友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日の日曜日、もう一度挑戦する

2022年05月21日 18時53分16秒 | Weblog

 曇り空なら作業するには丁度良いと、井戸掘りに出かけた。メンバー4人は変わらないが、ひとりが入れ替わった。若いし力もありそうなので、大いに期待した。極めて順調に進んでいたのに、欲を出すと必ずしっぺ返しを食らうという昔の人の教訓を忘れていた。

 先日掘った穴から塩ビ管を引き出し、更に深くまで掘ろうとして、6メートルまで伸ばした。ゆっくり、慎重に穴の中に戻すつもりだったが、4人の息が合わなかったのか、それとも3メートルずつにして継ぎ出せばよかったのに、早くやろうと欲が出たのか、一気に塩ビ管を立たせた。

 すると、アッという悲痛な叫び声と共に塩ビ管は2つに折れ、しかも大事な水を通す部分が粉々に割れてしまった。気を取り直して、近くのホームセンターをスマホで探してもらい、買いに走った。同じホームセンターでも置いている塩ビの種類も違う。散々迷った挙句、必要なものだけを買い、もう一度最初から作業をし直した。

 先輩が「失敗も勉強」と、励ましてくれる。結局、今日は朝の作業開始の時点まで戻ることになった。慎重に手順を確かめ、作業をする鉄則を怠った罪だから仕方ない。今日は依頼主さんが不在だったから良いが、見られていたら笑われてしまうところだった。明日の日曜日、もう一度挑戦する。ブログも、今日はここまで。

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歓喜も恐怖も生んできた

2022年05月20日 18時07分31秒 | Weblog

 井戸掘り仲間で、スマホが扱えないのは私と83歳の先輩だけである。先輩もスマホは持っているが、「やらん」と拒んでいる。私も娘からスマホを与えられているが、孫娘たちとのlineでしか使っていない。費用も娘が払ってくれている。

 それにしても、スマホが普及したのはいつからだろう。街中でも歩きながら、自転車に乗りながら、中には自動車を運転しながら、スマホを操作している。全く知らない人に向けても発信できるし、逆に情報のキャッチも出来る。

 しかも、スマホは世界中に広がっている。ニュースを観ていると、中国やアフリカでも人々はスマホを操作している。ウクライナの家族が、連絡を取り合っているのも、ロシアの兵士が母親と会話しているのもスマホだった。

 こんな小さな機械が世界中にあり、発信も受信も出来るのだから凄い。誤振込された4630万円を「使ってしまった」と言う男も、スマホを操作してギャンブルをしたという。スマホを操る人を見ていると、よくまあ間違えずに器用に指を動かすと感心する。

 スマホは世界を一新するだろう。誰もが勝手に発言できるし、情報の収集もできる。けれど誹謗中傷や世論操作も行える。人間のレベルが高まらないと危険な機械でもあると思う。考えてみれば人間はいつも、新しいものを作り出しては、歓喜も恐怖も生んできた。

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「ええ、楽しくやってます」とみんなで笑う

2022年05月19日 18時44分42秒 | Weblog

 実労働時間はそんなに無かったのに、やっぱり疲れた。名古屋市中川区での井戸掘り、依頼主が指定した場所は雑草除けの砂利を除いて少し掘ってみると、コンクリートのたたきになっていた。現場を見せて、「これでは掘れないから」と次の場所を指示してもらった。

 依頼主の家は広い敷地に建っている。その庭の一角に井戸を掘りたいと言う。母方の祖母が住んでいた家を取り壊して建てたという、鉄骨造の2階建てのオシャレな家である。若い女性なのに家相を気にしていて、南ではなく西に掘って欲しいと言われる。

 次に指定された場所は、はじめはやはりコンクリート破片が出てきたが、我慢しながら掘り進めると2メートルくらいの所で、黒い土が出てきた。おそらく昔の畑か田んぼの土だろう。伊勢湾台風で浸水被害に遇っているので、床上げして家を建てたと言う。

 ご近所を見回すと、ほとんどが盛り土の上に家を建てている。「これならいける」と、4人のジイジの表情が明るくなった。塩ビ管を掘った穴に立てて、水槽に貯めた水をエンジンを使い、塩ビ管を通して掘った穴に送り込む。何度か繰り返すうちに、水に押し出されてくる砂が変わって来た。

