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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

気疲れよりも肉体の疲れを感じた

2024年04月07日 17時24分31秒 | Weblog

 少し不安はあったけれど、順調な滑り出しだった。先輩は「大丈夫、あんないい砂が出たんだから、水の心配いらん」と言う。確かに、川砂のようなキレイな砂だったから、間違いなく水脈に届いている。

 けれど、念を入れて65ミリの塩ビ管に水を送り込み、もう少しだけ掘り進めたい。7メートル以上入ったのを確認して、65ミリの塩ビ管の中に30ミリの塩ビ管を入れる。「7メートルは入った」と言うので、65ミリを1メートル程引き上げ、30ミリの口に吸い上げようのホースを取り付け、エンジンポンプを作動させる。

 透明な水が勢いよく出て来る。しばらくこのまま、水を出しっぱなしにして、依頼主に様子を見てもらう。ガラスコップに入れて、匂いを嗅いだり、透かして眺めてもらったりした。「これは古代の水ですね」と言う人もいたが、それはちょっと大げさすぎる。

 けれど、間違いなく7メートルほどの地下水である。塩素殺菌されていない、身体には良い水だろうけれど、保健所は飲み水としては許可しない。「飲むんだったら、必ず煮沸してください」と言うだろう。

 依頼主も、飲料水としての井戸が欲しい訳では無い。万が一に備えて置きたいのだ。井戸の周りをどのようなデザインにするかについて、依頼主の父と子で思いが違うようなので、「おふたりでよく相談されてください」とだけ言って、作業を終えて来た。

 井戸掘りを託した後輩は、今日も中学の同級生を連れて来た。その彼も、勢いよく出る水を見て、「いやあー、楽しいですね」と言ってくれる。水が出て、依頼主が喜んでくれる、その瞬間があるから井戸掘りを続けて来た。しかし今日も、先輩は腰が痛くて座っているだけで、作業は何も出来ない。

 明日、東邦工業へ手押しポンプを買いに行くことになったので、リーダーの後輩と先輩のふたりで行ってもらうことにした。順調なら水曜日か金曜日に、手押しポンプの土台作りに入る。気疲れよりも肉体の疲れを感じた。

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慎重に、しかし楽しんで、頑張ろう

2024年04月06日 21時07分41秒 | Weblog

 今日は朝から井戸掘り。そうは言っても、新しい人たちに任せた身なので、手伝い程度のことしか出来ない。現場に到着してみると既に、依頼主さんによって深さ80センチほどの穴が掘ってあった。井戸への期待度が大きいと感じた。

 これまで通り、水槽に水を入れ、一杯になるのを待ちながら、65ミリの塩ビ管が3メートルほど入るように、穴を掘っていく。水槽の水がいっぱいになるのを待って、エンジンポンプをセットする。

 65ミリの塩ビ管に、エンジンポンプから水を送る。塩ビ管が見る見るうちに下がっていく。ここは砂利や小石は無いようだ。塩ビ管をさらに繋ぐ作業を3度ほど行い、全長で7メートルほどまで掘った。噴き出してくる砂の色も変わってきた。

 いよいよ水脈に近づいた。ここでもう少し我慢して、さらに深く掘ることが大事だったと後になって思う。7メートル近くまで掘って、出て来る砂の色も変わって来たので、これなら水は出ると勝手に思い込んでしまった。

 一息入れるため、昼食の時間とし、近くの喫茶店へ行く。井戸掘りを引き継いでくれた後輩が、中学の時の同級生を連れて来てくれた。とても気のいい人で、惜しみなく働いてくれる。「井戸掘りがこんなに面白いとは思わなかった」と、進んで作業に参加してくれる。

 「さあー、これでいよいよ花火の打ち上げですね」と彼は、水が汲み上がってくるのを期待する。65ミリの塩ビ管の中に、40ミリの塩ビ管を入れて、エンジンポンプで汲み上げてみる。しかし、どういうことか水量が少ない。

 これではダメなので、明日、もう一度65ミリ管を掘り下げてみようということになった。明日の天気をスマホで調べ、「雨ではないので、もう一度やってみましょう」と言う。連れて来られた友だちも、「何とかする」と言うから、私も参加することにした。

 焦ったり、ラクにやろうとしたり、そういう時はいつもうまくいかない。明日は慎重に、しかし楽しんで、水が出るように頑張ろう。

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今後の活躍が期待される作家

2024年04月05日 18時02分24秒 | Weblog

 「書名に魅かれて買った」と言う彼の言葉に納得した。浅野君が書店に並べられた本を見ていて、衝動的に手にした本は『答えは市役所3階に』(辻堂ゆめ著)である。彼が我が家に何冊か持って来て、貸してくれた中の1冊だ。

 副題に「2020年心の相談室」とある。何のことかと思いながら読み始めると、この時、日本中がコロナ禍で大騒ぎになっていたことを思い出す。亡くなった人もいたかも知れないが、もう忘れている。

 『答えは市役所3階に』は、「新型コロナウィルス感染症流行の状況を受け、このたび市役所三階に、2020心の相談室を開設することになりました」という市役所のお知らせで始まる。相談員には「臨床心理士の晴川あかり・認定心理士の正木昭三」とある。

 第1話「白戸ゆり」から、第5話「岩西創」まで、5人のコロナ禍の被害者(?)が相談する内容が記載されていく。そうだったなとか、そうだよねとか、思い出しながら、どんどん読まされる。凪良ゆうさんの小説もそうだったけれど、物語の展開が面白い。

 1話ごとの最後に、ふたりの相談員が相談者を分析する。その晴川の説明が凄くて、年齢の高い正木の方が感心して受け止めている。相談の時点では気付かなかったことを、晴川の分析で読者もまた教えられる。

 著者は心理学を研究した人かと思いながら、本の最後にあるプロフィールを見てビックリした。「1992年生まれ。東京大学法学部卒」とあったからだ。理詰めでコロナ禍の被害者を追っているのは、そういう学歴の人の作品だからなのか。

 読み終えてみると、5人の相談者が全部繋がっていた。これにも驚かされた。緻密な展開と仰天する結末を、さりげなく書くことの出来る人だ。今後の活躍が期待される作家になるだろうと思った。読ませてくれた浅野君に感謝!!

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元気でいられるのは何時までかな

2024年04月04日 18時41分24秒 | Weblog

 昨日は、友だちに徳川美術館の招待券を頂いたので、カミさんと一緒に出かけた。久しぶりだったからか、すっかり新しくなっている印象だった。雨降りだったので、徳川園の方は充分に散策する余裕が無かった。美術館前の桜が満開だった(下の写真)。青い空の下ならもっと映えただろう。

 枝が上に伸びている。何という桜なのかと思い、徳川美術館に電話しようとしたが繋がらない。パソコンで調べてみようとしたが、インターネットに接続出来ない。電話もパソコンも使えない。おかしいなと思い、孫娘に、家電に電話してもらったが、「繋がらないよ」と言う。

 3月末にKDDIが工事をしていたのが、それが原因だろうか。でも4月2日は電話もパソコンも使えた。マンションでパソコンに詳しい友だちに連絡し、家電に掛けてもらったがやっぱりダメだった。困っていると友だちがやって来て、パソコンのケーブルを抜いたり入れたりしてくれた。

 私には分からないが、「この箱、本来なら緑のランプがついていないといけないのに、インターネットも電話も赤になってる。KDDIに連絡して取り替えてもらわないとダメだなあー」と言うので、KDDIにケイタイから電話した。

 いろいろ言われても私には分からないので、友だちにケイタイを渡して話してもらった。今日、夕方にKDDIの人が来て、モデムなどを取り換えてくれた。「配線を見て来ます」と1階まで降りて行き、「ハンダ着けの部分が剥がれていたので、直してきました」と言いながら、さらに作業を続けていった。

 兎にも角にも、私はパソコンが使え、電話が繋がるならそれでいい。徳川美術館に電話すると、「トウカイザクラ」と教えてくれる。今年は桜の開花が早いとか遅いとか話題になり、ソメイヨシノだけでなくいろんな桜があることを知った。平安時代の人は梅を見て春を感じたが、武士の時代になって一気に咲いて散る桜に関心が集まったようだ。

 私はブログを休む時、前もって告知している。昨日のように休むと、再び脳梗塞の発症かと心配してくれる人がいる。たまたま、通信の事故だったから大丈夫です。でも、元気でいられるのは何時までかなと思うこの頃でもある。

