友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

義人は報酬を求めない

2018年07月28日 17時01分26秒 | Weblog

  市の広報車が、「今晩の夏祭りは中止になりました」と回って来た。午後4時より避難所を開設するのに、祭りだけはやるという訳にはいかないから当然の決定だろう。午後4時の時点では青空も見え、雨が降る様子はない。運動場では朝から少年野球チームが練習をしている。気温も以前のように35度を超えていないのだろう。

 先輩が「義人は報酬を求めない」という。人は何かをする時、その見返りを期待するものだ。母性愛は無償の愛といわれているが、私の知り合いの女性は、「いい子というのは、自分にとって都合のよい子なのよ」と言う。子育て中の母親は、子どもが大きくなり、「ちっとも言うことを聞かない」と嘆くが、それは母親のエゴだと気付いていない。

 母親が思い描く子になるということは、母親に都合のよい子に育っている危険なことだと私は思う。我が家も子育てでいつも言い争いになった。カミさんは「両親の考えが違ってはダメ」と主張するが、私は「実際違うのだから、ありのままでいい」と。子どもが「言うことをきかなくなった」とか「口答えするようになった」というのは、成長の証である。成長とは、母親以外の価値観に触れていくことだと思う。

 子育てをする母親は無報酬であっても、何かを期待していることは確かだ。先の先輩も、「誰かを好きになれば、自分を好きになって欲しいということであり、愛したいのも愛されたいからで、期待しない行いは無い」と断言する。「彼女と待ち合わせて、1時間でも2時間でも待つのはデートに期待するものがあるからだ。そういう邪な下心があるから、逆に一生懸命になる」と。

 「ボランティアの人は無報酬でよくやる」と言うが、それは自分が気持ちいいから、満足を与えてくれるからだ。無償の愛は自分が満たされるからだと思う。出来ることなら、見返りを求めず、ひたすら与える側でありたいが、残念ながら人間はそれほど立派な生き物ではない。だからこそ、義人に成れなくても、義人を目指して生きるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする