友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

この世で充分なのだが

2012年04月10日 19時35分48秒 | Weblog

 夕方、ルーフバルコニーで、一昨日買って来たバラを新しい鉢に植えていたら、目の前をツバメが飛んでいった。桜は満開になったが、ツバメはこんなに早い時期に到来するのかと思った。地球上のあちこちで異常気象が見られるという。温暖化に加えて、各地で起きる小さな異変が絡み合って、異常気象となっているのだそうだ。

 テレビを見ていたら、枝野経済産業大臣が大飯原発の再稼動について、「おおむね適合している」と発言していた。また自らの組織の一つである原子力安全・保安院について、「原発事故当時とは全く異なり、非常に一生懸命にやっており、信頼に足る」というようなことも言っていた。この人には誠実な感じがあると思っていたけれど、私の見る目は間違っていた。

 2日の参議院予算委員会で枝野大臣は、社民党の福島党首の質問に、「現時点では私もいま再稼動することには反対だ」と答えていた。「原発事故は、直接あるいは間接に、日本国中に影響を及ぼしている。そういう意味では日本全国が地元」と分かったような、分からないような発言を繰り返していた中での明言だった。福島党首の更なる追及に、滋賀県や京都府・大阪府も地元だとも述べていた。

 それが9日の野田首相を含めた関係閣僚会合で、大飯原発は安全基準に「おおむね適合」と判断し、「安全性は確認」された。再稼動については、電力需要の見通しなどを踏まえ、今週中に改めて会合を開いて「政治判断する」と言う。目先の利益よりも、これから先の国のあり方、もっと言えば人類がこの地球で生きていくためにどうしていくのか、政治家にはそれを示して欲しいと思う。

 友人の葬儀で、キリスト者である人が、死後の世界を恐れることはないと話した。「天国は、悩みも悲しみも病気も諍いも、人が背負っている一切の苦しみは存在しない。永遠の喜びに満ちている。人はそこで再び出会うことができる」。そんなメッセージを述べていた。「無信仰な者ほど神を知ることができる」とも説いていた。

 キリスト教も仏教も「よき人は天国あるいは極楽で幸せに生きられる」と、「蘇る」を説く。けれど私は、この世を生きて、さらにあの世まで生きなくてはならないのかとがっかりする。この世に生命を受けたことには感謝しているけれど、人生は一度っきりだから面白いのに、死んでもなお生きなくてはならないのはかなわないなあと思う。

 死してどうなるのかは神が決められることなので、神の定めに従う他ないが、願うことならこの世で終わりにしてもらいたい。共に生きてきた人々に会いたくないのかと問われれば、いまさら会ってまた恥を重ねるのは嫌だなと思う。きれいな思い出はきれいなまま、嫌なことは嫌なままで、それはそれでよいと思う。

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旅立ち

2012年04月09日 22時02分37秒 | Weblog

 復活祭である4月8日、親しくしていただいた友人が旅立った。クリスチャンとは知っていたけれど、今日、前夜式に出席して、ご夫婦が所属しているキリスト教が、牧師とか神父とかのいない、信者が自発的に責任を分かち合い、「聖書のことば」のみに立つ、信仰グループだと知った。彼が入信したのはカミさんの影響が大きいようだが、どっちがどっちとは言えないような気がする。愉快な夫婦だったし、ダンディな夫と清楚な妻だったが、私はふたりがお昼に、ビールを飲んでいるところに出会わせたことがあって、日頃のイメージとは違う、いやむしろ「らしい」と感じた。

 私たちはどう足掻いても罪人であり、だからこそ神の愛にすがろうとしている。いつまでも神の期待に応えられないまま、許しと祈りを繰り返している。それでも、このふたりといると楽しい雰囲気に包まれる。彼はチェロの奏者で、彼女はピアノの奏者、昔はふたりの演奏会をよく開いていた。彼がヴァイオリンと組んで弦楽四重奏団を結成し、いろんなところでコンサートを行うようになってから、夫婦での演奏会は小規模なものに変わった。弦楽四重奏団はかなりレベルの高いもので、ぜひ多くの人々に聴いて欲しいと思った。

