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2020.09.30 ピザ・ファイナルデー

今日は、阪神電車西宮駅にあるフードコートの,ピザ屋さんが閉店する日、
最後の日なので行こうと言うことで、私と摩耶さん、そして、摩耶さんの友人
のジガランの三人で、お店に行った。
ミエちゃんも行きたがっていたが、ご主人の病院の関係で無理だった。

ジガランとは25年振りの再会だった。
ジガランとは、難しい苗字の略だったが、何と言う苗字だったか忘れた。

ジガランとの出会いは、昔、私が職場の後輩と電車に乗っていると、
ジガランが乗って来て、私の後輩が、ジガランのことを小学校の同級生だと
紹介してくれたことがあった。

その後、今から25年前に阪神大震災が有り、私の家は全壊し、摩耶さんの
マンションも壊れた。
でも、マンションは、いずれ建て替えが必要だけれど、当分住むことが出来た。

ある日、私が摩耶さんのお宅を訪ねると、座敷に,ワダッチとジガランが座って
いたので、びっくり!
ワダッチは、摩耶さんの職場の親友で、ある時摩耶さんちに泊まりに来て二人で
銭湯に来ていて、偶然銭湯に来ていた私と会い、それ以来三人で仲良くなった。

ジガランは、摩耶さんと小学校以来の親友だったということが分かった。
後で、あの時電車の中で、ジガランを私に紹介してくれたみっちゃんも、
それこそ、摩耶さんの大の親友であることが判った。
それを知って電話して来たときの摩耶さんの驚き振りは、可笑しい程だった。
自分の小学校以来の幼なじみ達が、みな私の知り合いだったという驚きで、
摩耶さんは、驚くこと驚くこと。
みっちゃんは、神戸の我が家へ、震災の前に1回、震災後再建した家に1回
遊びに来てくれたことが有る。
そんな偶然に、摩耶さんが驚くのも、無理は無いと思った。
神戸は狭いと言うことか?



阪神大震災の直後に、摩耶さんのお宅で会って以降、ジガランとは、25年振り
なので、楽しみにしていた。
実は、それ以降に、摩耶さんが目の手術をして入院した時、六甲山頂の病院の病室で
会っている。
二人は忘れていたが、私ははっきり覚えている。会話の内容まで。
久しぶりのジガランは、相変わらず話し易い楽しい人だった。



ジガランも、ピザが大好きだと言うことだった。
三人とも、美味しい美味しいと、もりもり食べた。


手前のピザ職人さんは、イタリヤから、帰って来たばかりの人。
奥の少し若い人も、ピザ職人さん。


お店の看板。今日で終わり。淋しい。


明日の10月1日が、「お月見」の日であると分かったので、近所の和菓子屋さん
へ行くと月見団子があったので、買って帰る。


その後、近くの珈琲店へ入る。
くつろげる良い店で、二人に喜んで貰った。


家へ帰って、お月見団子を供える。
テレビの前の、我が家のステージに飾る。

今日は、懐かしいジガランに会えて、皆で話が大いに盛り上がり、本当に
楽しい1日であった。


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