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2020.10.16 我が家で麻雀会の日。

今日は、我が家で麻雀会の日。
皆さん到着後、黒豆茶を飲みながら、少しおしゃべりタイム。



それから、麻雀開始。
皆、ワクワクしている。



お弁当タイム。皆さん、手作りの可愛いお弁当。
ここで、熱い日本茶を煎れた。


麻雀の一休みに、珈琲タイム。
エスプレッソコーヒーと持ち寄りのお菓子やチョコレートを食べながら、沢山おしゃべり。
私がチョコレート好きだからと言うことで、チョコレートが多かった。
果物も美味しく、喜んで貰った。


今日は、誰も大きな上がりが無く、満貫なども1回もなくて、小商いばかりの珍しい日だった。
従って、成績は、全員、ドングリの背比べ状態で、ほとんど点数の差はなかった。
いつもは最下位のNさんが、今日は、勝ち続けてトップ。
「お主、腕を上げたのう」状態だった。^^
私は全然付いていなくて、最下位だった。


我が家は、リリー荘なので、百合の花は欠かせない。
百合はつぼみも、可憐で好きだが、もう少し早く買ったら、もっと開いていた筈。
これからは、もう一日前に買いたいと思う。(3日前に)


食器類を洗って、おしぼりを干して、片付け終了。



それから夕食する。お昼と同じ牛肉弁当、美味しかった。



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2020.10.15 麻雀会前日

今朝起きたら、10時10分だった。
昨夜寝たのは、1時過ぎだったので、9時間寝たことになる。
先週は、朝起きたら10時50分と言うこともあった。
その時は、寝たのは12時半だったので、10時間眠ったことになる。
よく寝るな〜と思うことがある。年寄りのくせに。
私は、たとえ10時間寝ても、その間、トイレには1度も起きない。
クラス会へ行くと、私達の年代なら(80歳)、夜中のトイレは3回が平均よと言われる。
それから、99.9%の人が、70代で白内障の手術を受けて居るのよと言って、
まだ受けてない私は、0.1%の中に入るのだと教えて呉れる。
目医者に行って調べてもらっても、まだ、白内障手術の必要は無いと言われる。
視力がその証明ですよと言われる。
私ほど、目を酷使した人は居ないと思っていて、その代償を恐れて居た私だったが、
先生は、「目は酷使で悪くなる物ではないのです。」といつも言われる。


黒豆茶2リットル用意する。




あ、そうそう、忘れてた。
このお皿!このお皿を先日骨董屋さんで見付けたことを、自慢しなくちゃ。
明日は初お披露目の日。
しかし、皆は、フ〜ンと言う程度のリアクションかも知れない。
ま、慣れてるけどね。


明日の宴(?)の準備完了。
遅く起きたから、掃除などで忙しいと思っていたが、もうあまりやることが無く、
お昼過ぎには用意完了。


それで、後は、お弁当作りしか無いので、ぼつぼつと準備する。


焼肉弁当。
明日のお昼と、夕食の分のお弁当2つ作る。

これも、3時半には、準備完了。
私は、ノロマで、何をするのも遅かったのに、この頃は,何故か、することが
手早くなり、自分でも驚くことがある。


何もすることがないので、それではと、5時から早い夕食。
といっても、お弁当のおかずの残りでの夕食。
と言うことは、今日の夕食と、明日のお昼と、明日の夕食の3回は、同じおかず
と言うことになる。
ま、良いか、好きな物ばかりなので、私は気にならない。

あとは、お風呂に入って寝るだけ。
こんなに、楽な来客用意があったかしら?
昔は、夜中まで、キリキリと準備していた人だった様に思える。

私は、友人達と会うときも、昔は遅刻の常習者だった。
しかし今は、「大島さんは大丈夫、遅れないから、云々」と言うセリフが
聞こて来ることがあり、そう思われているらしく、感無量。
隔世の感がある。
歳を取ったら、手早くなるのか?
そんなことって聞いたことが無い。
ま、同じ作業なら、経験値としての数は,確かに増えるけれど。




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2020.10.14 明後日の麻雀会の準備。


明後日は、我が家で麻雀会なので、家の掃除を頑張る。
そして、麻雀卓の準備も完了した。ちょっと、気が楽になった。
でも、実は、まだ掃除は中途半端。明日頑張らなくちゃ。



