友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

兼用で使えるものがありますよ

2014年06月09日 18時41分09秒 | Weblog

 エレベターで2人の女性と乗り合わせた。若い女性が年長の女性に、「こんな風に天候が変わると、日傘を持っていくか、雨傘を持っていくか、迷ってしまいますね」と話しかけた。すると年長の女性が「兼用で使えるものがありますよ」と言う。若い女性は「ええ、そうですね」と答えていたが、居合わせた私はヘンな気がした。若い女性は、天候不順で困りますねという、気候の挨拶のつもりだったはずだ。「ホント!変わりやすいお天気ね」という程度の言葉のやり取りを期待していたのに、いきなり兼用があると指摘され、次の言葉に戸惑ったのだ。

 そういえばこんな話も聞いた。娘さんが玄関で「何か落ちてる!」と言った。ゴミなら拾ってくればいいし、娘さんが嫌いな虫なら「ムシがいるから獲って!」と言えばいい。おそらく後者だろうと察してちり紙を持って玄関を見ると、やはりムシだったと言う。直接言ってくれればいいのにということはよくある。長女が「今日の予定は?」と聞いてくる時は、頼みたいことがある時だ。「そちらに何時ごろ行きたい」とか、「孫娘を預かって欲しい」とか、直接用件を言ってくれれば、時間のやりくりならいくらでもできるのにと思う。

 長女は無理には頼めないと思っているから、遠まわしな言い方になってしまうのだろう。長女も次女もダンナの同意がなければ決して勝手なことはしないが、そのためには私たちジジババの意向を確かめ、それでダンナに話して了解を得るという手順を踏んでくる。私たちの娘にしては見上げたものだ。私もカミさんも、ダンナを立てなさいと教育した覚えはないから、いつの間に学習したのだろう。男女は平等という意識が強い我が家にあって、これを反面教師にして、夫婦の在り方を学び取っていったようだ。

 夫婦でも親子でも言葉の使い方は難しいが、やはり相手がどう思うかが基本だろう。こんな話もある。嫁さんが義母に「道端に咲いているあの花は何というのかしら?」と尋ねると、「シラン!」と言う。嫁さんはこんな冷たい義母とうまくやっていけるのかと不安になる。それを察した義母が、「紫の蘭と書いて、シランというのよ」と話し、ふたりは仲良しになった。相手を気遣ったつもりでも、いきなり「疲れた顔をしている」とか「顔色悪い」とか言えば、相手は滅入ってしまうだろう。

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