空振りだった。青空が澄み渡り、陽射しは強いが気持ちの良い日だった。みんなウキウキしていた。今日で作業は終わると信じていた。5メートル打ち込んだと言う鉄管の中に、吸管を下ろしていくが、4メートルほどのところで止まってしまった。
1メートルほど浅いが、とにかく水を汲み上げてみることにした。鉄管に入っていた泥水は出てきたが、水は上がってこない。「もう少し、出来れば1メートル、鉄管を掘り下げてみてください」と伝えて帰ってきた。
子どもたちも彼のカミさんも、「まだダメなの」といった顔だった。上手くいかないものだ。ご主人も疲れ果てただろうが、私たちも本当に疲れた。半日で掘れる時もあるのに、2年近くかかわっているのに、全く進展しないのは絶望的な気分でしかない。
先輩が昔、落ち込んでいた時、付き合っていた女性に「抱かせてくれ」と言った。すると彼女は「何を寝ぼけたこと言ってるの。お金を出せば、抱かせる女はいくらでもいるわよ」と突き放されたという。「女は男のように感情に流されない」と先輩は言う。
状況がよく分からないから私が口をはさむことではないが、先輩がどうしてその女性に「抱きたい」と言ったのか、女性は「女が抱きたいだけだけの侮辱」と受け止めたかも知れない。決めつけてしまったら、もう取り返しはつかないだろう。
井戸掘りは賭け事に近い。掘り手がいくら誠意を尽くしても、出る場合は出るし、出ない場合は出ない。先輩の昔話を聞きながら、ご主人が「掘ってみる」と言うのであれば、私たちも付き合うしかない。確かに、もう1メートル掘れれば可能性はまだある。
人生は長い。失敗することもあれば成功することもある。諦めずに立ち向かうことで、未来は開ける。そう信じていなければ、絶望に負けてしまいそうだ。でもなあー、そんな精神論だけでいいのだろうか、不安になる。
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