幸いなことに私は「旅疲れ」を知らない。どこへ出かけても体調不良になったことがない。ミーソン遺跡で雨に降られ、濡れたまま冷房の効いたバスに揺られたためか、先輩男性もカミさんも翌日は元気がなかった。一番若い女性も食欲不振で、私が美味しいと思った最後の夜のフランス料理をほとんど食べなかった。カミさんもこの女性もお酒は強いのに、この夜は「やめておく」と元気がなかった。
帰国した翌日、先輩男性に会ったら「元気になった」と言うものの、全身にサロンパスを貼っていた。カミさんが最も重症で、寝てばかりいる。会計係を引き受けたことがかなりの負担だったようで、会計報告が「合わない」と熱を出してまで考え込んだ。カミさんの下書きをもとに、私が会計報告書を作成すると、「これでは分からない」と言い出す。「じゃー、好きなようにしたら」と突き放すと、私のものを書き直し、「900円不明」と言うので、「支払先不明金900円」と訂正し完成させた。夜中に大量の汗をかいていたので、土曜日に医者のところへ出かけていったが、「薬が悪い」と今日も寝込んでいる。
サッカーのW杯での西野監督の采配が話題になっている。潔く最後まで死力を尽くす、これがスポーツのサムライ道だった。勝ち負けではない、どれだけ持てる力を出し切ったかだと言われてきた。しかし、勝ち残るための時間稼ぎのプレイを監督は選手に指示し、選手も了解した。全力を尽くす試合を見に来た人たちには「フェアープレイ」と映らなかった。勝つことが与えられた使命なら、そうするしかなかったと日本人の多くも西野判断を受け入れている。
日本は変わった。「誰でもいいから殺そうと思った」。そんな事件が相次いでいる。アメリカでも中国でも、類似の事件が起きている。ベトナムはまだ核家族社会ではないから、そんな事件は起きていないが、いつかそうなるのだろう。ベトナムでも若い人は皆、スマホを持っている。いずれ世界はスマホがあれば、言葉の違いも越えられるだろう。W杯を見ていても、国対抗でありながら、チームには白人もいれば黒人もいるしアジア人もいる。いつしか国境も必要ない世界になるのだろうが、まだその道のりは遠い。