作家の大江健三郎氏が亡くなった。88歳だった。私にとって大江氏と石原慎太郎氏、高橋和巳氏は青春のシンボルだった。戦後の文学を代表する作家で、高橋氏が1931年(昭和6)生まれで、石原氏が翌年に、4年遅れて大江氏が生まれている。
私の書棚には高橋氏の本は8冊、大江氏の本は3冊、石原氏の本は1冊も無い。高橋氏の本が多いのは、大学の図書室に置かれていた『図書新聞』の書評を読んで興味を持った「孤立無援の思想」から始まったような気がする。
高橋氏の本も大江氏の本も大学生の時か、結婚する前に買ったものだろう。確か、高校の教員になった私が長屋住まいをしていた時、よく学校帰りに遊びに来ていた教え子が、大江氏の「遅れてきた青年」に興味を抱いて読んでいた。
石原氏が昭和31年に「太陽の季節」で芥川賞に輝くと、昭和33年には大江氏が「飼育」で芥川賞を受賞した。大学生か卒業したばかりだったから、新しい時代の幕開けのような騒ぎだった。石原氏の「太陽の季節」は戦後の若者たちを描いたものだったが、大江の「飼育」は彼が子どもの頃の体験がベースにあり、戦争を引きずっていた。
私は高橋氏や大江氏の作品に関心があり、石原氏の作品は「流行もの」と考えていた。高橋氏は30代で亡くなってしまい、大江氏はスランプの時代があった。障害のある息子と向き合う中で乗り越え、作品を発表するようになった。
昨夜のWBCオーストラリア戦で、大谷選手が待望のホームランを打った。そのホームランボールを観客席にいた福島県から来ていた女子大生が拾い上げた。みんなが欲しがる記念のボールを彼女は、周りに見せて触らせ、記念に写真も撮らせていた。
それを見たアメリカの記者が「アメージング」「インクレディブル」と発していた。「とても素晴らしい」「あり得ない」という意味のようだ。戦後78年を経て、日本人の優しさが見えた。大江氏なら、これをどんな小説に作り上げるだろう。しかし、もういない。
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