友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人類はいつか到達する

2022年05月11日 17時16分21秒 | Weblog

 内容までは覚えていないが、私が小学生の頃に読んだ世界の偉人伝に、ドイツのヒットラーやイタリアのムッソリーニが載っていたが、ふたりとも国民を貧困から救済するために立ち上がった義人だった。ドイツは第1次世界大戦に敗れ、負債を押し付けられていた。

 イタリアは古代史では優雅を誇った国なのに、貧困に喘いでいた。農奴の国、ロシアは共産主義革命を成し遂げたけれど、帝政を倒しただけで、どのような国家を建設するのか、そのために何をどうするのか、暗中模索だった。

 3国とも国民の心をひとつにして、強力な国家を建設するために、政府の力は絶対的なものになっていった。ドイツもイタリアもロシアも、国民のひとり一人よりも国家が大事になった。最初は国民の利益のためであったのに、国家のために国民に犠牲を強いるようになった。

 どこでどう間違ってしまったのだろう。「理想の国家」を建設すること自体が、間違いだったのではないだろうか。国家は軍隊を持つが、軍隊が無ければ、領土の奪い合いも無い。いやそもそも、国境が無ければ奪い合いも起きない。

 人類の最終目的は、国境の無いつまりは国家の無い世界なのではないだろうか。国家が無ければ、国民を守る仕組みは無いと叱られそうだが、国家が無くても暮らしていける世界に、人類はいつか到達する、そんな気がする。

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自分の責任には気が付かないのか、気が回らないのか

2022年05月10日 18時25分35秒 | Weblog

 熊本県の秀岳館高校はサッカーの名門校らしい。私が卒業した高校もサッカー部は強くて、私が生徒会長の時、県大会で優勝し全国大会に出場した。「質実剛健」の校風の下、進学校としての成績もよかった。

 秀岳館高校がどんな高校なのか知らないが、テレビで報じられた騒動を見て落胆した。ことの起こりはサッカー部の生徒が、コーチに殴られている映像が流れたことだった。多分、日常的に暴力行為があったから、生徒が撮影し流したのだろう。

 これがテレビに取り上げられ、学校は右往左往していたが、校長が謝罪する報道は無かった。ところが今度は、サッカー部の生徒が顔を出して、盗撮して流したことを詫びる映像が流された。そして監督が出て来て、報道陣の前で説明した。

 はじめは生徒の自主性に同調したと言っていたが、監督自身が謝罪をするように主導したことが明らかになった。さらに監督は生徒に、「この件の被害者が誰だか分かるか」と詰め寄り、「一番の被害者は私だ」と言った。監督は何をすべきか、全く分かっていない。

 監督は暴力を振るったコーチを叱責する立場である。生徒が行った行為を、「俺が被害者」と恫喝する人は教育者ではない。監督は責任を取って、学校を去るべきだろう。日常的に暴力が行われていたサッカー部にしてしまった責任は監督にある。

 組織の上に立つと、下の者に責任を転嫁し、保身に走る。政治家に多いが、高校のサッカー部も変わりないのか。人はなかなか自分の責任には気が付かないのか、気が回らないのか。ロシアの「戦勝記念日」を見ていても同じ思いがした。

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コロナ禍は生活スタイルを変えてしまった

2022年05月09日 18時23分49秒 | Weblog

 大学生になった夏に、自動車の運転免許を取得したから、もう60年になる。免許証をもらった翌日、兄貴に命じられて店のハイエースを運転して材木を運んだ。乗用車とは感覚が違うので、はじめはおっかなびっくりだった。

 今日は我が家の乗用車の車検だった。先日の高齢者講習で、「万が一に備えて、ドライブレコーダーを取り付けておくといい」と言われたことを伝えて、セットしてもらった。免許証は2025年5月まで有効だが、次はもう返上した方が良いのかも知れない。

 車を運転していて不安なことは無いが、やはり夜間の運転は見難くなっているので、出来る限り運転はしない。高齢者の事故は、どこにも異常はなかったのに、その時に限ってアクセルとブレーキを踏み間違えたとか、咄嗟の判断が出来なかったとかが多い。

