友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

雪になるのだろうか

2011年12月16日 19時05分20秒 | Weblog

 昨夜から猛烈な風が吹いている。昼間は途切れていた風が夕方からまた強くなった。昼過ぎも、太陽が出ていたと思ったら急に西が真っ暗になり、雨なのか霙なのかがどっと降ってきた。朝方会った人に、「今日は寒くなりそうですね」と挨拶すると、「雪になるかも知れませんけど、冬はこんなものじゃーないですか」と言われてしまった。確かにこれまでが暖かすぎたから、急な寒さが身に応えるのだろう。風が強い。我が家から伊吹山が見えるけれど、その北の辺りから黒雲がどんどん広がってくる。冬の雪雲だ。その様子を見ていると恐ろしいほどの景色なのになぜかワクワクもする。

 

 子どもの頃、伊吹おろしは冷たくて身震いしたが、あれは着る物が貧しかったからなのだろうか。子どもたちの中には冬でも素足の子がいたし、毛糸のセーターのない子もいたように思う。家の中で暖をとるといっても火鉢があればいい方だった。昭和30年代になる頃、小学校の高学年の頃だと思う。友だちの家には電気ストーブがあったし、蓄音機もあった。次第に生活が豊になっていくのだが、その差は大きかった。トヨタの城下町だったから、争議も度々あった。我が家の斜向かいにトヨタの重役の家があり、赤い鉢巻の労働組合の人たちがその家を取り囲んでいたこともあった。

 

 私が家庭を持つ頃は、みんなの家にテレビがあり、暖房器具があり、そこそこに暮らしていられた。国民の多くが自分は中流と感じられる時代だった。労働争議は下火になり、学生運動は見られなくなった。今では政党や組合が主催するようなデモはなくなり、普通の主婦や若者がインターネットの呼びかけで、脱原発を訴える行進をしている。その一方で、父親が1歳のわが子をマンションの10階から投げ落としたり、派手な生活を維持するためなのか連続殺人を犯した人もいる。毎年3万人が自らの命を絶つ社会はどこかが狂っている。

 

 昨日のテレビで、アメリカのオバマ大統領がイラク戦争の終結を宣言していた。勝手に人殺しをしておいて終結宣言とはなんと恐ろしい国だ。大量破壊兵器は存在しなかったのだから、攻撃の目的はなかったのに、そのまま居座り続けた。命令でイラクに派兵された若者はどんな思いで留まっていたのだろう。フセインを捕らえた後もアメリカ軍は撤退しなかった。オバマ大統領は「お帰りなさい」と兵士に語ったけれど、「申し訳なかった」とは言わなかった。あくまでも対テロとの戦いであり、正当な行為と思っているからだ。最前線ではなく、暖かな湯水がたっぷり使える場所にいる人には結局何も見えないのだ。

 

 豊かな暮らしをしていると、苦しかったことを思い出すことなどない。いや思い出したくない。ニューヨークのウォール街で、「99%が貧しくて働く場もないのに、1%はぬくぬくと暮らしているのは不公平だ」と叫んでいた人たちはどうしているのだろう。アラブ諸国で起きたデモも同じ内容だったが、国の形を変えるほどだった。アメリカやヨーロッパのような先進国では無力なのだろうか。ロシアではプーチン体制が揺るぎ始めている。長期政権は受け入れられなくなった。中国も例外ではないだろう。外はまだ強い風が吹きつけている。雪になるのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お菓子作り

2011年12月15日 18時32分54秒 | Weblog

 高校2年の孫娘が、お菓子作りをしている。自分の家ですればよいのに、密かに練習をしておきたいと言うのだ。25日に友だちと一緒にお菓子作りをするので、その前に一度やっておきたいのだと言う。それに25日は両親の特別な日で、「お祝いの料理とお菓子をプレゼントする」と張り切っている。これまで、料理やお菓子作りなど全く興味がないような子だったが、やはりイベント好きな血は流れているようだ。娘たちも中学か高校の頃、なにやらお菓子作りをやっていた。

 