果物などの買い物は、今日済ませた。
果物は、安い物だと、小さいし見た目が汚いので、仕方なく、美味しそうな物
を買ったが、綺麗な物は高価だった。

私は、麻雀会の2日前には必ず、3人に、「明後日、お待ちしています。」
と,メールを入れることにしている。
今回、それをして、本当に良かった。
と言うのは、Nさんから電話があって、「今月の会は、貴女のお宅だったの?
私は、てっきり、Hさんのお宅だと思っていたので、明後日は、そちらへ行く
つもりだったのよ。」とのこと。

そうでしょ?
そういうことも,あろうかと思って、いつも、2日前には連絡しているのよ。
良かった。念には念を入れておかなくちゃね。
連絡くれない人も居る。私は慎重派。というか、恐がりかな?
でも、今日は正解だった!

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201013 今日は、亡父の57回目の祥月命日。

我が家では、父母の祥月命日には、必ず兄弟揃って、墓参し、会食するのが習わしである。
毎年、兄弟揃っての墓参は、①春の彼岸、②母の祥月命日(6月20日)、③お盆、④秋の彼岸、
⑤父の祥月毎日(10月17日)、⑥年末の5回だが、私が驚くと言うか、感謝して止まないのは、
それぞれの配偶者が、墓参を嫌がらないどころか、当たり前の様に熱心に参加してくれることだ。
それどころか、お参りを済ませて立ち去る時に、「また来ます。」と小さな声で墓碑に向かって
挨拶しているのが、耳に入ったときは、深い感謝を感じてじ〜んとする。

今日は、亡父の57回目の祥月命日だった。
いつもなら、兄夫婦、妹夫婦、そして私の5人で墓参する。
しかし、今年は、兄が入院しているので、兄夫婦は出席出来なかったので、3人での墓参になった。

我が家では、昔中国に住んでいたことから、何かお祝いと言うと、長年の間、中華料理屋で祝っていた。
この頃は、皆歳を取ったので、遠路の運転は敬遠して、街中の店で食事するので、中国料理とは限らなくなった。

先日、私が元町の傘屋さんで傘を買った時、お店の奥さんに教えて貰った日本料理店へ、今日は3人で行った。


和食らしい上品な味。


秋の味覚が、素晴しかった。


さつまいもなどを使った天ぷら。

あと、キノコご飯と、、お吸い物。
この二つは、お替わり自由。ランチメニュー1800円
元町通り、丹色(にいろ)と言う店。

最近、コロナでミニクラス会が中止となっているが、
再会したら、一度、ここへ案内しようと思っている。


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2020.10.12 マスク狂想曲


先日、Bちゃんと、ピザを食べに行った時、又、マスクを10枚程作って来て
くれた。
それを、女板前Kさんに、7枚送ったが、子供用の小型の物など、幾つかが
残っていた。

それで、キティーちゃんのマスクを、マンションのエレベーターで、小さな
女の子が居たら、上げようと思っていたが、そう思うと、なかなか会えなかった。
ようやく、1歳ぐらいの女の子を抱いて、三歳ぐらいの女の子の手を引いている
お母さんに会えた。
若いお母さんに「マスク要りますか?」と聞いて見た。
欲しいとのことだったので、マンションの室番号を聞いて、後で、郵便箱に
入れておきますと約束した。
1◯07号と、聞いたと思っていたので、郵便箱に入れておいた。

翌日、外出から帰って、マンションの入り口近くまで来ると、私に向かって手を
振っている女性が居た。
その方は、元病院の看護婦長を定年退職となり、今は、自宅で痴呆症の母親の
介護をされている。
私も手を振って応じた。近付くと、彼女は「マスクありがとう。」と言った。

私は、びっくりして、「え〜?お宅の郵便箱に入っていましたか?小さな子供
さんが二人居られるお宅に入れたつもりでした。」というと、「いえ、うちの
郵便箱に入ってました。我が家が1◯07号です。」とのこと。
「母には、大人用のマスクは大きすぎるので、子供用のキティーちゃんの
マスクをさせていたけど、それが傷んでしまって、捨てたところに、マスクを
頂いたので、嬉しかったのです。」
「え?お母さんが、子供のマスクをされるんですか?」と聞くと、「そうです。」
と言われた。