 警察は出来るだけ高齢者に免許を返納させたがっている。運転しなければ事故は起きないから、返上させるのが現実的であることは間違いない。私が暮らしているマンションの駐車場は、連休が終わっても車がそのまま駐車されている。

 以前の平日なら駐車場に車が並んでいることはなかった。しかし今、出勤する人は電車を利用するし、そもそも働く世代が少なくなった。子どもたちも巣立って行き、マンションは圧倒的に高齢化している。高齢の夫妻でも揃っていれば、ふたりで何とかやっていけるが、連れ合いを亡くしたひとり暮らしも増えている。

 最後の住処として、充実した日々が送れるようにするのはどうしたらよいか、仲良しの仲間で酒でも酌み交わしながら話す機会も無くなった。コロナ禍は生活スタイルを変えてしまった。

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母は享年54歳だった

2022年05月08日 17時25分02秒 | Weblog

 私の母は働き者だった。母は学校の先生を辞めて、家で裁縫を教えていた。評判が良かったのか生徒さんは増え、昼間だけでなく夜間も教えるようになった。それでも、洋服や和服の仕立てをしていた。毛糸でセーターも編んでいた。

 たくさんの生徒さんが居て、仕立てもしていたからお金には困らなかったはずなのに、いつも「お金が無い」と零していた。父が定年になったら、土地を買い、家を建てるのが夢だったかも知れない。けれど、兄貴の借金のために夢は消えてしまった。

 母は物乞いの人に平気でお金をあげてしまい、生徒さんが心配することがあった。優しい人であったが、気丈夫な人でもあった。材木屋の事務所の、祖父が座っていた席の隣りの土壁をどういうつもりだったのか、私が壊して穴を空けてしまった。

 祖父に叱れていると、母が謝り、落とした壁土に水をかけて捏ねて、素手で壁の穴を塞ぎ出した。祖父は「もういい」と怒鳴り、母は私の手を引いて下がった。けれど、どうしてなのかとか、一切聞かなかったし、怒りもしなかった。

 私は母に1度だけ、箒で追い回されたことがある。私が「こんなウチより、姉さんところの方がよっぽどいい」と言った時だ。もの凄く怖い顔だった。私が中学生になってしばらくすると、母は体調を崩すようになったが、相変わらず徹夜で仕事をしていた。

 ふくよかな体形が痩せてきて、高校1年の夏に名古屋日赤病院で亡くなった。母の身体を抱きあげて、私はベッドからストレッチャーに移したが、余りの軽さに驚いた。母がいなくなったベッドを見ていたら、涙が溢れてきて声を抑えて泣いた。母は享年54歳だった。

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人は花や虫のようには生きられない

2022年05月07日 17時49分03秒 | Weblog

 ジャスミンが咲き出しバラも咲き、花たちの季節がやって来た。今年はミカンの木がたくさんの花を咲かせた。誰かが、「ミカンとカキは交互に盛況になる」と言っていた。自然界にはそんな法則があるのかも知れない。

 花の世話をしていると不思議だが、幸せな気分にさせてくれる。花が色や匂いで虫を呼ぶように、人に愛でされることで自分を守っているのかも知れない。人は花を見ることで、人への愛も覚えていくのだろうか。

 砂漠に花は咲かないかも知れないが、砂漠の民は自分のテントに他人が訪ねて来れば、招き入れて寝食を共にするとどこかで読んだ。砂漠では互いに助け合わなければ生きていけないからだ。ウクライナは世界の穀倉地帯と言われている。

 豊かな土壌だから争いの種になるのだろうか。欧州の人々はアフリカの人々よりも、豊かな生活をしているように見えてしまうのは偏見なのだろうか。アフリカは食べる物に困らなかったはずだったが、飢えで死ぬ子どもたちがいる。

 何がどう間違ってしまったのか、なぜ神は不平等を許しているのだろう。いやきっと、何が豊かで何が幸せなのか、人々に考えさせるためなのだろう。でも、どんな目に遇っていても、他人と比べ無ければ、不幸とか幸福とかを考えないだろう。