 そして、打ち込んだ水があまり上がって来ない。いよいよ水脈である。そこまでやって、今日は終わった。次は土曜日に再度挑戦する。依頼主の女性は、感心してスマホで動画を撮影していた。「こんな風にして水が出てくるなんて素晴らしい」と感激している。

 「誠に申し訳ないが、まだこれからです」と言うと、「まだかかるんですか?」と聞くので、「手押しポンプを取り付けるまで、最低でも後2日はかかります」と答える。「でも、楽しそうですね」と言われるので、「ええ、楽しくやってます」とみんなで笑う。

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無理する前にギブアップしてしまう

2022年05月18日 18時04分54秒 | Weblog

 歳を取れば、欲望は薄らいでいくものだと思っていた。実際は、78歳にもなるのに煩悩から逃れられない。夏になってきて、今日のように暑い日の女子大生は真夏の服装で通学している。短パンに半袖シャツの子が何人もいる。

 昔から女性たちの素足はこんなにもきれいだったのかと、見とれてしまう。女子高生も短いスカートを翻して元気がいい。私が高校生の時も、高校の教員になった時も、女生徒たちは皆、美しい足を隠していたのだと気が付いた。

 友だちがまだ現役だった頃、勤め先でとても愛想のよい女性に出遭い、心惹かれた。お茶に誘ったら快く応じてくれたので、有頂天になってしまった彼は、17歳も年下の女性を連れて、花の名所や高級なレストランに出かけ、とても幸せな日々を送った。

 けれど、彼女は人妻だからどうしてもそれ以上に進めなかった。やがて10年の月日が流れ、突然連絡が取れなくなった。それを「別れのサイン」と受け止め、友だちは諦めた。「ふたりでドライブしていた時、ラブホテルが目に留まった。すると彼女、ニコリと笑って、『入りたいんでしょう』と悪戯っぽく言んだ。入りたいと言えばよかったと後悔している」。

 78歳にもなって、そんな昔話をする彼はちょっと寂しそうだった。この先がもう無いと思うと、人はいっそう煩悩が強くなるのだろうか。さて、明日は井戸掘り。教え子が「無理しちゃだめですよ」と注意してくれた。大丈夫、ジイジたちは無理する前にギブアップしてしまうから。

 

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自分が生きている気がしない

2022年05月17日 17時55分28秒 | Weblog

 久しぶりに井戸掘りの依頼を受け、今日の午後はその準備に追われた。倉庫から必要な道具を取り出して点検し、足りない物を買い揃える。大まかな点は覚えているのに、30ミリだったか40ミリだったか、よい歳のジイジが3人もいるのに思い出せない。

 高齢の老人だから忘れてしまったいるのだが、3人とも自分は覚えているのに友だちが忘れていると譲らない。なんとか道具を揃え、足りない物を買い、準備は整ったと思った。念のためにと思って整理した作業工程を見ると、やっぱり忘れている物があった。

 作業日は19日の木曜日だからまだ余裕がある。現地に行って、アレが無いコレが無いでは依頼主さんが不安になる。しっかり社会人として活躍してきた先輩たちのことだから、心配無用なのだろうけれど、どうも近頃は私を含めて大丈夫かということが多い。

 市の夏祭りの名物にまでなった、「鮎の塩焼き」を出店することは無くなったが、「みんなでどこかに集まりたいね」の声が上がる。そのためにも井戸掘りを成功させて、ジイジたちの結束を強めておきたい。コロナ禍で抑えていた気持ちがムクムクと湧き上がる。

 現役のサラリーマンの頃は夢中で働き、働いていることが楽しかったジイジ世代。若い人たちのように、「適当に働いてればいいんじゃない」などとは考えたことも無い。家庭のことも忘れて、徹夜続きでも文句も言わず、我武者羅に働き続けた。

 それでも時には子どもたちを連れて、家族サービスの旅行に出かけた。そんなジイジたちの最後の楽しみが「井戸掘り」なのだ。みんなで力を合わせて頑張る、それが楽しくて仕方ないのだ。何かしていないと、自分が生きている気がしないのだ。