 夫婦での演奏活動は地域でのボランティアとなり、福祉施設や病院でのコンサートが多かった。マイクを持って、音楽の話や曲目の話をする時、彼はなかなか話上手だった。私の選挙の時もいつも応援してくれて、出発式や演説会で演奏してくれた。「ハイレベルだね」と冷やかす人もいたけれど、「文化の香り漂う町」を標榜していた私にはピッタリだった。夏に私が白桃を贈ると、秋に彼から洋ナシが届いた。以前、マンゴを持って行った時、彼はその場で皮をむき、表面をサイコロ状に切って見せてくれた。食べることにもダンディさを醸し出す人だった。ゆっくりお酒を飲む機会がないままだったのが悔やまれる。

 今日は、これまでの寒さがウソのように暖かい。桜はすっかり満開になった。風に揺られて花びらが雪のように舞う。見れば周りはいろんな花が咲いている。草木も新しい葉を広げてきて、新緑の鮮やかさはいっそう際立ってきた。人がこの世を去るのも、草木が緑を増すのも、花たちが咲きそろい、蝶が飛び交い、小鳥がさえずるのも、私たちの力を超えたもの、自然の中で私たちは生かされている。生きている限り、生きていこうと当たり前のことを深く感じた。

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世代交代

2012年04月08日 19時37分37秒 | Weblog

 マンションの修繕についての説明会が昨日と今日、午前と午後の合計4回行われた。私は今日の午前中の部に参加したが、出席者は多かった。マンションは660世帯と多いから、4回に分けてやっても100%の参加は望めない。今回の修繕は給水管の取替えなので、各家に直接かかわるから、出席しなければと思ったようだ。説明の後、参加者からの質問の中で、なるほどなと思うことがあった。

 工事のために、普段は駐車場として使用しているが、他の駐車場へ移らなくてはならない人もいる。その手当てはできているとしても、「夏休みで子どもたちが戻ってくるが、来客用の駐車場は確保されているのか?」と言われた人がいた。私たちがこのマンションに入居して10年か20年頃までは、夏休みになると駐車場に止まっている車は数えるくらいしかなかった。ところが最近では、駐車してある車の方が多い。そればかりか、巣立っていった子どもたちが家族と一緒に里帰りしてくるために、来客用の駐車場が足りなくて、自治会で他に駐車場を借りている。

 私の友人たちもお盆で帰郷するよりも、子どもたちが戻ってくる方が多くなった。時代は大きく変わり、私たちは確実に年老いた。新聞を見ていたら、パソコンの検索機能の大手だったYAHOOが落ち目になっているという記事があった。日本の家電メーカーが市場から撤退を余儀なくされているとよく聞いたけれど、YAHOOのような大きなところも業績悪化で身売りする話まで出てきているとはビックリである。

 家電のように品を生産している企業なら、人はより新しい機種やより安い品に飛びつくから衰退もあるだろうが、IT関係ならアイディア合戦なのだから、YAHOOのようなシエアの大きなところは安泰であろうと思っていた。しかし、結論から言えば、アイディア勝負だからこそ資本の大小には関係ないようだ。私などはチンプンカンプンでも、コンピューター以上にコンピューター頭脳の持ち主がどんどん新しいアイディアを生み出していくのだろう。姪っ子の息子はふたりともIT関係の会社に入社しているけれど、話はまるで宇宙の中にいるようで、私はとても付いていけない。

 先日の葬儀の時、参列者は亡くなった人と同世代だから、ちょうど息子に社長の座を譲らなくてはならない時期にある。「もう少し頑張らないと、まだ息子では頼りない」と、多くの皆さんは言われるけれど、それは自分が引退したくないだけのことだと思う。心配しなくても、引退すれば息子らは好きなようにやっていくだろう。それでもし、あなたが創業した会社がつぶれたとしたら、息子に力がなかっただけのこと。いや、そんな風にしか育てられなかったのだから、諦める以外にないですねと話したりしていた。親の世代がどんなに頑張ったところで、自分の年齢のプラスマイナス15から20までが話が通じる世代で、それをオーバーしたら無理だろう。

 時代は流れているし、交代は必然的にやってくる。午後は少し暖かくなってきたので、岐阜の花フェスタ公園へ、桜を観に行って来た。ところが全く咲いていない。つぼみの桜を眺めてコーヒーを飲み、花屋でバラの苗木を2本買って帰って来た。