 私たちの中学や高校の頃はまだ、そんな風習はなかった。男女が一緒にいれば「不良」扱いだった。グループでの付き合いはいいが、1対1はダメと言われる時代だった。私は結婚するまで手も握ったことがなかったけれど、そのことを娘たちに話したら、「馬っ鹿みたい」と軽く笑われてしまった。外国の青春映画のように、公園を手をつないで歩いてみたいと思ったけれど、そうする勇気はなかった。同世代の中には、1対1で付き合っていた人もいたし、キスしたと誇らしげに言う人もいた。だから勇気と機会に恵まれなかったに過ぎないのかも知れない。

 

 好きな人のために料理を作るとか、お菓子を作るということが、一般的になってきたのはずいぶん経ってからではないだろうか。私が初めてもらった手作りお菓子はアップルパイだった。甘酸っぱい恋の味だった。「誕生日会」の友だちの中にはお菓子作りが得意な人もいて、いろんな手作りケーキを頂くようになった。私はお酒も好きだけれど、甘いお菓子も好きで、我が家では何かのイベントの最後はお菓子とコーヒーとかのお茶で終わる。私の父も甘いものが好きだったので、晩御飯の後しばらくするとお茶とお菓子ということがあった。娘たちのボーイフレンドが来た時、お酒の後でケーキとコーヒーを出してびっくりされたことがあったが、我が家の特有な習慣だったのだろうか。

 

 いいにおいがしてきたので孫娘に、「どう、順調?」と声をかけると、「バッチシ!」と答える。本当にこの子は楽天家だ。「テストどうだった?」と聞けば、「うん、バッチシ!」と言う。それで後で「何点だったの?」と聞くと、「できんところがあった」と言う。あの自信は何だったのかと不思議に思う。お菓子作りをしている時も、「むいているみたい」と自信満々だからおかしくなる。でも、それくらい自信をもっていた方が良いのかも知れない。うまく出来なくても、「初めてだからしょうがない」と言い、何度もやったことなら、「こんなものだと思うよ」とへこたらない。あくまでも前向きでチャレンジャーに徹している。

 

 孫娘もいつか好きな人のためにお菓子を作るようになるのだろう。料理を作って食べさせるようにもなるだろう。まだまだ子どもだと思っていたけれど、来年は高校3年生だ。その次の年はどこかの大学に入り、親元から巣立っていくのだろう。「大丈夫か?」と聞けば、「うん、バッチシ!」と答えるのだろうが、どうなることかとちょっと心配だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日、朝を迎えられるか

2011年12月14日 19時02分53秒 | Weblog

 穏やかな夕焼けだった。何事も無く一日が暮れていく。十数時間も経てば、今度は東の空が明るくなる。何億年か何兆年か知らないけれど、そうやって繰り返されてきた。けれども、私たちは過ぎ去った1分1秒も取り返すことが出来ない。明日、朝日を見ることの確証も無い。人には今しかないし、つくっていくことが出来るかもしれないものは、これからの時間でしかない。

 

 新聞広告に五木寛之氏の『下山の思想』が載っていた。「グローバルな下山の時代が始まった。もう、知らないフリはできない」とある。「どんな深い絶望からも、人は立ちあがらざるを得ない。(略)敗戦から見事に登頂を果たした今こそ、実り多き明日への『下山』を思い描くべきではないか」。「法然、親鸞、日蓮、道元など、すべての人々は山を下りた」「成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す」。

 

 さらに、国文学者の中西進氏は「“山は下りるためにある”―野なる者の沈思者の言葉が胸に響く。この言葉はかつてないのではないか」。作家の瀬戸内寂聴さんは「小さな低い声で大切なことをささやかれているような気分になる本だ。この最悪の災害をどう乗り越えていくのか。山頂を極めた登山者が下山するような慎重さと細心の気配りと無欲こそが秘策だと教えられた」。また作家の重松清氏は「そうか!新たなる夜明けを迎えるには、まず夕暮れの空の美しさを愛さなくては―。“下山”はリタイアの思想にあらず。僕たち現役最前線の世代にこそ必要なものだ」と添えていた。

 