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どちらが優位かで、話し合いも変わる

2022年05月16日 18時23分53秒 | Weblog

 「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」。誰がこんな風に言い出したのだろう。絶世の美人を口説いた時の言葉なのかも知れない。花から美人の容姿を想像させるのだから凄いと思うけれど、実際に花を見てみると、なかなか美人の姿が見えてこないのは、私の想像力の欠如なのかも知れない。

 昨年の秋に友だちからシャクヤクのイモをいただいた。どんな花が咲くのか期待しながら水遣りをしてきた。むくむくと赤紫の芽が出て来て、1つの花芽が大きく膨らんできた。この前の強風で花弁が少し痛んでしまったが、ピンク色の花が開いた。他にも小さな花芽がいくつかあるが、大きく育ってくれるのだろうか。

 花のプレゼントはウキウキさせてくれるが、自分の通帳に4千6百30万円が振り込まれていたら、人はいったいどうするのだろう。山口県阿武町で、1世帯に10万円を振り込むつもりが、463世帯分が1世帯に誤振込された。受け取った人は役場から連絡を受けたが、今は仕事も辞めて姿をくらませているという。

 「自分は何も悪いことをしていないのに、悪者扱いされた」と、言っているとの報道もある。確かに、悪いのは間違えた役所だから、頭を下げて返却をお願いしなくてはならない。「返さなければ、警察に訴える」などと言われて、カチンと来たのかも知れない。誠心誠意で懇願されれば、心も動くが、脅されたら捻くれもするだろう。

 どちらが優位かで、話し合いも変わる。ロシアとウクライナ、ロシアとフィンランド、国どうしも同じようなものかも知れない。

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沖縄の人々への償い

2022年05月15日 17時20分22秒 | Weblog

 「沖縄を返せ、沖縄を返せ」とみんなが歌っていたが、屁理屈な私は納得できなかった。沖縄は先の大戦で、米軍の本土上陸の犠牲になった。しかも、米軍の占領下におかれ、講和条約の締結後も実質的に米軍の支配下にあった。

 50年前の今日、沖縄は本土復帰となったが、米軍基地は更に強化された。沖縄はモノではない。「返せ」と言うなら、「沖縄に返せ」だろう。沖縄は長い間、琉球王国であったのに、明治政府が日本の支配下に置いてしまった。

 私が学生の頃、シュプレヒコールで「アメリカは出ていけ」と叫ぶ人たちがいたが、これも私は受け入れられなかった。アメリカが出ていけば、それでいいとは思えなかった。そもそも、米軍はなぜ駐留しているのか。なぜ、各国は軍事力を強化しなくてはいけないのか。

 終戦となって77年にもなるのに、今も「敵が攻めてきたらどうする?」と言う。ロシアのウクライナ侵攻報道で、軍備を整えろとか、核の共同使用とか、敵基地攻撃まで言われている。日本は憲法第9条で、「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っている国である。

 日本は世界に向けて常に、この主張を繰り返し発信すべきなのだ。それが日本の使命であり、国民の義務である。本土のために多くの犠牲を強いられたばかりか、終戦後も過酷な状態に置かれた沖縄の人々への償いであると私は思う。

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やっとふたりの意見が一致した

2022年05月14日 17時26分33秒 | Weblog

 「歳を取ると、思い込みが激しくなる」と、カミさんが指摘する。昨夜、金曜ロードショウでオードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』を観た。若い時に映画館で、またテレビでの上映で、2度は観ているはずなのに、どうして王女がアメリカ人記者と出会ったのか、覚えていない。

 「ラストは知っている」とカミさんは言うが、私はそれも出て来ない。さんまさんがコマーシャルでやった、『真実の口』の場面しか思い出せない。昨日、観ていて、こんなにもハチャメチャなストーリーだったのかと、笑いながら思った。この無軌道な2日間(?)が、王女に恋を教えたのだ。

 けれど、王女は自分が何者か、わきまえていた。恋などに惑わされず、王女として生きていく道を選ぶ。オードリーが演じる王女は、とても素直でさわやかでとてもきれいだ。秋篠宮の眞子さまもこの映画を観たのだろうか。