 人は花や虫のようには生きられない。考える力を持っているが、それだけに難しい存在でもある。明日は「母の日」、母に感謝である。

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バラは見られず、美術館へ行く

2022年05月06日 18時05分37秒 | Weblog

 今日は出校日だから、子ども連れの家族は来ないので空いていると勝手に思い込んでいた。ゲート前には5台も車が止まっている。意外に混んでいると思っていたら、前の車が中に入らずにUターンして行く。見るとゲートは閉まっていて、「本日休園」とある。

 残念。確かめもせずに、連休中だから営業していると決めていた。可児花フェスタ記念公園は、2021年10月から運営主体が代わり、『ぎふワールド・ローズガーデン』という名称になった。私のうろ覚えでは休園日は確か火曜日だったのに、金曜日の今日が休園とは。

 「せっかく来たのだから、小牧のメナード美術館へ行こう」と向かった。メナード美術館はメナード化粧品を開発した小牧市出身の野々川さんが建てた美術館だ。小さな美術館だが、企画がとても優れている。今回の『版画&版画』展は6月26日まで開催されている。

 版画というと、私たちは木版画を思い描いてしまうが、近代の西洋では石板に絵を描いて転写するリトグラフ、銅板を削って描くエッチング、銅版画からさらに進化したメゾチントが流行した。油絵は1枚だが、版画なら同じものが100枚くらい出来るから、画家たちの生活の支えになったのだろう。

 版画の良さや面白さも見ることが出来た。バラ園は見られなかったが、ルオーの真っ黒な宗教画のような版画にも出会えた。1920年代の作品だからか、第1次世界大戦の影響なのか、ロシアのウクライナ侵攻を予見したような版画が印象に残った。作品の題名も、「人は人にとって狼」とか、「われわれはみな愚かもの」とか、「母たちに忌み嫌われる戦争」とか、凄まじい。

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明日は花フェスタにバラを観に行く

2022年05月05日 17時36分28秒 | Weblog

 連休だというのに毎朝、隣の小学校のグランドでは少年サッカーチームが練習している。3つくらいのグループに分かれ、それぞれにコーチが2名ほどいて指導を受けている。高学年のグループのコーチは、絶えず大声で注意している。

 「何度も同じことを言わせるな」。「バカか」。「前を見るだけじゃーダメだろう」。厳しい檄が何度も飛ぶ。「もう、やってられないぞ。お前らはバカか」。それを聞いた私は、「ハイ、バカです。だから教えてもらっています」と叫びそうになった。

 こんなに怒鳴られてばかりいて、子どもたちはやる気になるのだろうか。「サッカーを楽しみたくてチームに入りました。プロの選手を目指している訳ではありません」。そんなことを言う子どもはいないのだろう。私は子どもを叱ったことは無いつもりでいるが、一度娘たちに聞いてみたい。

 戦後世代の典型のような私は、連休は車であちこちへ家族旅行に出かけていた。私の父も、母と妹の4人でよく犬山や伊勢、知多の母の実家などへ連れて行ってくれた。亡くなった姉に言わせると、戦前の父は一度も家族で旅行したことは無かったらしい。

 娘たちにヴァイオリンを習わせていたが、プロにしたかった訳ではない。音楽に親しみ、絶景に感動し、心豊かな女性に育てたかった。けれど、娘たちはヴァイオリンの練習は好きでは無かったようだ。「子どもの日」の今日、行楽地はたくさんの人で賑わっている。

 娘たちにとって、私はどんな父親だったのだろう。私は今日も一日、ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業に没頭した。明日は、可児市の花フェスタにバラを観に行く予定だ。我が家の鉢植えのバラもよく咲いている。

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明日も天候が良ければ作業する

2022年05月04日 18時19分01秒 | Weblog

 憲法記念日の昨日、日本国憲法の前文をコピーして貼り付けたところ、いつもとは違う形のブログになってしまった。以前も確か、コピーを貼り付けたところ、文字が違ったり行間が詰まったりと大変なことになったのに、また同じ過ちをやってしまった。

