名演の出し物は、梶山季之の原作をジェームス三木が脚色・演出した『族譜』だった。族譜という言葉の意味は知らなかったけれど、譜は系統立てて書き記すあるいは記したものをいう意味だから、部族とか一族の歴史のことだろうと推測はしていた。重い演劇だった。人間は生まれて、働いて、生きていくだけならどうってことはないのに、生まれた時代や場所によって、その生き方は大きな「力」を受ける。
1910年、大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を実質支配することになる。翌年、朝鮮総督府は府令を公布し、創氏改名を進める。演劇はそんな朝鮮の大地主の家を舞台に始まった。創氏改名を担当する日本人の役人にこの大地主は700年にわたる「族譜」を見せ、一族の当主としては名前を変えることは出来ないと説明する。役人は「創氏改名は思いやりなのです」と説明する。朝鮮人は日本国の臣民になったのだから、日本人と同じようにという思いやりなのだと話す。
大地主は決して反日家ではない。むしろ、朝鮮が中国の属国であったことやロシアの脅威にあったことから、中国とロシアと戦った日本に敬意を抱いている。だから、総督府にたくさんのコメを献上している。けれども、名前を変えることはできない、それでは「族譜」を断つことになると訴える。役人は朝鮮名の一部を残して使えばいいと提案するが、大地主の思いはそんなものではなかった。
やがて、大地主の「家族」に圧力がかかっていく。娘の婚約者は民族主義者のレッテルを貼られ、投獄されそして殺される。学校は国民学校と名前が変わり、日本人の先生は「朝鮮の名前の子は通学できない」と孫たちに宣告する。役人は創氏改名は義務ではあるが強制ではないと言う。学校の先生も子どもたちが差別されないように、早く創氏改名した方がいいと思って言ったのかもしれない。どんな風に言われようと言われた側の気持ちは分からない。こういう事態におかれると、日本人だけでなく誰もがこうなってしまうのかもしれない。
私は強制されると余計に反発するところがあるから、こんな風にみんなが揃っている社会では生きていけない。本当に現在に生きていてよかったと思う。当時の日本では、戦争に反対することは許されなかったし、政府や軍部を批判することもできなかった。みんなが粛々と戦争勝利に向かって心をひとつにしていた。皇国日本の臣民であることを誇りに思うようにと、「世界でひとつの神国」と教えられ、『教育勅語』を暗唱させられた。同じことができない人間は「非国民」と罵られた。
大地主は孫のために創氏改名に応じるが、自らの命を絶ってしまう。今、尖閣諸島の問題で中国は船長の無条件釈放を求めている。中国国内では強い反日の抗議が続いている。私の70歳の友だちは、「中国や韓国は話しなど出来る国ではない。自衛隊を出動させて尖閣諸島を守れ」と過激なことを言う。私には中国にも韓国にも友だちがいるが、とてもよい人たちだ。アメリカの友人もお人よしだ。「国益を守れ」では国と国の争いになってしまう。
殺されるより奴隷でいいのではと言う私は「非国民」とつるし上げられるだろう。それでも人の死の上に「国益」を求めてはならないと思ってしまう。
1910年、大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を実質支配することになる。翌年、朝鮮総督府は府令を公布し、創氏改名を進める。演劇はそんな朝鮮の大地主の家を舞台に始まった。創氏改名を担当する日本人の役人にこの大地主は700年にわたる「族譜」を見せ、一族の当主としては名前を変えることは出来ないと説明する。役人は「創氏改名は思いやりなのです」と説明する。朝鮮人は日本国の臣民になったのだから、日本人と同じようにという思いやりなのだと話す。
大地主は決して反日家ではない。むしろ、朝鮮が中国の属国であったことやロシアの脅威にあったことから、中国とロシアと戦った日本に敬意を抱いている。だから、総督府にたくさんのコメを献上している。けれども、名前を変えることはできない、それでは「族譜」を断つことになると訴える。役人は朝鮮名の一部を残して使えばいいと提案するが、大地主の思いはそんなものではなかった。
やがて、大地主の「家族」に圧力がかかっていく。娘の婚約者は民族主義者のレッテルを貼られ、投獄されそして殺される。学校は国民学校と名前が変わり、日本人の先生は「朝鮮の名前の子は通学できない」と孫たちに宣告する。役人は創氏改名は義務ではあるが強制ではないと言う。学校の先生も子どもたちが差別されないように、早く創氏改名した方がいいと思って言ったのかもしれない。どんな風に言われようと言われた側の気持ちは分からない。こういう事態におかれると、日本人だけでなく誰もがこうなってしまうのかもしれない。
私は強制されると余計に反発するところがあるから、こんな風にみんなが揃っている社会では生きていけない。本当に現在に生きていてよかったと思う。当時の日本では、戦争に反対することは許されなかったし、政府や軍部を批判することもできなかった。みんなが粛々と戦争勝利に向かって心をひとつにしていた。皇国日本の臣民であることを誇りに思うようにと、「世界でひとつの神国」と教えられ、『教育勅語』を暗唱させられた。同じことができない人間は「非国民」と罵られた。
大地主は孫のために創氏改名に応じるが、自らの命を絶ってしまう。今、尖閣諸島の問題で中国は船長の無条件釈放を求めている。中国国内では強い反日の抗議が続いている。私の70歳の友だちは、「中国や韓国は話しなど出来る国ではない。自衛隊を出動させて尖閣諸島を守れ」と過激なことを言う。私には中国にも韓国にも友だちがいるが、とてもよい人たちだ。アメリカの友人もお人よしだ。「国益を守れ」では国と国の争いになってしまう。
殺されるより奴隷でいいのではと言う私は「非国民」とつるし上げられるだろう。それでも人の死の上に「国益」を求めてはならないと思ってしまう。
歴史を語るとき、忘れてはならないのは現代の国内外の情勢を基準に善悪を判断してはいけないと思います。
上記の文章を読むと、戦前の日本がまるで北朝鮮のような独裁国家のような印象を抱いてしまいます。きっと、鈴木さんの中では戦前=暗黒の時代なのでしょうね。
あのとき、日本が戦争を起こさなければ、世界平和が訪れたのでしょうか?アメリカとソ連で南北に分割されて統治されていたかもしれません。まぁ、アナーキストである鈴木さんはそれでもよいと仰るでしょうね。
で、アメリカなりソ連なりに「創氏改名」をすすめられたら、鈴木さんはどうされますか?
日本語しか知らない人は、日本についてもよく知らない。
言語は、考えるための道具である。
言語が違えば、考え方も異なる。
日本人は、本当に礼儀正しいのか。
我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。
言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。
日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
日本人には、意思がない。
それで、勝手な解釈を利用する。
日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
恣意は、相手により察しにより文章化される。
本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。
日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間になる。
義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。
意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られる。
これは、浪花節でしょうかね。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812