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衝撃と激震のエイプリルフール

2024年04月02日 17時31分45秒 | Weblog

 衝撃は大きく、最悪な日だった。昨日の夕方、私が創刊した地域新聞の現編集長から電話があった。喉を詰まらせながら、「タイムスが6月で廃刊になります」と言う。最近の新聞を見ていて、そんな予感はしていた。

 以前、彼女から「広告が集まらないんですけど、どうしましょう」と訊かれた。私が創刊した時のスタイルを続けて欲しいと思ったが、それでは情熱が湧かないだろう。「あなたが思ったように、やる以外に無いね」と答えてしまった。

 住民の顔が紙面の各所で見られることが、地域新聞の基本と私は思って作って来たが、最近は、同じ号の1面にも2・3面にも市長の写真がある。地域を歩いて、こんな人がいる、こんなグループもある、それを拾い集めなければ読まれなくなってしまうのに。

 「そうか、仕方ないね」と、私は彼女を労わって、出来るだけ明るく言った。少々落ち込んでいたので、井戸掘りのメンバーが足りないと、心配していた後輩のために一肌脱ぐつもりで、一緒にやって来た先輩に都合を聞いてみようと電話した。

 「土曜日に井戸掘りをやることになったけど、都合はどう」と話した。すると、「何であんなたが電話して来るんだ。あんたは卑怯だ。道具の撤去も知ってたんだろう。勝手に持って行って、何の話も無い。いつもそうだ。勝手なことばかりしやがる」と怒鳴られた。

 確かに先輩には相談していない。反省会をやる時も、旅行に行く時も、何も相談していない。彼は猛烈に激怒していたが、忙しい身を思って、結果だけを伝えて来た。彼にとっては軽く扱われているようで、面白くなかったのだろう。

 友だち付き合いの仲、そんな型苦しい建前はいらないだろう。そう考えてしまうのは、思慮の欠けることだった。気配り、目配りが大切だと分かっていても、勝手に自分の目盛りで判断してしまっていたことを後悔した。

 「あんたでは無く、代表が来い。そう伝えておけ」と彼が言うので、代表を務める先輩に経過を話した。ふたりが話し合えるとは思えないが、私もこれ以上付き合いたくない。電話を聴いていた時、私は、彼と刺し違えて自分も死ぬしか解決は無いとまで思った。

 人の心を推し量ることは難しい。衝撃と激震のエイプリルフールだった。

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ひとりでは難しいが、まだ時間はある

2024年04月01日 17時36分09秒 | Weblog

 マンションの庭に植えられている桜が、少し咲いてきた。入学式や始業式が行われるころには満開になって、子どもたちが笑顔で桜を見上げていることだろう。今日は4月1日、入社式がテレビで流れていたが、出発にはふさわしい日和だった。

 私の昨日のブログを読んでいたカミさんが、「ちょっと来て」と呼ぶ。「プログラムに音楽物語とあるのに、音楽劇はダメよ」と注意される。朗読の舟木先生が『窓ぎわのトットちゃん』を朗読し、ピアノやチェロやフルートによる演出を、私は朗読劇と表現してしまった。

 でも、カミさんの言うように、「音楽物語」の方がしっくりくるかと思い直し、急いで訂正した。カミさんをこのブログの公正担当に任命した覚えは無いが、時々厳しい再訂が下る。言葉については私の方が経験が深いと思っていたが、パソコンは読み返さないと思いもよらぬ文章になってしまう。

 だから、必ず読み返すようにしているが、自分で書いた文章は間違いに気づきにくいようだ。作家も文章を書きあげると編集者に渡し、校正してもらうようだ。それでも小説を読んでいると、さっきまでボールペンを持っていたはずなのに、ちびの鉛筆を置いたという文章を見つけた。

 そんな間違いは他愛もないことだろう。自民党はキックバックした議員を調査し、処罰するという。小林製薬が生産したサプリメントでなのか、死亡した人や体調不良になった人が続出し、小林製薬は調査している。厚生省も問題視している。

 問題が発生したら、「充分に調査し、誠意をもってお答えします」が、日本人の常套手段になっている。私もカミさんから訊かれると、「はい、調べてみます」と答えている。「それって、あなたが仕舞っていたよ」などと、思っていても口には出さない。

 「今のところ、ひとりしか見つからない」と、井戸掘りを受け継いでくれた後輩が心配して電話してきた。「やっていくうちになんとかなるよ」と、返事する。ひとりでは難しいが、まだ時間はある。せめて、もうひとり見つかればいいのだが‥。

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