 ブログの下書きはOpenofficeで行い、gooで立ち上げている。どうしてこうなったのか、よく分からないが、パソコンを買った電気屋さんが「無料のソフトですから」とセットしてくれた。ところが最近、パソコンがとても調子が悪い。

 先回、専門の業者に見てもらったが、「家電製品と一緒で、劣化が原因ですが、気長に使えばまだ大丈夫ですよ」と言う。「じゃー使えなくなるまでこのままでいくか」と結論を下したが、日毎にパソコンは言うことを聞いてくれなくなってきた。

 電源を入れても待ち受け画面が出てくるまで3・4分かかる。しかも待ち受け画面になっても、Microsoft Edgeは開けない。電源を切ってもう一度入れ直すと、今度は短い時間で待ち受け画面が出てくる。こんなことが続くのでイライラするが、待つことがそれほど苦にならないので我慢してしまう。

 私の身体もそうだけれど、最近はなかなか言うことを聞いてくれない。パソコンはエイデンでも行って買い替えることが出来るが、老化した身体は買い替えが出来ないから、用心して使うしかない。今日は天気が良かったので、朝から夕方までルーフバルコニーで作業をした。

 昼間は夏日で暑くてたまらず、天幕を張っての作業だった。明日も天候が良ければ作業を続けるつもりだ。

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やっぱり凄いよ、日本国憲法は

2022年05月03日 18時16分47秒 | Weblog

 憲法記念日の今日、朝からルーフバルコニーでの作業に没頭した。腰が痛く、手首も痛い、風が相変わらず強くて埃が目に入って痛い。昨日、私は「憲法を読み返して欲しい」と書いたけれど、今、書棚を見て、どこの家に書物としての憲法があるのだろうと気付いた。

 誰もが中学か高校で、憲法を学ぶけれど、教科書に憲法の全文が載っていた記憶はないし、ましてや卒業してしまえば教科書も処分してしまっている。憲法記念日の意味を込めて、全家庭に日本国憲法を配布して欲しいものだと思う。

 私は中学の社会科で、初めて日本国憲法を知った。確か、前文が載っていてとても感心した。前文を抜粋してみる。先の戦争を反省し、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と国民主権を謳う

 さらに、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある

 そして、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と結ぶ。やっぱり凄いよ、日本国憲法は。

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もう一度読み返して欲しい

2022年05月02日 17時26分52秒 | Weblog

 「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る」。つい口ずさみたくなる朝だった。今日からは鉢の土の入れ替え作業をするぞと、勇んでルーフバルコニーに出た。小学校の運動場からは元気な子どもたちの声が聞こえてくる。

 大型連休というが、今日と6日は出校日なのだ。子どもたちの元気な声を聞きながら、ひとり黙々と作業をする。友だちが新茶の袋を持って来てくれた。彼女の手紙に、「今年の八十八は、5月2日です」とあった。いつも優しい心遣いに感謝し、新茶を味合いたい。

 昼食を終えて、急いで作業を開始する。ところが、いつもなら夕方から強風になることがあるのに、今日はこんな時間から北風が吹いてきた。まだ大丈夫だろうと続けていると、立っていられないほどの強風になった。これでは終わるしかない。

 今日の中日新聞の投書欄に、松阪市の主婦の「変えるべきか憲法9条」が載っていた。「平和が一番だと考え、憲法を変えようとする動きに対し、(略)反対の立場でした。ロシアによるウクライナ侵攻で、長年のわが信条は大きく揺らいでいます」とある。

 これだけ毎日、悲惨なウクライナの状況が報じられれば、誰もが「侵攻には武力で反撃するしかない」と考えるようになって当然だ。おそらく改憲推進派の人々は、軍事力の強化や敵基地攻撃の正当性を真剣に考えていることだろう。

 だからこそ私は、「憲法9条の理念を世界に」(中日新聞の『考える広場』)と主張する雨宮処凛さんに賛同する。明日は憲法記念日、日本国憲法をもう一度読み返して欲しい。

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