気の毒だったけど、私は、「又、友人に小型のマスクを作って貰いますので、
今回の分は、一旦返して頂けませんか?」と頼んだ。

これらのことは、Bちゃんに逐一連絡していて、「少し小型のマスク作って
上げてね。」と又々、私の厚かましさは、際限がない。

翌日、元看護婦長さんから、我が家の郵便箱にマスクが返却されていたので、
さっそく、本当の送り先を調べようと思った。
あ、そうだ!管理人さんに、小さな子供連れのお母さんのことを聞くと何階の
方かすぐ教えてくれる筈と思った。
ところが、それを思い付いた時は、土曜日の午後で、管理人さん不在の日。
翌日曜も不在の日。
仕方なく、各階の7号室を、全部ピンポンした。どの階のお宅もお留守だった。
翌日曜日も、ピンポンしたが、やはりどこもお留守だった。

困り果てた私は、思い付いた。
あ、そうだ、こんなときの頼みの綱、6階のMさんに聞きに行こう。
Mさんは、このマンション建設の最初から住んでいる方で、私が仕事で過労の
為に身体を壊して、足が激痛で動けなかった時、ゴミ出しや買い物等を、本当
に気持ち良く、やって下さった女神の様な方だった。

「あ、その方なら、1△07号室にいらっしゃいますよ。」とすぐ教えて貰った。
すぐ、そのお部屋に行き、ピンポンしたが、お留守。夕方もお留守。
翌日も、朝、昼、晩と伺ったがお留守。休日なので、お里帰りなのかしら?
その翌日の月曜日、朝、昼お留守。夕方ようやく、在宅で、お届けできた。
あの可愛い小さな女の子2人が出て来て、マスクを喜んで呉れた。

1週間後、Bちゃんから、追加のマスクが届いたので、あの元看護婦長の方
と、そして、あの子供さん2人のお宅(もっとほしいとのことだったので)へ、
追加分を。
そして、何故か、この騒動中に、あのBちゃんのマスクが大好きな階下の方に、
偶然出会い、もっと欲しい欲しいと言われるので、この方にも、併せて
計三者の郵便箱に投入して、一件落着した。

私が、最初に間違ってマスクを渡した時、「又、作って貰ってお届けしますから、
その分は、一旦返して下さい。」と頼んだことを、Bちゃんが、たまたま会って
いた友人2人に言ったら、2人は「え〜?大島さんって、酷いこと言う。」と
散々な評判だったらしい。
Bちゃんが、「約束した方に、早く届けたい一心で言ったのだ」と、言ってくれたらしいが。
あ〜あ、余計なことばっかりしたので、評判落としてしまった。いやはや!疲れた。

Bちゃんが、今回の件で、「え〜?こんなことって、あるの〜?」(間違った
先も偶然キティーちゃんのマスクが欲しかったこと)とすっかり驚いていた。
そして、「このこと、絶対ブログに書いてね。」と言った。
「え〜?嫌やわ。書かへんわ。気易く言わんとって!こんなややこしいこと、
まとめるだけで大変やわ。」と言った。
しかし、Bちゃんのリクエストに応えて、書くことにした。あ〜、ややこし!

訳の分からんことばかり書いて、読んでくださったゲストの方を、疲れさせた
ことが、一番酷かったですね。すみません。お許し下さい。








これをアップしてから、Bちゃんに連絡した。
ひちめんどくさい内容で、人に読ませるのは、失礼かも知れないと思って、
その場合は、削除しようと思っていた。
それで、Bちゃんに、「一応アップしたけど、めんどくさかったら、削除する
からね。見てね。」と言った。

すると、意外や意外!
「凄い!よ〜く理解出来たよ!
ちょっと長いけど、仕方がないわ!めっちゃいいわ!お疲れ様!最後に、
えらいマスクたくさん撮ってくれたね!」だって。
リクエスト者である彼女は、大変喜んでくれた。
あ〜、よかった。

Bちゃん!マスク作れ、マスク作れと、煩さく言って、自分の友人達に配り
まくった、自分勝手な私だったけど、嫌がらず、山ほど作ってくれて、ありがとう。
いつも、ありがとう!☺️
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2020.10.11 いつも、本当にありがとう。