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納得し同意するなら、それは「愛」

2012年04月07日 18時55分51秒 | Weblog

 風が冷たい。4月なのに、桜が咲いているのに、気温は10度くらいしかない。今年は異常気温が続いている。天気予報の人が「これは地球温暖化と関係がある」と言っていた。桜の宴を来週にしてよかった。今日なら寒さで震えていなくてはならない。カミさんたちは名古屋城の能楽堂での「桜と鐘」を鑑賞しに出かけて行ったけれど、屋外なら寒くてたまらないだろう。

 北朝鮮がミサイルを発射するというので、各地にPAC3が配備された。平素ではこれほど大掛かりな軍事訓練は行うことができないから、ほくそ笑んでいる人たちもいるだろう。実際にPAC3が発射されることになれば、ますます軍備を現実問題にするだろう。地震だ、津波だと騒いでいるうちに、増税しかないとなったように、軍備の増強となるのではないかと思う。

 暖かな春がなかなかやって来ないと嘆いているうちならいいけれど、増税や軍事力の強化、あるいは精神の統一が声高に叫ばれるようにならないかと心配になる。大阪の橋下市長は「このままでは日本はダメになる」と言う。「公務員は、君が代を歌い、日の丸に敬意を示すべきだ。それが嫌なら辞めたらいい」とも言う。

 風が冷たいだけではない。卒業式や入学式で、君が代を斉唱しない教員がいないか、校長はチェックせよと言われている。公務員なら当然だろうと橋下市長のように考える人はいるだろう。しかし、歌うか歌わないか、敬意を示すか否か、そういう心の問題を強制することはできない。本来なら心から歌うことが「愛」なのだから、「愛」が伴わない擬制など意味がないはずだ。

 それでも、形が大切なのだと橋下市長が言うのであれば、その目指す政治とは彼のための政治で市民のためではない。彼は「選挙は白紙委任だ」と言う。白紙委任できるためには信頼が存在しなければならない。信頼などは存在しなくても、投票さえあればいいと言うのだろう。そうであれば、それはヒットラーとどこに違いがあるのか。

 強制されることが一番嫌いな私は大阪では教員が勤められない。教員だった時、生徒指導部の先生から「先生のクラスは髪型が異常なので注意して欲しい」と言われた。私はクラスで生徒指導部から髪型が異常だと言われていることを告げ、「異常な髪型の者は手を上げなさい」と聞いた。誰も手を上げる者はなかったので、「このクラスには髪型が異常な者はいないんだな」と聞くと、「はーい」と答えた。私は生徒指導部に「私のクラスには髪型の異常な者はいません」と報告した。

 私の中学時代の担任が「外見よりも中身だ」と言っていたことが、私の中にはずーっと残っていた。「心までは縛れない」とも言っていた。だから自分から勉強する気になれという話だったのだろうが、私の関心は、人の心を支配するのは外力ではないという点だった。納得し同意するとするなら、それは「愛」なのだと思うようになった。

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その時は握手をさせてもらいます

2012年04月06日 19時12分57秒 | Weblog

 恩義を受けた人が亡くなった。私が地域新聞を作ろうと思い立ち、この地域の有力者である前首長を訪ねて回った。ふたりとも、私を気に入ってくれて、後ろ盾になることを約束してくれた。そればかりか、ひとりは会社の広告を出してあげるとも言ってくださった。新聞のスタイルが決まり、広告集めの目処が立った。「それで配布はどうするの?」と言われて、紹介されたのが亡くなった方だった。

 私が新聞の趣旨と張り合わせて作った見本を見せて、「こういう新聞です」と説明すると、即座に「一緒にやりましょう。あなたは編集をやり、会社の経営は私がやりましょう」と言ってくれた。こんなにとんとん拍子にいっていいのかと思うほど順調だった。「資本金はどれくらい要りますか?」と聞かれて、「カメラも車も持っていますから、最初の印刷代など含めても百万円もあれば充分です」と答える。

 「分かりました。その金は用意しましょう」と言われる。それでは余りに申し訳ない。「半分は私も出します」と言うと、「いやいや、あなたはここまで準備して来たのだから、それがあなたの資本ですよ」と言われる。世の中にはこんなにも太っ腹で親切な人がいるのだと大感激した。自宅を事務所にして5年間、広告を集め、取材して記事を書き、割付をして発行し、集金をし、また取材と広告集めに回る、それをひとりでやった。