 恋する人にもう一度会いたいとか、愛する人の肌のぬくもりを得たいとか、人はささやかな欲望を抱くけれど、それは明日があると思うからだ。今は、すぐに過去のものになってしまうけれど、明日や明後日ならまだ充分な時間がある。1年先や2年先ならなおさらである。だからきっと夢が持てるのだろう。今度こそ失敗しないようにしようとか、ぜひ行ってみようとか思う。年寄りはどうなのだろう。夢を抱くことは次第になくなり、現実的に日々が暮らしていけるならそれでいいと言う人が多いのだろうか。

 

 今日の朝日新聞に「若者論は不毛だと主張する26歳の大学院生」へのインタビュー記事が載っていた。今の20代の若者は年金や医療などで高齢者よりも1億円も損をすると言われている。誰が何を基準に弾き出したのか知らないが、そんなことを問題にするなら、私たち年金生活者でも上の人と下の人とでは差があるし、このままなら50代の人はもっと低くなりそうだ。大学院生は「不遇の世代と言われれば、その通りです。けれど、そのことと20代が不幸というのは別の話です」と正確に答えている。

 

 内閣府の世論調査では20代の70%が今の生活に満足と答えているそうで、どの世代よりも高く、過去40年で最高の数字だそうだ。しかし「悩みや不安がある」という答えは、30年前は40%を切っていたのに、今では63%にもなっている。「若者論は大人の自分探しだと思います。(略)若者をおとしこめて世の中が変わるんですか?」「若者よ頑張れと呼びかけられるのにも違和感があります。年配の方がやりたいことを、都合良く若者にけしかけて社会を動かしたいという願望が見えるからです」という彼の指摘は正しい。

 

 明日、朝を迎えられるか、その可能性が低くなってきたらじっとしていた方がいい。それでも日暮れれば朝は来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ダイナミック琉球』

2011年12月13日 19時20分05秒 | Weblog

 石垣島のホテルで、エイサーの実演を見た。親族でエイサーを演じるグループだった。5歳くらいの女の子が一家のひとりとして踊っていて、とても可愛くて人気の的だった。何曲かを歌って踊ったけれど、その中の最後の曲に、私は「神のお告げ」を受け、絶対に買って帰ろうと思った。楽団のひとりに「今の曲は何と言うのですか?」と聞いてみた。「その曲はCDになっていますか。どこへ行ったら買うことが出来ますか」と矢継ぎ早に尋ねた。沖縄から全国へ広がった歌はいくつかあるけれど、この曲も必ずヒットすると思った。

 

 翌日、起きて「アレッ」と思った。覚えたつもりでいた曲名が出てこない。一緒にいた友だちに聞いても「知らない」と言う。素晴しい曲だったのに関心ないのかと少々がっかりした。それでも私はどうしても手に入れたいと思った。ホテルの人ならば分かるのではないかと、フロントの女性に「昨夜、ロビーで行われたエイサーの中で歌われた曲なのですが、『風よ』という歌詞のある」と言って口ずさんでみせた。「ええ、ダイナミック琉球ですね」と答えてくれた。私のメロディーの記憶も間違っていなかったようだ。覚えやすい曲名だと思ったのに、やはりメモくらいしておくべきだった。「それはCDになっているようなのですが、どこへ行けば買えますか」と尋ねると、「ホテルの売店にも置いてあると思いますので確かめてみますね」とすぐに電話してくれた。

 

 「ございますよ」と教えられ、買ってきて何度か聞いてみた。CDは男の人がひとりで歌うものだった。イクマあきらさんという人だ。ホテルでは男2人と女4人で歌っていたので膨らみがあり、それにテンポも速かった。それでも何度か聞いているうちに、CDのゆったりとして歌い方もいいかと思うようになった。『ダイナミック琉球』は必ずヒットするからぜひ一度聞いてみて欲しい。沖縄らしい節回しがとても気持ちいい。でも、言葉の分からない部分がかなりある。八重山諸島に行ってみて、沖縄を中心とするこの南の諸島は異国だなと思った。生活のスタイルは台湾とよく似ている。言葉はどこに似ているのだろう。

 