昨日、100歳の方へのお祝いの品の発送のことを書いた。

ブログの記事を見た、Bちゃんから、メールが来た。
「葉書の文字、ピント合ってないから、読みにくいよ〜」

私は、こんなものまで読んで頂くのは申し訳ないので、わざと文面をぼかした
写真を載せていたので、少しびっくり。
「えー?わざと、ぼかしたけど、ぼかさないほうが良かった?」

すると、Bちゃんから、
「全く読まれないようにするか、バッチシ読めるようにするか、どっちかに
した方が、いいんとちゃう!今回は、読めそうやから、読むと、目が変になり
そうやもん!」

なるほど、そうやね。
それにしても、わざわざ読み難くしていたのに、読んでくれたの?
だったら、読める様にした方が良いよね。

その時、私は、テレビで「鬼滅の刃」のアニメを見ていたので、
「わかった。これ済んだら、ピント合ってる写真を載せるね。」と答えた。

ところが、アニメは長い番組で、2時間も放映していた。
前日ミエちゃんから、「明日、「鬼滅の刃」を◯◯チャンネルで、△△時間
からやるよ。」と連絡が入っていた。
先日、二人で会った時、この話題をしていたらしい。

それを見終わってから、ピントの合った写真を撮り直して、アップし直した。


しかし、Bちゃんには、つくづく感謝する。
私のブログに付いて、おかしな表現などが無いか、きちんと見ようとしてくれている。
全部、見ないといけないと思って、ピントのボケた葉書の文章を、読み難いのに、
読んでくれた。

私は5年前に、60年来の大親友、のばらさんを失った。
心の中で、観音様と思っていた人だった。
阪神大震災で、神戸の家が全壊した私が立ち直れたのは、のばらさん初め、
その時の仲間の長年の献身的な支援のお陰だった。
20年前、職場を辞めて、パソコンの世界に飛び込んだ私に、惜しみなく応援
してくれて、毎日毎日、自分も仕事があるのに、私のホームページやブログの
文章なども、隅々までチェックしてくれて、「「です。です。」って、二つ書
いていたよ」とか、「何行目の文章の続き具合、おかしかったよ。」などと知ら
せてくれた。一日に、5往復程電話し合った。電話料のとても高い頃だった。

震災の時、こんな私に、職場での親友だった別の友人が、「あなたには、本当
に不思議なことに、いつも助っ人が現れるのよね。」と言っていた。
本当に、その通りだと私も思っていた。

しかし、そののばらさんを失った。
どん底だった私に、今度は、観音様ならぬ、「下町のマリヤ様」が現れてくれた。
Bちゃん、ありがとう。いつも、助けてくれてありがとう。
時々、叱ってくれてありがとう。
でも、私に関わったばっかりに、めんどくさいことになったね。ごめんね。
心から、感謝しています。本当に、ありがとう。



なお、今日、100歳のF様から、お電話があった。
もう、シャインマスカットは、先方に着いたらしい。
翌日に着くなんて、最近の流通力はすごいな。
葉書は、今日投函したが、間に合わなかった。
とても喜んで頂いて、美味しく頂いていますとのことだった。


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2020.10.10 百歳のお祝い

10月14日で、百歳になられる方のお祝い会を予定していたが、コロナもあり、
遠路出席して頂くのは、ご家族にご心配かけるのではないかということで、
遠慮させて頂いたことを、先日書きました。

代わりに、何かお祝いの品物をお送りしようと言うことになっていたが、
いよいよ、お誕生日も迫って来たので、今日は、発送手配をしに、百貨店へ行った。


シャインマスカットを、送ることにした。


熨斗を付けてもらった。
百貨店の店員さんに。「百歳の方は、珍しいでしょ?今まで、熨斗で書いた
ことある?」などと言って、何故か、私が自慢する。
ありませんとのことだった。



お送りしたことをお知らせする為の、葉書を書いた。
昔から、物を送って黙っているのは、大変失礼なのだと聞いていた。
目上の人に送る時は、特に気をつける様にとのことだった。
差別用語になるかも知れないが、「乞食にやるのであるまいし」と言われた。
これは、今では差別用語かも知れないが、いかにも理解し易い教えだと思う。
真実を付いている。よくわかる。
物だけ送ると、まるで、恵んでやる様な態度になることを、戒めている。