 ある時、名古屋錦のクラブに連れて行ってもらったことがある。お酒はとても強い。歌を聞いたけれど、素人は思えないほどうまい。ナット・キング・コールが歌っているのかと思うほどだった。学生の時に、進駐軍を相手にバンドを組んでいたと言う。必ず初めに笑わせて、ぐっと人々を引き付ける、人前での話はとてもうまかった。それに何でもよく知っていた。時々コラムを書いてもらったけれど、文章もピカイチだった。

 人の出会いはどこにあるか、わからない。この方に出会っていなかったなら、私の今日はなかった。人生を左右する出会いとはこういうものだろう。葬儀はまるで同窓会のようで、大勢の知り合いに会うことができた。「お元気ですか?」「久し振りです」「今は何をやってみえますか?」「変わりませんね」「会いたかったです」「活躍されていますね」。様々な近況報告やねぎらいの言葉が行き交った。

 私としては、市長となってお見送りしたかった。もちろん、首長選挙に出馬したいと言ったことが袂を分けることになったのだから、あの世でもまだ怒っているだろうけれど、そうなっていればきっと心の中ではニヤリとしてくれたと思う。どこの馬の骨とも分からない私を買ってくれたのだから、絶対に見る目のある人だと、私は勝手にも思っている。一回り上の申年、そんなに時間をかけずに後を追うことになるだろう。その時は握手をさせてもらいますよ。

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ドラマ『市長死す』

2012年04月05日 22時27分25秒 | Weblog

 『市長死す』というテレビドラマがあった。市長役をイッセー尾形さんが、また甥の市議を反町隆史さんが演じていた。題名に衝撃を受けて、つい見てしまった。というのも、私が地域新聞を始める時から親しくしてもらった町長が自殺したからだ。自殺とは考えられないと、私は今でも思っている。気の小さなところはあったけれど、合併後の新市の市長を目指していたし、政治家としてはしたたかな生き方を貫いてきた。俗世に対する執着は強かったから、まさか自殺をしてしまうとは思えなかった。

 いろいろキナ臭いうわさはあった。長く町長の座にいたので、ワンマンになっていたことは事実だろう。私のアイディアをいつも取り上げ実行してくれ、兄のように親しくさせてもらっていた。「政治家は酒が飲めないとなれない。だから飲む訓練を必死でしてきた」と言っていた。カラオケも一生懸命だった。「自分を馬鹿にできないようでは人に溶け込めない」と、下手を承知で歌っていた。演説もカラオケも次第にうまくなっていった。バーに行っても歌わなかった私を自宅に呼び、「カラオケセットを貸してあげるから、練習しなさい」と言った。

 一人前以上の地位にある男が自ら命を絶つのは余程のことがなければならないだろう。考えに考え抜いた上での結論だと思う。自分が死ぬことで、何かが守られるのであれば、あるいは達成されるのであれば、死も意義があるだろう。もし、町長が本当に自殺したのなら、きっとそんな風に考えた末の結論であったはずだと私は思っている。「あんたは真面目すぎる。それがあんたの生き方だからそれでいいが、それでは政治の世界では生きていけん」と、言われたことがあったけれど、私に説教するというよりも自分の苦しさの発露だったのだろうか。

 松本清張の没後20年特別企画のドラマだったけれど、私が期待したような松本清張らしい社会性はなかった。市長になる前、海外勤務先で知り合った女に惚れてしまった。クーデターがあって、会計の男に女の安全と隠し金の5億円を託したが、男も女も5億円も消えてしまった。それがある時、全く偶然に見ていたテレビに女が映っていた。そこでその女がいる温泉町にやってきて、男に川へ突き落とされて死んでしまう。それを反町さんが演じる市議が真相を暴いていく話である。

 海外視察は止める。市政は市民のためにある。そんなことを言う市長が、議会中に5日間も無断で休むなんて絶対に考えられない。市長は、男に「5億円のことはもういい。女を私に返してくれ」と言う。男は「女はあなたに惚れてはいない」と言う。女が市長に親切だったことから、市長は惚れていると一方的に思い込んでいたのだ。市長の「老いらくの恋」は妄想で、女は市長に惚れていたわけではなかった。こんな市長のどこがよくて市民は投票したのだろう。なぜ、市長になったのか、その点も分からない。市長は堅物だと言われていたけれど、ただの思い込みの激しい年寄りに過ぎないようで、ちょっと可哀相な気がした。