 太鼓で踊るエイサーは、東北の念仏歌が元祖だという。そう思って聞けば確かに念仏歌のにおいがするし、念仏踊りの雰囲気もする。昔、NHKラジオ番組で各地の民謡を取り上げていたが、どこそこの民謡の元になったのはこの民謡ですという解説を聞いて、なるほどと思った。民謡も船で港から港へ伝わったり、あるいは陸上の運搬で、馬子たちによって伝えられたりしたのだ。人は昔からそんな風に文化を広げていったのかと感心した。沖縄の音楽もまた、北の国や南の国から伝わり、熟成して独特のものへと成長していったのだろう。

 

 沖縄を中心とする諸島が独立した国であったなら、今日の沖縄の悲劇は無かったのかも知れない。そんな歴史を見ない「たられば」を考えても仕方の無いことだが、美しい南の島の雄大な夕焼けを見ていたら、軍隊を持たない島々が外交だけで生き延びてきたことの尊さとやりきれなさを思わずにはいられなかった。「名もなき民の 声なき歌を 道に立つ人よ 風に解き放て」(『ダイナミック琉球』より)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「老い」への準備

2011年12月12日 20時03分47秒 | Weblog

 膝のMR検査の日だった。「手術と言われたら、心電図の検査結果を見せ、脈拍数が低いことを言わなければダメだよ」と看護師をしている長女にきつく言われたので、毎日付けている血圧日記を持参して行った。MR検査の後、診察まではかなり時間があった。だんだん嫌気が増して来て、後日ということにしようかと思っていたら名前を呼ばれた。MR検査の結果、半月板に損傷があり「これが痛みの原因でしょう」と言われる。それから「ウーン、これはひどい」と言って、横3センチ、縦1センチほどの穴があいている部分を見せてくれた。それでどうなるのだろう?穴のあいた部分を埋めるような手術でもすると言うのだろうか?削ることは出来ても生めることは出来ないのでは?と思いながら先生の話を聞く。

 

 「90度しか曲がりませんでしたね。リハビリをして様子を見ましょうか」と言われる。「いいえ、180度曲がりますが‥」「ああ、そうですか。曲がらないのは左の方ですか。痛みはどうですか?」「常時痛みはありません。ただ、同じ姿勢から次の動作に移ろうとするとギャーと痛みます」「うーん、痛くて歩けないようなことがあればまた診察しましょう。今日で終わりますね」「はい、ありがとうございました」。私は一礼して診察室を出たけれど、薬も無ければ温めるとか冷やすとかマッサージするとか、何も無いことになぜかがっかりしてしまった。この病院で手術を受けるという人は予約がいっぱいだからと4月になったと聞いた。人気が高いのに私は何もないのか。それを素直に喜べばよいのに物足りなく思ってしまうのはどうしてなのだろう。

 

 MR検査を受けながら何年か前に知り合った友人のことを思い出していた。彼も先日MR検査を受けた。5年ほど前にガンが見つかり摘出手術を受けた後、定期的に検査を繰り返しているそうだ。私よりも1つ年上だが、ほぼ同年と言っていい。体力維持には気をつけていて、定年後は暇さえあれば10キロのジョギング、そして毎日100回の腕立て伏せ、50回の腹筋を行っていると言う。どうしてそんなに精力的に身体づくりを行っているのだろうかと尋ねたら、もちろん何時までも健康な身体でいたいと願うからだと当たり前の答えが返ってきた。けれども、彼にはカミさんの他に好きな女性がいる。しかも18歳も年下である。健康でなければ付き合っていけない気持ちはよくわかる。

 

 18歳も年下の女性とどんな話をするのだろうと勝手な想像をしたけれど、よく考えて見れば50歳である。18年の違いは大きいけれど、50歳にもなればもう歳の差などは無いのも同然だ。歳を取ると、別に家庭に問題があるわけでもないのに、相手に不満があるわけでもないのに、人恋しくなる話はよく聞く。人生の最終コーナーに差し掛かってきて、もう一度自分を取り戻したいということなのかも知れない。私の中学からの友だちも、「友だち以上恋人未満」の人がいたけれど、最近は彼女の話を聞かなくなった。話しぶりからは「恋している」ことに間違いないと思うけれど、「老いたみっともない身体では会えない」と何かの検査の結果の後、そんなことをつぶやいていた。