金色のシールを、買っているので、お祝い事の時は、それを貼る様にしている。
葉書の場合は、文面の上に、お手紙の場合は、封として貼っている。
そうすると、とても、晴れやかになるので、送る方としても楽しい。

一緒に贈るメンバーに、念のためシャインマスカットの写真と料金レシートに
一人当りの負担額を割り算した金額を書いたものを,写メして送る。
スマホは、こういう時、良い仕事をしてくれる。有能な秘書だなと思う。

Fさんが90歳になられた頃から、気の早い私は、100歳のお誕生日のことを、
いつも云々していたので、この様に、中止になることは考えていなかった。
中止は残念だったけれど、ひとまずは、一件落着した。
今回のお届けもの、100歳のFさんは、喜んで下さるかしら?

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2020.10.09 今日は、サボリデー。

今日も、いつもの様に、パソコンの前に張り付いて、世界情報、日本情報をユーチューブで見る。
今日の午後は、牛肉を買いに行きたいと思っていたが、ぐずぐずしていたら、外出しそびれてしまった。


それで、夕方から出掛ける。
三宮の別館牡丹園の「牛肉と野菜のあんかけ飯」を食べに行く。



その後、ケーキ屋でモンブランを1個だけ、買って帰る。
お茶は日本茶で。

こんなに、自分勝手な一日!
10月と言う、暑くも寒くもない快適な気候。
そんな最高の一日を何と言うこともなく過ごさせて頂いた。
ぜいたくな感謝の一日だった。



その後、
Bちゃんから、メールが来た。
「ほんまに、夕方出掛けて外食。2日続けてモンブラン!やりよるな〜☺️」
だって。
そうだ、忘れてた。確かに、前日もモンブランだった。
しかし、あの時のモンブランは、最高だったな〜。
次回も、あの店に行きたい。
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2020.10.08 久しぶりの食事会

元職場のN支店の仲良し5人組は、一人が入退院の繰り返し、一人が四国に
住んでいるので、いつも会える三人で、ミツバチ会と名付けて、毎月の様に会
っていた。
ここ半年程は、流行病の自粛で会っていなかった。
今回珍しく、病気がちだったYさんから声がかかったので、4人で会えた。
従って、今日の会は四葉会と言おう。


又々、ヤーちゃんが、すごく豪華な食事を、格安で食べられるチャンスを用意
してくれた。
7千いくらのコースが半額になっているものを、更にサービス券を使えるので、
2千円台になるらしい。



乾杯!


刺身も新鮮、酢の物もおいしかった。


天ぷらも、美味。



満足して、次は、お茶の場所へ移る。
美味しい珈琲や、紅茶のお替わり自由なので、4〜5杯お替わりした人も。
私は、お替わりせず。
3月頃から、半年程会ってなかったので、積もる話があった。
写真は、まるで、自分の家かの様に、ゆっくりとさせてもらっている風景。


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2020.10.07 えてがれいの干物が美味しい、干物は自分で作ろうと思った。

私は、昔の人なのに(老人なのに)、魚が苦手な、珍しい人と言われる。

最近の魚は、臭いので、益々敬遠する。
先日、思い切って、大好物の甘鯛の干物を買ってみた。
いくらなんでも、これは美味しいだろう。甘鯛がおいしくない筈は無い。
甘鯛は、20年振りぐらいだった。
私に取っては、目の飛び出る値段、1500円も張り込んだ。

しかし、何故か、不味かった。臭いが嫌だった、腐敗臭ではない。
それで、半分捨てた。甘鯛でさえも、こうなのか?
後日、そのお店で、それを言った。
もし、品物に自信があったら、「え〜?そんなはずはない。」と主張するはず。
しかし、そうは言わなかった。
「それだったら、これはどう?」と言った。怪しい。まずいことを知っていた?
もう、信じられない。益々、魚から遠ざかりそう。



