友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

金子光晴と呉智英

2018年07月07日 17時48分43秒 | Weblog

  雨がシトシトと降り続いている。そうかと思えば、急に風が吹いたり、雷が鳴ったり、不安定な天気だ。もう、何日こんな天気なのだろう。暑くてやりきれないよりは過ごしやすいように思うが、それでも何日もジトォーとした日が続くと何故か無気力になってしまう。こんな日は一風変わった郷土の詩人、金子光晴でも読もうかとペラペラめくってみる。

 放浪の詩人というか、文筆家というか、破廉恥に人生を生きたというか、正体がつかめない。1895年(明治28年)に現在の津島市で生まれているが、父親の事業がうまくいかなくなり、6歳で養子に出された。義父が甘やかしたのか、金持ちだったのか、よく分からないが、小学校の後半から東京で暮らしている。早熟だったようで、11歳で洗礼を受けたり、友だちと渡米を企てて家出をしたりしている。

 1908年(明治41年)、カトリックの暁星中学に入学するが、15歳から20歳過ぎまで、早稲田大学に入ったかと思うと東京美術学校(東京芸大)に入り直し、そこも辞めて慶応大学に入学するなど、流転の人生が始まっている。そんなことが出来るのは義父にお金がなければならないと思うが、当時はそういうことが出来たのだろうか。満州に行ったり、世界一周の旅に出たり、フランスに留まったり、よくそんな無鉄砲な生き方ができると感心する。

 尾張の西枇杷島町は古くからの街で、傑出した人物も数多い。詩人で哲学者の吉本隆明氏を批判した呉智英氏(本名、新崎智)もこの街の出身だ。彼は私よりも2歳下、東海高校から早稲田大学に進んだ大学紛争の世代だ。60年安保闘争で敗北した学生が心のよりどころとしたのが吉本隆明氏だった。その吉本氏の「共同幻想」に刃を向けた。父親の介護のため帰省したはずだが、どうしているのだろう。

 時代を先取りしているのか、それとも時代に背を向けているのか、尾張という土地は傑作な人物を輩出している。シトシトと雨が降り、時には雷鳴が響く。彼らもそんな雷鳴なのか。

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