 市の広報紙に「夏祭り 参加団体募集」が掲載されていた。私たちは市が誕生した時から、夏祭りに出店して来た。市民の手作りで、市の唯一の夏祭りを盛り上げたい、そう願って参加して来た。コロナ禍で2年連続の中止だったから、「やっとできる」と思ってしまった。

 けれど、募集の要項を見ると、「飲食販売の募集はしません」とある。しかも、「運営に必要な経費の増大により」、参加団体から協力金を集めると以前のままだ。市民が主体の夏祭りであったのに、こんな上から目線の強権的な祭りでは、こちらから「ごめん」と言ってやりたい。

 「勝手に思い込まずに、みんなで話し合って結論を出したら」と、カミさんが言う。「そうだ、そうすべきだ」と、やっとふたりの意見が一致した。

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充実した時間を与えてもらった

2022年05月13日 17時04分54秒 | Weblog

 昨日、「2千5百円の臨時収入があった。明日は何して遊ぼうか」などと軽薄なことを書いてしまったところ、詐欺かも知れないので注意するようにと、「通りすがり」の方からコメントをいただいた。毎日、ヒマしている私は「不用品の買い取り」が、どういうものか見てみたいと思ったので来てもらったが、確かに慎重であるべきだと反省している。

 買い取りに来る会社は事前にインターネットで調べておいた。事典を買い取りに来るのに、台車を持って来ていなかったし、「不正な会社ではない」ことを強調していたから、事典ではなく別の物が欲しかったのだと理解した。私も手ぶらで帰すのは気の毒と思っていたので、腕時計などを用意しておいた。

 今日、その話を昔、一緒に働いた女性に話した。彼女が私の書棚を見ていたので、「街のどこかに、勝手に来て、勝手に本を読んだり、本を持って帰られる場所があるといいね」と言ってみた。彼女は「仕事を辞めたら、家の1階を開放して、飲み食いしてもいいし、宿題やってもいい、そんな子どもたちが気楽に集える場所にしたい」と言う。

 「もし、自死が認められるならそうしたい。死ぬ日が分かっていれば、その日まで頑張れる」とも言う。まだ、還暦にもなっていないのに、死のことまで考えているのかとビックリした。けれど、人の死は神様が決めることと理解している。自宅を学校へ行けない子のために開放する、そんな夢を描いている彼女はきっと、さらに楽しいことや遣り甲斐のあることを探していくだろう。

 久しぶりにカラカラと笑う彼女と話し、私は充実した時間を与えてもらった気がした。

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明日は何して遊ぼうか

2022年05月12日 17時25分15秒 | Weblog

 「不用品を買い取ります」と電話がかかってきた。「不用なものはありません」と断っていたが、「百科事典とか学習辞典はありませんか」と言うので、「辞典ならありますよ。見に来ますか?」と言ってしまった。書棚にライフの『ネイチャーライブラリー』が20冊、学研の『現代新百科事典』が8冊鎮座している。

 子どもの頃、私はこうした事典が好きでよく眺めていた。教員になって、書店員が学校まで営業で来ていて、勧められた書籍を買っていた。こうした揃い組の場所を取る書籍は、なぜか並べてしまうと安心するのか、ほとんど開くことも無く置かれている。引き取ってくれるなら持って行ってもらうつもりでいた。

 査定の人がやって来て、絶対に価値があると思った『ネイチャーライブラリー』を手に取って、スマホで写真を撮り、どこかへ連絡していた。学研の百科事典には全く関心が無い。「(ネイチャーを指して)売れていませんね。他に小物とか、古いカメラとか、洋酒とか、ありませんか?」と聞いてきた。初めから百科事典などは買い取る気など無いのだ。

 せっかく我が家まで来てくれて、手ぶらで帰す訳にもいかないと思い、私はあらかじめ使っていない腕時計とカフスを用意しておいた。洋酒?みんなで飲もうと思って仕舞っておいたブランディ―を納戸から取り出して見せた。ブランディーは2千円、腕時計3本とカフス1組で5百円と査定してくれた。ご苦労様でした。

 さて、2千5百円の臨時収入を得た。明日は何して遊ぼうか。

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