そんな私が、最近、生臭みが少ないと思って、美味しく食べているのは、
えてがれいの干物。
これは、あっさりとした白身の魚で、美味しくて、ほっとする。

以前、仲良しの元女板前のMさんと、市場に行っていた頃、彼女が勧めるので、
えてがれいを買った。
それを、自宅に帰って、彼女に教えて貰った通り、自分で干物にした。
それが、抜群に美味しかった。
その記事は、下の通り。↓ もう、7年も前のことだったか? 懐かしい。

今回、これで思い出した。自分で干物を作ると美味しいことを忘れていた。
チタン鍋に、網を敷いて、魚を置き、塩をして、冷蔵庫に数日置くと、自然に
美味しい干物になることを。
その頃何度か、上質の鮭の切り身で塩鮭を作り、感動したことがあった。
格別良い品物でないと、干物には出来ない。

えてがれいは、めったに無いが、今後、鯵などで新鮮なものがある時、魚屋で
開いてもらって持ち帰り、干物にしたら、抜群のものが出来上がる筈。
干物は、チタン鍋で、自分で作るのが、一番だった。それを忘れていた。

これを思い出して、急に楽しみになった。
魚が苦手の私でも、美味しい魚は大好きなのだから。
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2020.10.06 スマホで、国勢調査を済ませる。


今日、パソコンで、国勢調査の回答をしようとすると、なんとまあ、私のマックが
古過ぎて、「恐れ入りますが、お使いの利用環境ではご利用いただけません。」
な〜んてことで、受け付けてくれない。

それでは、スマホでトライしてみようか。
これは、案外簡単に回答出来た。
便利な世の中だな〜。

一方、コロナで申し込みが急増したとのことで、2ケ月も待たされていた生協の
宅配だったが、ようやく今日、掛りの人が来てくれた。
こちらは、まだ冊子から、番号を選んで、書き込む方法。
これも、いずれは、パソコンで入力出来る様になるだろう。
今は過渡期だと思う。
世の中、大きく変わろうとしているのを感じた日であった。

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2020.10.05 魚の思い出。

私は、食べ物に好き嫌いが無いと自慢していた時期があった。

しかし、子供の頃から、煮魚はあまり好きではなかった。
学校から帰って玄関で、魚の煮付けの臭いがしたら、がっかりして、悲しくて
たまらなかった。
牡蠣も、生は好きだけれど、牡蠣鍋は臭いが辛い。カキフライは大好き。
蟹も、生も茹でた蟹も大好きだが、蟹鍋などは臭いが苦手。

若い友人が、わたしが魚嫌いなことを家に帰って言ったら、「珍しいね。昔の人
やのに。」と言われたらしい。昔の人で、悪かったね。

一方、焼き魚は、大好きだった。
子供の頃から食べていた塩鮭が懐かしい。
私は、こんがりと焼かれた塩鮭の皮の味と香りが大好きだった。
最近の塩鮭は、皮が臭い。今度こそは、臭くないかと何度もトライしたが、どれも臭かった。
「沖塩」では無く、「浜塩」の魚ばかりになってしまったせいである。
もう、挑戦する気もなくなってしまったし、魚屋さんへ煩く言うことも止めた。

私は、子供の頃から、市場にお使いに行っていたので、知っているが、昔は、
魚屋の軒に、木製のトロ箱が積んであって、その側面に黒い墨で「沖塩」「浜塩」
と書いてあった。
「沖塩」と言うのは、魚が捕れた時、沖の船上で塩をした魚で、これが、上物
だった。
一方、「浜塩」とは、沖でとって来た魚を、そのまま持って来て、浜に戻って
から、浜で待っていた大勢の人が塩をするもので、従って、鮮度が落ちている
ため、味や臭いが悪く、従って値段も安かった。
私は、そのことを、本で読んで知っていたので、子供のくせに、ここにいつも
注目していた。
だから、私の買って来る魚は、いつも間違いなかった。

母が魚の煮付けが好きなので、夕食に、煮付けが多かったが、そんな時、母が、
必ず、魚を指さして、「これ、いくらだったと思う?」と私に聞いてきた。
何故かと言うと、私が、毎回、ぴったりと値段を当てるのが、とても面白いから
らしかった。50円、60円とか,高くても80円とかだった。
なにしろ、勢子ガニが30円、40円の頃。
何故か、いつも、ピタリと合っていて、間違ったことが無かった。
余りにも見事に当てるので、母は大笑いしながら、凄いね凄いねと言った。