 ドラマの最後は、女が男にも見切りを付けて、温泉町から新たに出発していく場面だった。一途に女を好きになった市長に対して、女は「気持ち悪い」と吐き捨てた。松本清張ドラマも「女は恐い」というだけの安っぽいものになってしまった。

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ニーチェと菊田一男

2012年04月04日 19時20分04秒 | Weblog

 水がどこまで上がってきているか、水位を調べてみようと言う。10メートルのところに水があれば、私たちのポンプでも汲み出せるから、調べる必要があると言うのだ。水位を知り、私たちが持っているポンプで汲み出せたとしても、そんな浅いところでは水量も少ないはずだ。けれども、やってみないことには誰も納得しない。70センチほどの長さの鉄棒にタコ糸を縛り付けて、2センチの塩ビ管の中に入れていった。実は以前もこの人がそれをやって、鉄棒を井戸に落としたことがあったから、なんとなく不安が付きまとった。鉄棒が底に付き、それで引き上げようとしてもビクッともしない。やっぱりかと思ったけれど、とにかくそのままにしておくことにした。

 運のいい人もいれば、悪い人もいる。決してその人のせいではないけれど、必ず裏目が出る人はいるようだ。もうこれ以上は何もせずにと蓋をして、18メートルの地下から水を汲み上げるポンプを求めて、メーカーの営業所へ出かけた。営業の人から話を聞くうちに、直径10センチの穴を地下まで空けなければならないことがハッキリした。後は私たちがそんな大きな穴を18メートルも空けられるかである。インターネットで『井戸掘り』を検索してみると、全国にはいろんな人がいろんな方法で掘っている。井戸掘りが儲からない仕事であることから、専門業者は数が少ないが、私たちのような素人で掘っているのは意外にいる。

 鉄棒が出てこなくてショボついているかと思ったら、「やってみなければ分からない」と本人はサバサバとしている。「最悪いかん時は、その時に考えればいい」と楽観的だ。ニーチェが「過去に存在したものたちを救済し、いっさいの“そうであった”を“私はそう欲したのだ”に作り変えること、これこそ初めて救済の名に値しよう」「意志は、すでに起こったことに対しては無力である」と言うとおりなのだ。起きてしまった、過去になってしまったことを、あの時ああすればよかった、こうすればよかったと言っても始まらない。私たちに出来ることは、なぜそうなったのか、そうならないためにどうしたらよいのか、さらに一歩進めて、成すべきことを成すために何をするか、であるだろう。

 「忘却とは、忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」とは、名作『君の名は』の放送の時に流れていたアナウンスだけれど、ニーチェとは似て非なるかな。忘れようとしても忘れられない、忘れられないのに忘れることを誓う不条理な世界こそが愛なのだろう。『君の名は』は菊田一男氏の作品だけれど、私は子どもの頃、おばあさんに連れられて映画を見た覚えがある。テレビでは鈴木京香さんが演じていたようだった。忘れようとしても忘れられないような時代から、起きてしまったことにはこだわらないと言い切ってしまう時代になってきたのだろうか。私はまだ菊田一男氏の世界にいる。

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夢を追う人

2012年04月03日 18時38分36秒 | Weblog

 本当に凄い風雨だった。春の嵐とは言うけれど、確かに予報どおり台風のようだった。それも超早足で、一瞬の内に通り過ぎて行った。我が家のルーフバルコニーでは大きな方の鉢が2つひっくり返った。背が伸びてきたチューリップが風のために折られては大変だと思い、風の通り道にならない場所に移したけれど、まさか一番大きくて重い鉢が倒れるとは思わなかった。もちろん、アゲハチョウのサナギがへばりついている鉢は昨夜の内に家の中に避難しておいた。午後5時過ぎ、西の空が明るくなって来た。夕日が何事もなかったかのように輝いている。とてもきれいな夕焼けだ。