 

 「老い」への準備も人様々だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷崎潤一郎と佐藤春夫

2011年12月11日 22時22分37秒 | Weblog

 「iPhone」や「iPad」の生みの親であるスティーブ・ジョブズさんは仏教に関心を持っていたという記事を読んで、そうだろうなと勝手に思った。彼が何をどのようにしてコンピュータを作り上げたのか全く知らないし、そもそもそれらの操作もできない。2歳5ヶ月になる孫娘は「iPad」を操作して、一緒に歌ったり踊ったり出来るのに、私は自分のパソコンが操作できればそれで充分だと思っているが、本当はそれさえも出来ていないのが現実だ。スティーブ・ジョブズさんが仏教に関心を示したのはキリスト教社会で生きてきたからだろう。

 

 神は唯一つの絶対的な存在で、人は決して神にはなれない小さなものだ。スティーブ・ジョブズさんは神になるつもりなど無かっただろうけれど、「これしかない」という考え方は出来なかったのだろう。可能性を探るためには、現在を否定しなければならない。信仰がどんなものなのか、私には分からないけれど、信じるためには現在を否定して進まなければならないのかも知れない。仏教は、私が知っている限りでは、とても忍耐強く寛容である。善人だけでなく悪人をも救う。ひたすら自己の心との対決を求めている。キリスト教は「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたなら左の頬を突き出せ」と、一見消極的なようで実に戦闘的な対応を求めている。

 

 「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を突き出せ」とするキリスト教でありながら、敵対する者を殺してきた。左の頬を突き出す前に撃ち殺してきた。仏教もまた、殺生を禁じながら殺し合ってきたけれど、絶対的な唯一つの神しか存在しない欧米社会の人々には、寛容で忍耐強い仏教に「救いを感じる」のではないのだろうか。自分の心の問題へと突き進むが故に、社会の不合理に立ち向かうよりも、もっと根本的で先が見えるように感じてしまうのかも知れない。人と社会との相互作用で人類は成り立っているのだから、人の心へと関心が向かうのも悪くないと私は思っているが、どうだろうか。

 

 『新潮45』12月号に、谷崎潤一郎の孫娘である高橋百百子が記事を寄せていた。谷崎は29歳の時に結婚したけれど、妻千代子の妹(「痴人の愛」のモデル)に心惹かれていた。6歳下の佐藤春夫は千代子に燐憫と愛情を抱くようになり、文壇のスキャンダルとなる「妻譲渡事件」が生まれた。すぐではなかったが千代子は春夫と結婚する。谷崎と千代子の間に出来た子どもは春夫が引き取った。その子どもの子が百百子である。彼女は千代子に「行ってきなさい」と言われて、谷崎が再婚した女性と暮らす家にもよく出掛けていたという。

 

 百百子の記事によれば、ふたりの祖父はとても対照的な性格だった。谷崎は物凄い勉強家で几帳面、書斎には誰も入れず正午になるときちんと食事をする。子どもは好きではなかった。佐藤の方は感性的なタイプで、寝転がったまま原稿を書く。子どもが好きですぐ「遊びにおいで」と言う人だ。カッとしたらカッとしたまんま、しばらくしたら怒ったことも忘れてしまう。だからそう深く考える人ではなかった。逆に、谷崎は深いところで考える人だったそうだ。残念ながら私は谷崎潤一郎も佐藤春夫も1冊も読んだことが無い。ようやくこの年齢になって読めるような気がしてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分はどうかという視点

2011年12月10日 21時38分56秒 | Weblog

 3日間休むつもりが1日多くなってしまったのは、ひとえに私の怠け癖が出たからだ。新聞もテレビも見ていなかったが、相変わらず嫌な事件が多い。埼玉県の通り魔事件は夜間高校生が犯人らしい。彼は猫の死体を学校へ持ち込み、「次は人間を殺す」と言ったり、女子中学生を切りつけそれでも殺せなかったからと小学生の女の子を背中から刺している。どう考えても尋常ではないと思うし、なんとなく神戸の「酒鬼薔薇」事件や秋葉原事件を思い出させる。「どうも私たちの子育ては子どもに甘過ぎた」と同世代が言う。

