カミさんの友だちの紹介で、名古屋市公会堂で行われた映画『みとりし』を観に行って来た。暑かったので、カミさんは「車で行かない!」と提案する。地下鉄は涼しいが、駅までの道中で熱中症になってしまいそうと心配する。車で行けば時間はかかるが、この暑さだからその方がいいだろう。
こんな暑さの中、人が来るのかと思ったが、意外に大勢の人が来ていた。映画は死を目前にした人が、自宅でその時を迎えるというものだった。死は誰にでも訪れる。その時、たとえ1%でも幸せに思えたなら、その人生は100%幸せだっただろうと語る。
死に際に、抱きかかえられて旅立てば、人はぬくもりを感じて幸せな顔になる。その役割を果たすのが、「みとりし」という人の仕事だと映画は教える。確かに、病院にいては否応なしに延命治療をされてしまう。患者の意思を尊重して、延命治療を避ける医師もいるようだが、いろんなことを考えてそんな冒険はしない医師の方が多い。
本人も家族も自宅での見送るを希望しても、誰かが付き添わなくてはならない。映画ではそれを「みとりし」が行っていたが、24時間付き添うのは無理だろう。それに無償という訳にはいかないから、報酬を支払うことになるが、かなりの金額になるだろう。また、自治体が行っている包括センターとは、どういう関係になるのだろう。
私は延命治療は望まない。ポックリと死を迎えたいが、そもそも自宅で死を迎えることが出来るのだろうか。自宅で死んでいると、救急車では無くパトカーが来て、不審死ではないかと調べられる。「みとりし」も介護士も医療行為は出来ないし、そもそも死亡診断書は書けない。
安らかに死を迎えられる施設は必要だと思うが、そんな場所は病院以外に無い。「みとりし」施設が出来て、安いホテル代くらいの料金なら、「みとりし」業も成り立つかも知れない。病院と自宅の中間的なそんな場所が必要だと思う。
駐車場を出ようとしたら、「駐車券が無い」と言う。そんなことくらいでパニックになるようでは「みとりし」は務まらないだろう。雨が降ってきた。雷はどこだ?