 神社の起工式の後の直会(なおらい)で、宮司が神社をどのように整備したいかを熱く語った。阪神淡路大震災に続く東北大震災を目の当たりにして、神社は多くの皆さんの避難所になる。しかし今、神社には井戸がない。水道は止まるかも知れない。昔のように井戸があればどんなに助かることだろう。神社や寺には井戸があるべきだ。その水で平素は境内の樹木を潤し、できれば水田を設けてお米を育てたい。神社はお米と深くかかわっているのに、お米の育て方も知らない神官ではいけない。そんなことを熱心に話された。聞いている私の方も熱いものが込み上げ、何としても井戸を掘りたいと思った。私たちが井戸掘りをしようと思い立ったのも、阪神淡路大震災で水がなくて困ったという話を聞いたからだ。

 私は夢を語る人が好きだ。私も小さい頃から夢を追っていた。我が家は材木屋だったから、建築関係の雑誌があったので、間取り図を見ながら、自分だったらこんな家にしようと図面を書いていた。造園という庭の設計があることを知って、こういう公園がいいのではと設計してみたり、だんだん大きくなって街のデザインを考えるようになった。地域新聞を作るようになって、こういう街がいいという外観と共に、制度や仕組みも考えるようになった。宅地化による都市型洪水を抑えようと行政は公共施設に地下貯水槽を造ると言うので、それもいいけれど、街の真ん中にある幅5メートルほどの用水路の両岸を20メートル広げて、幅45メートル長さ1500メートルの川岸公園に造ろうと提案した。

 堤に桜を植えれば、公園の少ないこの街の名所になるし、いざ洪水となってもここが大きなプールになる。一石二鳥のプランであったけれど、残念ながら実現しなかった。現在、この用水路の周りは産業廃棄物の置き場になってしまっている。都市の緑化計画プランは作成されているけれど、実行はされていない。緑化する公的な土地がないからだ。市の道を一方通行にして、緑地帯と歩道を造るとか、これは無理があるけれど、家を建てる場合は必ず緑化部分を設けるとか、そんな夢ばかりを描いていた。図書館建設に当たり、「いいアイディアがあったら教えて」と言うので、「開館は午前10時からにして閉館を午後9時にすれば使いやすいのでは」と言ったけれど、拒否されてしまった。

 でも、市民会館の建設では、気持ちのつながる職員がいたから、市民オーケストラをつくることができたし、地元の大学を市民に開放する公開講座も実現できた。さて、次は自分のための夢を考えようと思う。

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今は試練の時

2012年04月02日 19時33分04秒 | Weblog

 暖かな日になった。心なしか、マンションの周りの桜もつぼみが膨らんできた。3月末の風の強い日に、植木鉢にへばりついていたアゲハチョウのサナギが風に煽られ、身体を支えていた糸が切れていなくなった。翌日、探してみると幸いなことに鉢の間に落ちていた。ダメかも知れないとは思ったけれど、両面テープを貼り鉢に付けてみた。毎日見ているけれど、今のところ大丈夫だ。写真の左側が両面テープで支えられたサナギで、右側が風に負けずに7ヶ月ほど頑張っているサナギである。

 体長わずか3センチほどのサナギだけれど、羽化するとどうしてこんな小さな殻の中にいたのかと思うほど大きくなる。落ちてしまったサナギを両面テープで貼り付けたと友だちに話すと、「そんなことをしたら出られんでしょう」と言う。チョウはサナギの背中から出てくるので、腹の部分を接着した格好にしてある。でも、いったん落ちたサナギは羽化しないかも知れないから、この先が心配である。ミカンの枝でサナギになった3匹は無事に冬を越した。植木鉢はサナギの糸を留められないのか、それとももう少し風を遮る工夫をしておくべきだったのか、反省することばかりだ。

 名古屋の神社の境内での井戸掘りは、18メートルにまで達したのに、汲み上げることができなくて四苦八苦している。私たちの持っているガソリンエンジンポンプでは、深さ6メートルくらいからしか水を上げられないのだ。いろいろ聞いてみると、ガソリンエンジンのポンプでは10メートルが限界だと言う。確かに私たちがこれまで掘ってきた井戸は大体10メートル以内だったから、水を汲み上げることができた。それでは、20メートルとか30メートル掘ったという人たちはどんな風にして汲み上げているのだろう。