ある時、見事なマナガツオの煮付けがあった。
案の定、「これ、いくらだったと思う?」と母が聞いて来た。
マナガツオは高級魚だということはよく知っていた。しかも見事な鮮度だ。
高いことは分かっている。即座に「110円」と私は言った。(今なら、切り身
一切れで800円から1000円ぐらいするのではないか。)
すると、ちゃぶ台に座っていた母は「え〜?」と言って、大きな笑い声を発し
ながら、後ろに倒れた。
いつも、ぴったりと値段を当てる私だったが、この,初めての高価な魚のこと
を知っていて、しかも値段を、それも、まさか、私が、「1円の誤差もなく、
即座に110円と言ったことが、つまり、110円などと言うあまりあり得ない
数字を即答したので、びっくりしたらしい。」
母は、本当に感心しきりだった。

その日以来、私は卒業したのか?母は私に対して「これいくらだったと思う?
遊び」を,一度もしなくなった。


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2020.10.04  「痛風」等の現代病に付いてに、思うこと。

昨日、生意気ながら、私は、食物関係の学者でも何でもないのに、偉そうに
自分の考えを、披瀝した。それを下に再掲する。

「人間が誕生して700万年。
木の上で、葉っぱや木の実を食べていた。
木から降りて、やがて火を自分たちで起こす様になったのが46億年前。
つまり、火と出会う前の650万年程の間、人間は煮炊など出来なかった。
葉っぱや木の実、雑草や、地下茎など、生のものを齧っていた。
その長い期間のDNAが厳としてある。
それに比べて、煮炊を始めてからの期間は、僅かである。
つまり、生のものを食べるのは、我々にとって当たり前のことである。
と言うよりも、むしろ、なるべく手を加えない生(キ)のものを摂取するのが、
本来、一番良いのではないかとさえ思える.。
そんなことから、「生野菜は身体に良くない」という説には、組みすることが
出来ない私である。」

その時、もう1つ,一言述べたかったことがある。
しかし、学者でもないものが、偉そうに言い過ぎるのはいけないと思って、止めた。
しかし、この際なので、昨日の続きとして、書いてしまいたいと思った。

それは、「痛風」のこと。「痛風」は、貴族病とも贅沢病ともいわれる。
昔、ヨーロッパでは、王族、貴族などが、お抱えの料理人に、何日も煮込んだ
手の込んだ、いわゆる味覚を追求した料理を作らせた結果、肉などのたんぱく質
の組成が、変化をきたして、自然界には無い組成に変わってしまったものになり、
それらを、競って身体に取り入れてしまったからではないかと聞いたことがある。

今の時代、わざわざ自宅に料理人を雇って、数日かかる様な豪華な料理を作らせる
様な、豪族は居なくなったかも知れないが、それでも、我々の目の届かない所で、
商業主義に乗って美味が追求されて、同じ様なことが行われた結果、特別美味だと
言うふれこみで、豪華なものが、出回っている様に思える。
もっと美味しく、もっと美味しくとするのは、自然界から考えると異常と思われる。
肉などは、おいしい肉は、塩胡椒だけが一番美味しいとも言われるが、私も全く
そう思う。

暴飲、暴食、高蛋白、高栄養などの習慣に加えて、行き過ぎた、味の追求が、
身体を悪くし、貴族が掛かる病気とまで言われた「痛風」等と言う、昔であれば、
一般人の我々が掛らない筈の病気を、庶民の病気としてしまったと思われる。

まだまだ若い芸能人が、昔なら、功成り名を遂げたご隠居さんが食べる様な
贅沢なものを食べて、蘊蓄を垂れているのを聞くのは、私がひねくれている
のかもしれないが、聞いているこちらが恥ずかしくなる。
そんな若い世代が、はや痛風だとか言っているのを聞くと、複雑なものを感じる。
もし、私が親ならば、頬を張り(飛ばさないまでも)、「100年早いんだよ!」
と言うだろう。

