

 防衛大臣には、テレビによく出ていた森本敏拓殖大大学院教授を任命した。自公政権で防衛相補佐官を努めていた人だ。「集団的自衛権は国家の権利」と言ってきた「親米・タカ派」の論客である。憲法9条を含め、憲法の改正を主張している。こういう人を抜擢する野田首相の「政治信念」がどこにあるのかというと、大飯原発の再稼動でも「最終的には私が判断する」というように、財界におもねる再軍備論なのかと思う。これは松下政経塾の出身者の傾向なのかも知れない。新しい政治などと私たちが勝手に思い込んでしまったのだ。

 好きになった相手をじっくり観察する人も少しはいるけれど、大方の人は好きだというだけで何も見えなくなってしまう。あばたもえくぼのたとえのように、自分にとって都合の良い方へ作り上げてしまう。美人でなくても美人に見えてくるし、優しくなくても優しいと思ってしまう。恋愛とはそういうものだろう。相手のことを疑いの目で、いやそうでなくても、冷静な目で観察するようなら、それはもう恋愛ではないのだろう。熱くなって、危なっかしいのが恋愛なのだから。

 小泉純一郎さんが登場した時も、「自民党をぶっ壊す」という言葉に国民の多くが酔った。私の知り合いも小泉さんを変革者だと賛美していた。民主党は「コンクリートから人へ」をキャッチフレーズにして、目先の利益に走った自民党政治からの脱却を訴えた。何かをやってくれると誰もが思い込んだ。名古屋の河村市長、大阪の橋下市長も、何かをやってくれるだろうと思わせて市民の高い支持を得てきた。

 アメリカ大統領選挙を控え、オバマ大統領の人気は低迷している。「We Can」と叫んでいた4年前とは全く違っている。アメリカでは中間層から最下層へかなりの人々が落ち込んでいる。「金持ちも貧乏人も、黒人も白人も、民主党も共和党もない。アメリカはひとつだ」というオバマの演説は希望から空虚へ変わった。新しい時代の幕開けなのか、それとも橋下さんらが活躍する時代なのか。こういう時は、私たち自身がじっくり考えるべきなのだが‥。

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