チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2020.09.26 傘が壊れて、気付いたこと。
昨日、友人宅の庭で花の写真を撮ろうとして、コンクリートの段差で、後ろ向きに
転んで、傘を大破したことを書いた。
友人のBちゃんが、「その傘が、大島さんの身代わりになってくれたんやと思うわ。」
と言ったので、笑って、「珍しく優しいことをいってくれるね。」などと冗談扱いしていた。
ところが、夜中にふと気付いた。(夢の中でだったか?)
転んだ時に、私の背中をふわりと受けてくれるものが,確かにあったことに。
まるで、大きな柔らかいものの中に、転んだ私は受け止められていた。
その中で、背中が柔らかくポンと弾かれた感覚を、はっきりと覚えている。

そうだ、私は、傘の中に倒れたのだ。
その時、倒れた私の体重で、古い傘の布地の折り目の山が裂けて、その拍子に
傘が大きく横に飛んだ。
その後で、私の背中は、コンクリートに接地した。
背中は、一旦柔らかいもの(傘というクッション)に受け止められて、その後で
コンクリートに当たったので、私は痛くも何ともなかった。
それにしても、これだけ大きく、スッパリと布が切れていると言うことは、衝撃が
大きかったからだと思われる。
つまり、私の体重の衝撃力が大きかった。
そうだった!と、私は今更の様に気付いた。確かに、傘に助けられたのだ!
Bちゃんの言う通りだった。
今朝起きて、Bちゃんに電話した。
貴女の言う通りやったわ。
あれから、私の背中を受けてくれた傘の柔らかな感触を、思い出したわ。
傘を背中に掛けていたので、その傘の中に倒れたのでよかったんやね。
お陰で、軽くて済んだことが判ったわ。
Bちゃんの言う通り、傘に助けてもらったわ、と言った。
今日、心配して電話してきてくれた友人達とも、傘のことを言い合った。
しかし、面白いことには、その時、皆が例外なく言った言葉は、「何よりも、貴女の
お尻の肉が、クッションになったことは、確かよ。」と言うものだった。
「もし、お尻に肉が無かったら、こうはいかなかったよ。悲劇だったよ。」と。
確かにそうだ。
「年寄りは、小太りが良いとよく言われるけど、確かにそうよね。」と、
そう言う結論で盛り上がった。
なお、私は、若い頃からの大の傘好きであった。
昔は、阪急百貨店8階に「銀座街」という一画が有り、銀座のそうそうたる有名店が
店を並べていた。
私は、年2回のバーゲンの度に飛んで行き、傘を買った。
上質な傘で、普段は高いものだった。
その頃の職場の後輩達は、私の影響を受けて、傘好きになった人が多かった。
その頃の傘は、生地も上等な上に、骨組みも立派で、骨の本数も多いので、
上等な傘は、結構重かった。
私は傘を大切にして、全然汚さないので、何十年経った傘でも、「あら、新しい傘
買ったの?」とよく聞かれた。新品かと思われていた。
定年で職場を止めてから、コンピューターと言う未知の世界に埋没し、身体はおろか、
手と脚まで悪くなり、歩けなかった頃、もう、自分にはこんな傘は重すぎて持てないと
思って、あんなに大切にしていた傘のほとんどを、人に上げてしまった。
その後、もう、傘を買うことも無くなっていた私だったが、珍しく、10年程前、
日傘がほしくて、晴雨兼用の傘を買ったのが、今回の傘だった。18000円だった。
良い傘から無くなる(盗られる?)経験のある私は、新しい傘の木の持ち手に、
名前を彫ってもらって、10年以上大切に使った。
1年に200日使うとして、10年なので、2000日ぐらい使ったかも知れない。
その愛用の傘が、今回、私を助けてくれたのだ。
カメラを撮っていた私は、両手を使っていたので、傘の枝を首と顎で押さえながら、傘を背中に被せて差していたが、そのまま後ろへ倒れた。
つまり、傘の中に倒れることになった。
傘の骨が立派だったから、折れないで受けてくれた。良い傘を買っていて良かった。
良い傘で丈夫だったから、小太りの私の体重を傘の丸みが受けてくれた。
その時、柔らかい反発と言うか、弾みを感じた。
その途端に、擦れて弱っていた布の折り目の山が、まっ二つに断絶していた。
この傘で思い出したが、年に何回か90歳代の上司のお宅へ、ご招待頂いていた頃、
玄関先の私の傘を見て、奥様が「あれは、貴女の傘ですね?そうだと思っていました。
良い傘をお使いですね。」と感心した様に言われた。
「はい。一応、シルクです。」とお答えしたが、その時、とても誇らしい思いがした。
近く、これを買った傘屋さんへ行き、次の子を探してもらおうと思っている。
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