 

 中には大阪の橋下新市長のように、「日教組の教育が間違っていたからだ」とまで言う友だちもいる。日教組が組織を挙げて教育できるような時代もそして組織もわずかであったと思う。愛知県の小・中学校の教員は全員が日教組の組合員だけれど、県教育委員会の方針の下で文部省の指導を忠実に実践してきた。高校は共産党の支持勢力が強かったけれど、だからと言って教育実践で格別なことを行う教員はいなかった。今日のような状況は、誰に責任があるのかと言えば、もちろん時代を形成してきた私たち全員にあるだろうし、その時代の指導的な立場にあった人の責任は少し重いだろう。

 

 東大を退官した上野千鶴子さんの言葉が昨日の中日新聞に載っていた。「少なくとも私自身は、少なからぬ人たちが原発は危険だと警告しているのを知っていた。なのに、許容はしなくとも反対の声を上げなかった。暗黙の同意を与えていたことになり、福島の人たちよりも罪が深い。悔いと反省があります」。学生運動が激しかった68年世代、ドイツの学生たちは緑の党をつくり、政治権力の中枢へ入っていくけれど、日本では出来なかった。上野さんが長年にわたってかかわったフェミニズムの運動も「日本をそれほど変えられなかった」。

 

 今、若者たちの多くが働く場所がない。私たちの時代は努力すれば道が開けた。大金持ちにはなれなくても小金持ちにはなれたし、家も車も買い、外国旅行にも出掛けられた。小さな夢であってもそれを追いかけることが出来た。それで、子どもたちも当然そんな生き方をするものだと思い込んだのかも知れない。しかし、夢が見られないほどの現実が子どもたちには迫っていた。それを努力が足りないからだと責めたりしていた私たちの世代もここに来て、やっと大変な時代になったと分かってきた。

 

 今日の中日新聞には東大教授だった坂本義和さんのインタビュー記事が載っていた。太平洋戦争の開戦を振り返り、「当時は『戦争は間違い』とは言い切れず、最後は『親を守るために自分は戦う』と正当化するしかなかった」と述べている。そして「戦争が終わると、世界が逆転して国のウソがどんどん出てくる。国に裏切られたと思うと同時に多くの兵隊たちは何のために死んでいったのか、という思いが募りました」。「何のために夫や息子が死んだのか、という思いの人は多かったと思います。だが、問題はその先です。責任を問うと言う問題です。誰が戦争を決めたのかを問わなければいけない。しかし、日本人は上の人が下の人の責任を問うことはあっても、下の人が上の人の責任を問う文化がない」。

 

 上野さんが、声を上げなかったことの罪を上げ、フェミニズムの限界を指摘していることを見習うべきだろう。自分はどうだったのかという視点から問題を捉えなければ単なる犯人探しになってしまい、それでは何も解決しないのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソロンの改革

2011年12月05日 21時32分03秒 | Weblog

 胸の痛みは恋の病だけれど、膝の痛みは何だろう。「それは老化です」と皆が口をそろえて言う。そう言われてしまっては情けないが仕方ないかと思う。先日、整形外科を受診して、患者の多いことに驚いた。入院施設の無い個人医院でも若い医者のところでも待合室は人でいっぱいだ。耳鼻科も人気のあるところは予約制で、それでも何時間も待たなくてはならないと聞く。内科や外科など年寄りの患者の多い病院は常に込み合っている。それだけ年寄りは、いろんな病気を抱え込んでいると言うことだろう。私の身体もあちこちと欠陥があらわになってきた。長い間使っていながらメンテナンスを怠ってきた罰だ。

 

 地球も次第に危機を迎えている。各国が税収を上回る支出を繰り返し、国債を発行して食いつないで来たが、いよいよ危機があらわになってきた。4日の朝日新聞に、紀元前6世紀初めのアテネの話が載っていた。アテネの繁栄は植民地を多く抱え、奴隷が生産を担ってきたからだが、市民の全員が豊な暮らしをしていたわけではなかった。「貧しい市民は、金持ちから金を借りてやりくりしていた。借金のかたは自分の体。返せない者は奴隷になった」。「落ちぶれた人が増え、社会は緊張が高まっていた」。「そこに、ソロンという政治指導者が登場する。彼は借金を帳消しにし、多くの市民を奴隷状態から市民に戻した」。

