友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

お寺の古井戸調査

2009年06月06日 22時53分21秒 | Weblog
 久しぶりの肉体労働で今も右腕の筋肉が張っている。今朝は、NPOおたすけでお寺の古井戸を調査した。地下4メートルほどある古井戸だが、水が出なくなったというのである。井戸を覗くと確かに3メートルほどのところに水が見える。私の家にもあった昔の井戸だ。井戸の周りは常滑焼(?)の土管が積まれており、その下には松木が円状に打ち込んである。井戸の直径はおそらく90センチくらいだ。

 地下4メートルほどのところには水のために見えないけれど、古い井戸に詳しい仲間の話では松木の板で泥や砂が浮かび上がらないように押さえがしてあり、そのために板の上には石が置かれているそうだ。これでは4メートルよりも下へ掘り進めることは無理か、この古井戸はあきらめて他の箇所に新しい井戸を掘ったほうが良いのだろうか、思案に暮れている時だった。仲間のひとりが「おかしいな、ここはもっと深くまで鉄管が入るな」と言う。

 「それなら、真ん中で入るところが見つかればうまくいくんだがな」とベテランが言う。それでもう一度、鉄管を真ん中に突き刺してみようと試してみるうちに、ズバッと鉄管が入り込んだ。みんなの気持ちが明るくなった。ならば、ここに塩ビ管を打ち込み、これまでのように水圧をかけて掘ってみようということになった。やってみると順調に堀り進めることが出来た。うまくいった。これでいいだろうというところで水を汲み出してみる。

 1時間ほど水を汲み上げたけれど、出てくる水は泥水だ。気に入らない。このまま水を汲み続ければきれいな水になるかもしれないが、どうも不安だ。もう一度、塩ビ管を打ち込んで掘り進めてみよう。みんながそう思った。やり直しは結構きつい。うまくいけばよいけれど、うまくいかなければ、あの時にああ言わなければ良かったのにと人を恨むことになりかねない。塩ビ管を打ち込み、「ヨイショ、ヨイショ」と掘り下げる。どんどん塩ビ管は下へと入り込んでいった。

 腱鞘炎だからと私をかばってくれていた友人も疲労気味になっていたし、私の右手もかなり回復してきているように思ったので、私も仲間に入って力いっぱいに塩ビ管を掘り下げる。「よし、これでいいだろう」とベテランが言う。水を汲み出すがまだ泥水だ。これではダメだ。そう思ったけれど、ベテランは「このまま、水を汲み上げ続ければいい水になるはずだ」と言う。言葉どおり初めは泥水だったけれど、次第に水の色が澄んできた。柄杓に汲んでみると、水は透明になってきているが、まだ底に小さな砂が見える。

 これならしばらく水を汲み続ければ、砂は時間と共に少なくなっていくだろう。水の道が出来て、きれいな水が集まるようになるからだ。そう期待し、今日の作業を終わる。
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