カンヌ映画祭で最高賞に輝いた『万引き家族』を観てきた。正直、よく分からなかった。えつ、これで終わるの?と思った。消化不良というか、すっきりしない映画だった。私の中学からの友だちは「小説で読む」とブログに書いていたが、その方が分かるのかも知れない。原作も脚本も是枝監督になっていたので。
映画が進むにつれて、人物の関係が次第に明らかになってくるのだが、目を見張り耳を立てていないと分からなくなる。血のつながらない6人が家族のように暮らしているが、生活費はおばあさんの年金が主で、時々建設の日雇いに出ている父親、クリーニング工場のパートの母親、女子高生の格好でおっぱいやオナニーを見せる娘、この娘はおばあちゃんの孫?その関係が分からない。3人の大人が働いているのに、全くちゃんとした食事の場面はない。
父親も母親も、根はとても優しい。だから虐待された女の子を引き取ってしまうし、事情が分からないが男の子を我が子のように育てている。けれど、「教えられるのは万引きしかない」と男の子に万引きを教え、車上泥棒を手引する。「商店に並べられている商品は誰の物でもない」から盗んでいいと父親は言う。心の優し人がそんな理屈を保持しているとは思わない。
男の子は、女の子に万引きさせようとするが、その駄菓子屋のオヤジから「妹にはさせるな」と諭される。スパーマーケットで妹が万引きをしようとして見つかりそうになった時、男の子は自分から品物を盗んで逃げだし、結局ケガをして捕まる。車上狙いをする父親に、「それは他人の物ではないの?」と言った時から、彼は「間違っている」ことに気付いていたのだろう。
あんなに優しい父親・母親なら、もう少しまともに働けば、もう少しまともな生活ができただろう。血はつながっていなくても、貧しい暮らしかも知れないが、6人がなんとか暮らしていけただろう。血はつながっていなくても、「家族」は形成できたはずだ。「血のつながりより、自分が選ぶことが絆を強くする」というセリフもあった。それにしても、どうしてもっとまじめに働いて、「家族の生活」を維持しようとしなかったのか、不思議だ。