 明日は神社で起工式があり、食事が出されるという。メカに詳しい長老は、「水も出せんのに、のこのこ出ることはわしにはできん」と言われる。神社の本殿を建てた時の地質調査書によれば16メートル辺りから含水層となるから、「そこまでは掘ったほうがいい」と長老は言っていたが、まさか汲み上げることができなくなるとは予想していなかったのだ。ポンプのメーカーに問い合わせてすっかり意気消沈してしまった。それでも、神社がわざわざ用意してくれている食事を、面子が立たないからと勝手に欠席してしまうのは大人気ない。

 井戸掘りのメンバーも、ベテランは腰痛と膝痛で働くことができないし、一番の物知りは恒常的な仕事ができて参加できない。そんなこんなで、またしても私の出番が回ってきてしまった。私は井戸掘りを根本から研究しようというほどの意欲はなく、お手伝いならいくらか皆さんの役に立てるだろうと思っていたけれど、そう都合の良いようにはいかないようだ。皆さんが馬鹿話などし合って、楽しく仕事をしているうちは良いけれど、働くことが苦痛になってくるようなら止めた方がいい。今はその試練の時のようだ。

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申し訳ないことをしてしまった

2012年04月01日 20時02分39秒 | Weblog

 久し振りに名古屋へ出かけた。4月の第1日曜日だからか、街は人で溢れていた。タクシーの運転手さんに「この辺りは随分人がいますね」と聞くと、「土日はいつもこれくらいにぎやかですよ。特に若い人が多いですね」と言う。なるほど、若い男女はもちろん、女性たちや男性たちが連れ立って歩いている。今日は時々、雨の降り出す寒い一日だったから、街行く人の格好もコートにマフラー姿の人もあれば、超ミニスカートで闊歩する春を先取りした姿もある。

 今日の目的はコンサートだったが、その会場は屋外で、途中から雨が降ってきて余りにも寒かった。しばらく我慢して聞いていたけれど、雨は止みそうにないので中座してしまった。行きはタクシーを使ったけれど、帰りはバスに乗ってみようと思い、バス停を探した。けれども、どこにもバス停らしきものが見えない。ちょうど通りかかった自転車に乗った女性に、「すいません。駅まで行きたいのですが、バス停はどちらですか」と尋ねた。するとその人は、駅とは逆になる方向を指して、しかも左側(それは、駅とは反対の方向の車が行く方)の歩道を行けと言う。

 そんな馬鹿な、どう見てもそれはおかしい。私は思わず、「エッ、うそー」と言ってしまった。するとその女性は、「信用しないならそれでもいいわよ。気分悪い」と怒って行ってしまった。仕方がないから女性の言う方向へ歩きながら、なぜ行く方向とは逆のところにバス停が有るのだろうと考えた。しばらく歩くと、道の中央に、昔の市電の停留場のようなものが見えた。そうか、ここはバスレーンになっていて、バス停は道の真ん中にあるのだと気付いた。せっかく教えてくれたのに、それをウソと言ってしまって誠に申し訳なかった。親切を疑うことになったのだから、彼女が怒るのは無理もない。

 自分の言い方の悪さを棚に上げて、でもできれば、「ここはバスレーンになっているので、バス停は道の中央にあるんですよ」と教えて欲しかった。バスレーンのバスに乗るのは初めての田舎者にも分かるようにと、虫のいいことを思った。せっかくの好意を否定されて、女性は気分が悪かったけれど、「気分悪い」と吐き捨てられた言葉を投げつけられた私もいい気持ちはしなかった。でも、ここはやはり、道を尋ねた私の方が頭を下げるべきだろう。私は、女性の言ったことが正しかったと理解できたからよかったけれど、彼女は親切に教えてあげたのにと、ずーと気分が悪いままでいるだろう。

 寒いからと駅前のホテルのコーヒーショップに入ろうとしたら、長い列ができている。聞けば40分ほど待つことになると言う。普段ならそんなところに並ばないが、悪いことをしてしまったという気持ちと、寒いから他を探すよりも暖かいここで待とうという気持ちが重なって、待つことにした。それにしても、1杯800円もするコーヒーを飲むために、こんなにも人は並ぶのかと感心した。世の中、不景気だと言うけれど、街には人が溢れ、高いコーヒーショップに人が並ぶ。本当に不景気なのだろうかと思った。増税案がごり押しされても、国民は意外に平気なのかも知れないなとも思った。

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