昔、我々のご先祖様のされていた様に、木の葉や木の実、草の地下茎などを齧る
生活を、そのまま実行しないまでも、ご先祖様が辿られた歴史,つまり今の
野生動物がまさにそうである様に、飢餓と危険と闘って生き延びて来た歴史を、
我々は忘れてはいけないと思っている。
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201003 又々美味しい芋ご飯,そして、生野菜のこと。

今日も美味しい、芋ご飯を食べられた、
今回の芋ご飯の、美味しさの原因は?と考えた時、
うっかり火を強くして、お焦げを作ってしまったことではないかと思う。
つまり、べちゃべちゃのご飯で無かったことが、ホックリとした栗の様な芋に
仕上がったのではないだろうか。
次回からも、芋ご飯のときは、火を強めにして、一気に炊こうと思っている。



(夕食)
芋ごはん、海老の青紫蘇入りマヨネーズ和え、ほうれん草の柚子胡椒合え、
水茄子とトマトのドレッシング和え、梅酒。

今日も感動の美味しい夕食だった。
「海老の青紫蘇入りマヨネーズ和え」が、美味だった。
そして、好物の「ほうれん草の柚子胡椒合え」は、もちろん、「水茄子とトマト
とたまねぎ」を、フレンチドレッシングで合えたものがとても美味しかった。
これは、ごはんのおかずとして,どうなのと言われそうだが、私は、おかずとして、
とても美味しかった。
これは、フレンチドレッシングへの慣れかも知れない。

「生野菜は身体に良くない」と言う様なことを言われる人が居るけれど、私は
そう思わない。

人間が誕生して700万年。
木の上で、葉っぱや木の実を食べていた。
木から降りて、やがて火を自分たちで起こす様になったのが46億年前。
つまり、火と出会う前の650万年程の間、人間は煮炊など出来なかった。
葉っぱや木の実、雑草や、地下茎など、生のものを齧っていた。
その長い期間のDNAが厳としてある。
それに比べて、煮炊を始めてからの期間は、僅かである。
つまり、生のものを食べるのは、我々にとって当たり前のことである。
と言うよりも、むしろ、なるべく手を加えない生(キ)のものを摂取するのが、
本来、一番良いのではないかとさえ思える。

そんなことから、「生野菜は身体に良くない」という説には、組みすることが
出来ない私である。
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2020.10.02 芋ご飯が美味しい。

さつまいもで、芋ご飯を作ろうと思った。
私は、栗ごはんが大好きだったが、もう自分で栗を剥くのは止めようと思った。
以前、栗剥き用の道具を持っていたが、この栗剥き器の刃物が、鋭利で、少し
危険な感じがしていたので、こちらへ転居する時、思い切って捨てて来た。

私は、芋ご飯も結構好きなので、芋ご飯で代用しようと思い、昨日安納芋を買って来た。

今日、外出する前に、チタン鍋に、お米2合入れて、水加減して、昆布を漬けておいた。
帰宅後、お米の中に、あの可愛いさつまいもをどんどん切って入れた。
小さいので、可愛い輪切りになった。

帰宅後、それを炊いたら、すぐに出来上がった。一口味見すると、抜群に美味しい。



(夕食)
芋ご飯、川津海老の塩茹(マヨネーズ添え)、ほうれん草柚子胡椒合え、
味噌汁(川津海老の茹で汁で作る。水菜、えのき),梅酒

まあ、この芋ご飯の美味しいこと、美味しいこと。
何故か、香りが、まるで栗ご飯そのもの、不思議だな〜と思いつつ食べた。
味も、まるで栗だったので、益々感激した。
もしかして、栗と芋は、親戚だったかしら?
いや、それはない。
木の上に成るものと、土の中に育つもの。これが同種の筈が無い。
なのに、香りといい、味までも、え?栗だっけ?と思う様な美味しさ。
嬉しい満足感があった。
これは、安納芋と言う、芋の美味しさから来ているのかも知れない。

その上、ほうれん草の柚子胡椒合えが、なんとも合うこと。合うこと。
これからは、芋ご飯には、必ず、ほうれん草の柚子胡椒和えが必須だと思った。

余りに、芋ご飯が美味しいので、ご飯だけで(丼一杯)お腹一杯になり、
久しぶりだった好物の川津海老も、5匹ぐらいしか、食べられなかったが、
充分満足した秋の夕べであった。
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