青い空が広がり、台風一過の爽やかな日だが、北風が強く吹いている。ルーフバルコニーに出られずもっぱら本を読んでいるか、読書のふりをして転寝をしている。退屈な本だとどういう訳か自然と睡魔に屈服している。
「最近、見たいもの無いわねえ」と、カミさんが新聞のテレビ番組表を眺めて言う。私が「これが見たい」と言っても、その時間帯に彼女の見たいものがあれば却下されるのだから、私は希望を言わないようにしている。
確かに、私たちのような高齢者が見たい番組が無くなった気がする。いや、それだけ私たちが歳を取ったのだ。私が子どもの頃、我が家には近所に先駆けてテレビがあった。けれどチャンネル権は祖父にあったから、祖父の見たいものを見ていた。
祖父が居ない時、私が洋画を見ていたら祖父が入って来て、「こんなくだらんものの何が面白いんだ」と言った。フランス映画の『禁じられた遊び』だった記憶だが定かではない。年寄りと子どもでは面白いものが違うのだと悟った。
昨日の孫娘のピアノ発表会は4時間近くもあったのに、カミさんは最後まで生中継を観ていた。「音楽って、やっぱりいいわね」と感嘆する。多分、人類の誕生と共に音楽は生まれたのだろう。人の住むところに必ず音楽はある。
ピアノ曲やクラシックは落ち着いて聞いていられる。ロックは既成のものへの抗議が込められていた。楽理で作られた音楽よりも、心の叫びを表していた。ラップといわれる早口の歌は年寄りにはついていけないのか、共感することが無い。
若い人たちが世の中を支え引っ張っていくのだから、若い人たちが好むドラマや音楽や言葉が主流をなしていくのだろう。私たちの若い頃もそうだった。けれど今、私たちはボッソっと、「ついていけないわねえ」と呟く。
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