 

 そして、「人間を借金のかたにすることも禁じた。さらに、富裕層などに限られていた政治参加を貧しい市民に広げた」。ソロンの改革は古代民主主義の土台となったとある。やはり、この方法しかないだろう。借りたものを返すのは当然なことで、借金をした人は返さなくてはならない。しかし、借りた方が瀕死の状態にあるのなら、免除してもいいのではないだろうか。貸した方はそれで生活が出来なくなるわけではないだろうから。新聞には、「ギリシャ中央銀行よると、同国ですでに50万世帯が無収入状態」という。けれどもギリシャは高級車の保有数が高いとテレビでは報じていた。貧困にあえぐ人々がいるけれど、とても裕福な人もいるということだ。

 

 アメリカのニューヨーク市のウォール街でのデモのように、1%の富める人々が99%の貧しい人々を支配しているのだろう。いや多分、正確には1%の人々がどんどん富を集積していくのに、残りの99%の人はどんなに働いても貧しく、今や働く場所すら無くなっているというのが現実なのだろう。人々の労働と消費がなければ社会は成り立たない。ソロンは「人々の上に立つ者たちが不正で財をなす。聖なる宝も公共の財産を奪う。そして正義という神聖な原則さえないがしろにする」と言うけれど、資本主義社会では大金持ちは正当に働いて富を築くのだ。けれども、富が集中すればするほど、富から縁遠い人々が生まれてしまう。

 

 世界のあり方を根本から変える時代に差し掛かっているのだろう。人が老化していくことは止めようがないけれど、人の命が続いていくのであれば、その社会のあり方についてはみんなで知恵を出し合う必要がある。唐突だけれど、私は明日から3日間、ブログを休むことにする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽のまち

2011年12月04日 19時10分55秒 | Weblog

 市内の9つの音楽団体が一緒になって、市民音楽祭が開かれた。合唱の団体が4つ、吹奏楽の団体が4つ、それに1つの管弦楽団である。詳しく調べたことは無いけれど、人口8万人ほどの小さな市でこれだけの音楽団体が存在するのは珍しいのではないかと思う。私の知る限りでは、今日出演していないコーラスグループがまだ3つはあるし、大学のグループまで入れたなら相当な数になるだろう。今はコーラスよりも楽団が人気なのか、当初の頃に比べると演奏者が増えている。本当に「音楽のまち」にふさわしくなってきた。

 

 この町に文化会館を造る時、建物を造っても活用されなければ意味が無いと考えた。幸いにもこの町には芸術大学があり、音楽学部がある。「音楽が溢れている町にしましょう」と首長に持ちかけたところ、「それはいいね」と二つ返事をもらった。「音楽好きの市民を集めて、オーケストラを作りましょう」と話すと「全て任せる」と言うので、指導者の確保と楽団員集めにかかった。芸術大学の学長に話して、指導してくださる人をお願いした。しかし、私の希望は「音楽が好きなら、楽器は初心者でもかまわない」楽団員の募集である。これを飲んでくれるだろうかと心配したが、「いいですね」と言ってくださった。それで私が作っていた新聞で楽団員を募集した。

 

 中には本当に初心者の人もいて、教える側は大変だったのかも知れない。初めの頃は練習日には顔を出し、皆さんが困っていないかと見させてもらった。若い楽団員が多かったから、「この中で結婚するようなケースが生まれたなら最高の喜びなのに」と、楽団員をからかったりしていた。ところが本当に結婚するカップルが生まれてくれた。私も長女に楽団に入るように話していたのだが、娘は仕事がきつくて練習に参加することが難しくなり、楽団員との結婚という私の夢は実現しなかった。そんな、よちよち歩きの市民オーケストラだったけれど、年々腕を上げ、今では他の市民管弦楽団にも負けない実力のある楽団に成長したと思う。ここまで育ててくださった指導者の皆さんに心から感謝である。

 

 音楽にしろ、舞台にしろ、芸術のジャンルは、やればやるほどお金がかかる。「好きなのだから本人たちが負担するのは当たり前」という考え方もあるが、人と芸術(ようなもの)は切り離せないと思う。人類は喜びや悲しみと共に、それを表すことで互いの感情を共有してきた。それが磨かれ芸術となっていった。音楽とか舞台とか絵画とか物語とか、人はそれらと接することで満たされてきた。「芸術なんかよくわからん」と言う人もいるけれど、その人だって演歌は好きで自分でも歌ったりする。本は読まないと言う人でも映画や写真は見たりする。人は全く生産性の無いことにも興味を抱き、感動もする。

 

 だから、芸術は身近に溢れていた方が心豊になる。芸術で生活することは大変なので、市民芸術家は余技としてあるいは趣味として、活動することが多い。それでも、発表しようとすればお金がかかる。芸術に触れ、喜びを受ける側が、少し援助することで活動が継続できる。そんな「音楽のまち」に成長していくなら、素晴しく気持ちよく生活できるまちとなると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受け取る側がどう思うか

2011年12月03日 19時13分30秒 | Weblog

 喫茶店で、来年2月に行う同年齢の集いについて話し合っていた時、この会には出席するけれど同窓会は欠席の人がいると言う。地元の人だけれど、「同じ歳同士で結婚したので同窓会はカミさんしか参加しない」と。余りにも小さな時から知っている者の中ではおしゃべりもしにくいらしい。同年齢の集いは、たまたまこの町に住み着いた人が半数は出席するので、気楽に話ができるということだろう。

 

 中学からの友だちが「病気が回復したから家に来い」と言うので、友だちとふたりで遊びに行ったことがある。当然のことだけれど、昔話に花が咲き、「そういえば、ストリップをみんなで見に行ったことがあったよな。お前が一番熱心に見ていた」と面白がって病気だった男に話した。私たち3人の仲だから「アハハッ」と大笑いですむ話だったが、彼は妙に改まって「おい、もう止めろ」と言う。その後で会った時、「お前たちは全く常識の無い奴だ」と滅茶苦茶に怒り出した。

 

 確かにあの時は、彼のカミさんも傍にいたけれど、男どもがたわいも無い昔話をしていただけのことだ。「いや、オレよりもお前の方が熱心だったぞ」とか、「そんな昔のことをよく覚えているな。英単語のひとつでも覚えていればもっとよかったのに」とか、いくらでも話をはぐらかすことはできたはずだ。あんな風に「止めろ」と言ったのでは、本当のことのように思われてしまうだろう。それに、私たちは彼のカミさんを高校時代からよく知っているし、彼が「一緒に行ってくれ」と言うので、みんなで何度かカミさんの家まで出掛けたことだってある。

 

 男は女の裸が観たい生き物だ。男はこういうものだよと話したところで、彼の威厳が損なわれることは決してないだろう。彼が浮気をしていたとか、「この前、話していた女はどうした?」とか、家庭に嵐が吹き出すような話を友だちである私たちがする訳が無い。それなら非常識だと非難されても納得できるけれど、あんな程度の下世話な話になぜ腹を立てたのだろう。「オレたちはこんなに昔から仲良しだったんだ。何か困ることがあったら、いつでも言ってくれ」。そう伝えたかったが、逆な結果になってしまった。

 

 言葉は難しい。一川防衛大臣が国会で、1995年の米兵による少女暴行事件について質問され、「正確な中身を詳細に知らない」と答弁し、辞任に追い込まれている。「絶対にあってはならない事件と承知している」とか答えることもできただろうが、やはり自分がどういう立場にいる人間かという意識と、そのための勉強に欠けているのだろう。今日の新聞に、跳び箱が出来ない子どもに「前の担任は何をしていたんだ」と悪態をつく先生のことが載っていた。「跳べない子を跳べるようにするのが教師でしょう」と書いてあったけれど、全くそのとおりだろう。言われた子どもがどういう気持ちになるか、考えないといけないが教師である。言葉はいつも受け取る側がどう思うかにある。だから使い方は難しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする