【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

句集『肥後の城』を読む

2022年12月30日 08時51分01秒 | 第二句集『肥後の城』

永田満徳第二句集『肥後の城』を読む

―傷つきし郷土の詩(うた)としての俳句―

                     寺澤 始

 永田満徳さんの第二句集『肥後の城』は、郷土色豊かな句集である。黒を基調とした熊本城をモティーフとした瀟洒で渋いカバーがまず印象的だ。私も平成八(一九九六)年から十二年、熊本に住み、美しい熊本城の見えるこの街の風景を愛した。

永田さんは、私を俳句の世界に導いてくれた大恩人であり、『火神』と『未来図』の先輩でもある。熊本城周辺を共に吟行したり、句座を共にしたり、共に飲んでは文学論を語ったりしたことなども今では懐かしい想い出だ。

本句集は「城下町」「肥後の城」「花の城」「大阿蘇」の四部構成からなっている。どの章のタイトルも熊本を強く意識したものだ。句集最初の方、「城下町」からの一句、

水俣やただあをあをと初夏の海

 水俣の海は、たいへん豊かで美しい。しかし誰もが知っているように水俣の海は、公害に苦しめられた悲劇の歴史を持つ。日本の高度経済成長とともに苦しみの歴史を負った〈水俣〉の地名と〈あをあをと〉輝くばかりの〈初夏の海〉の対比が、一句に重みを与え、詩としての深みを増す。これは後程書くが、熊本地震や九州豪雨の句とも共通するいわば、「傷つきし郷土の詩(うた)」なのである。

  月光や阿蘇のそこひの千枚田

 阿蘇の美しさを見事に詠んだ一句。阿蘇に行ったことのある人なら誰もが心の中に思い浮かべる風景だ。〈月光〉と〈そこひ〉の取り合わせが静謐さを駆り立てる。

  衣擦れのして運ばるる夏料理

 何という風流な雰囲気の句だろう。郷土の食材をふんだんに使った夏料理が衣擦れの音とともに運ばれてくる。永田さんの句集を読むと、熊本の美しい風景が自然と心の中に蘇ってくる。阿蘇の雄大な自然、水俣や天草の青々とした海、それは長年に亙り、人々や自然を包み込み、郷土の文化や歴史を養ってきた雄渾な原風景である。しかし、そんな美しい自然の風景もただ美しいだけでは済まされない。平成二十八(二〇一六)年四月十四日と十六日、震度七の熊本地震が発生し、大きな被害をもたらし、熊本城も崩壊。永田さんも被災者となる。私自身、地震の後、何度か熊本を訪れた。長年慣れ親しんだ風景が、失われているのを見て愕然としたことを覚えている。

  曲りても曲りても花肥後の城

 「肥後の城」より。この句はおそらく震災前の句であろう。熊本城は桜の名所である。私も地震の前年とさらにその翌年、息子を連れて熊本城を訪れた。特に震災後に訪れた時は、石垣は大きく崩れ、城のあちこちが激しく破損していたが、桜の花が昔と変わらずとても眩しかったのを覚えている。

  こんなにもおにぎり丸し春の地震

 同じく「肥後の城」より「熊本地震 十四句」の中の最初の一句。避難所で配給された〈おにぎり〉であろうか。その丸さにしみじみと感じ入るところに永田さんの被災者となった不安な思いを読み取ることができる。

  「負けんばい」の貼紙ふえて夏近し

  新緑や湯に流したる地震の垢

  骨といふ骨の響くや朱夏の地震

  本震のあとの空白夏つばめ

こちらも「熊本地震 十四句」から。これらの句は、俳句であると同時に、熊本地震の被害を伝えるルポルタージュ的な意味を持つだろう。鴨長明の『方丈記』が、地震や災害の被害を伝えるルポルタージュであったように。俳人が当事者として、熊本地震をどのように捉えたかというところに大きな意味がある。たとえば〈骨といふ骨の響くや朱夏の地震〉は、地震の恐怖を実感として生々しくリアルに伝えている。また、〈本震のあとの空白夏つばめ〉は、〈夏つばめ〉に一縷の希望を託した。

  復興の五十万都市初日差す

熊本の町は徐々に復興の兆しを見せていくが、自然は人間に対して、またしても容赦なく牙を剥く。令和二(二〇二〇)年七月、九州地方をひどい豪雨が襲う。

 一夜にて全市水没梅雨激し

 出水川高さ誇りし橋流る

 梅雨出水避難の底にぬひぐるみ

むごかぞと兄の一言梅雨出水

衝撃的な実感の籠った句群である。〈出水川〉の句には、「※高校の通学路であった『西瀬橋』」との注がある。この豪雨では、球磨川が氾濫し、永田さんの故郷である人吉市も甚大な被害を受けた。傷ついた故郷を目にすることは、どんなにか辛い思いだったことだろう。

第一句集『寒祭』以降の平成二十四(二〇一二)年から本句集が出る令和三(二〇二一)年までの十年足らずの間に、永田さんは「熊本地震」と「令和二年七月九州豪雨」という二つの大きな災害を経験している。

 城といひ花といひ皆闇を負ふ

水俣・阿蘇・球磨川…どんな美しい故郷の風景にも、人々の悲しみや苦しみの歴史がある。

 天高し浦に潜伏キリシタン

天草も然り、キリシタン弾圧の歴史がある。永田さんの第一句集には自分自身を見つめた句があり、自身の「闇」をしかりと見つめていたことが分かる。物事には、「光」があれば「闇」がある。今、放送されている朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある」という黍之丞のセリフが度々登場するが、まさに永田さんの俳句は、「暗闇でしか詠めぬ俳句」なのであろう。人生の暗闇や災害の歴史、悲しみの歴史という暗闇に光を当てることで、見えてくる美しい故郷の風景や思いというものがある。永田さんの『肥後の城』には、そんな傷つきし郷土を見つめる優しい眼差しと詩情がある。だから単なる叙景にとどまらず、大自然の中で、あるいは風土の中で、懸命に生きようとする人間の姿がある。

また、永田さんの句には、「鯉」や「鯰」などの生き物を優しく見つめた句が多いのも特徴だ。

最後に共鳴句を十二句あげて筆を擱くこととする。

 冬籠あれこれ繋ぐコンセント

 花筏鯉の尾鰭に崩れけり

 蝌蚪生まるどれがおのれか分かぬまま

 居住地が震源地なる夜長かな

 灯を点けて常の机や漱石忌

 春昼やぬるんぬるんと鯉の群

 ひたひたと闇の満ちくる螢かな

 白鷺のおのれの影に歩み入る

 この町を支へし瓦礫冴返る

 時に住む時計店主や鳥渡る

 ひとしきりけむりて阿蘇の山眠る

 大鯰口よりおうと浮かびけり

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 「俳句界」2022年11月号「注目の句集=『肥後の城』

2022年10月23日 13時21分00秒 | 第二句集『肥後の城』
第二句集『肥後の城』よりお知らせ!
 
〜「ピックアップ 注目の句集」〜
 
◉月刊『俳句界』11月号に「ピックアップ 注目の句集」として取り上げられました。
◉お忙しい中に、ご3名の方にお書き頂き感謝申し上げます。
 
〔内容〕
ピックアップ注目の句集『肥後の城』
■1頁: 自選5句と顔写真(104p)
■1頁: エッセイ「句集を語る」(105p)
■4頁: 岸本尚毅 氏(106p〜109p)
『肥後の城』句集鑑賞(総論) 
■1頁: 仲寒蟬 氏(110p)
『肥後の城』一句鑑賞 その1
■1頁: 堀田季可 氏(111p)
『肥後の城』一句鑑賞 その2
 
◉また、編集後記では
「ピックアップ『肥後の城』」に
触れて頂きました。
「注目の句集」では、永田
満徳先生の『肥後の城』が
ピックアップとなった。本
誌の編集・校正をする中で、
句集に収められた作品に加
え、序文やあとがきを読む
ことも多い。それらを含め
句集には郷土、ご自身の住
む土地への愛が溢れていて、
『肥後の城』もまた例外で
はない。故郷熊本の「二つ
の大災害を悼む句集」とあ
とがきに書かれている。一
句一句噛みしめて頂ければ
と思う。私は改めて自らに
郷土への愛を問いかけたと
き、国道を車で走りながら
見た上毛三山を思い浮かべ
る。
(編集・伊藤友紀恵)
 
※お読み頂ければ幸いです。
毎月25日発売/A5判/定価1,000円
 
画像:「俳句界」11月号


 
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自在なオノマトペ ~句集『肥後の城』を読む~

2022年08月12日 21時07分48秒 | 第二句集『肥後の城』

自在なオノマトペ ~句集『肥後の城』を読む~

 

                      金田佳子

 

 コロナがちょっと収まっていた去年の十一月、小さな旅に出た。帰り、八代駅から電車に乗るとどんどん暗くなり、大きな丸い月まで出てきた。思わずこの句が浮かんだ。

  通勤車月の出づれば旅となる

 永田満徳さんの第一句集『寒祭』のなかの句である。

 永田さんの句は、こんな風にふと頭に浮かんでくる。今度の第二句集『肥後の城』でも、避難所の炊出しのおにぎりを詠まれた

 こんなにもおにぎり丸し春の地震

 三角のおにぎりを見るとつい口ずさみ、地震の時のいろいろを思い出す。かたつむりを見れば、たとえその時じっとしていても

  かたつむりなにがなんでもゆくつもり

 という具合だ。ふと口ずさみ愛唱するというのは、間違いなく私にとって名句である。

 さて、そんなことを思いながら『肥後の城』を読み返した。すると今度はオノマトペが気になった。抜き出してみよう。

 城下町   なし

 肥後の城  ぽたり、だりだり、ごろんごろん、とろり

 花の城   どさり、ぬるんぬるん、ひたひた、ぼこぼこ、

       しゃりしゃり、ぱっくり、ぱんぱん       

 大阿蘇   とんとん、ぐらぐらぐんぐん、もぞもぞ、ゆったり、じっくり、ぽたんぽたん              

 独特なのは、「だりだり」くらいで、他は普通のオノマトペなのに句の中にあると印象鮮明、途端に句が生き生きとする。うまい。動詞や形容詞、形容動詞で説明されるよりずっと体感する。例えば、

  助手席の西瓜のごろんごろんかな

 これで車がカーブの多い道を走っていることがわかる。

  天草のとろりと暮れぬ濁り酒

 濃密な日暮れの時間ととろりと濁る酒。

  制服をどさりと脱ぐや卒業子

 どさり、という言葉に制服の重さだけを思う人はいないだろう。

  ぐらぐらとぐんぐんとゆく亀の子よ

 孵ったばかりの海亀の子だろう。はじめは覚束ない足取りだったのが海へ向かって砂浜を一心に進んで行く。ぐんぐんと進んで行く。上空では鳥が旋回しながら狙っている。早く早く!そんな気持ちになった。

 『肥後の城』は、私にとってオノマトペの可能性を感じた句集だった。

 ところで、永田さんは国際俳句にも力を入れていらっしゃるが、これは外国語に訳せるのだろうか?

 

 

 

                        

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「震度が伝わる一冊」

2022年06月16日 11時33分00秒 | 第二句集『肥後の城』
「震度が伝わる一冊」

 鑑賞を始めたら、止まらなくなる作品がある。
 一気に読んでしまう。一気に観てしまう。
 一気に聴いてしまう。

 引き込まれるような世界観がある場合のみ、
 そのような現象が起きたりするのだと思う。

 もちろん制作サイドの苦心の現れが、
 そこにはある。

 楽しんで欲しい。
 という意図がなければなかなか難しいことだ。
 
 梅雨の最中、一冊の句集がポストに落ちた。
 遠く九州から届いたそれは湿り気を帯びて、
 長旅をしてきた様子が見て取れた。

 まずは労い撫でるような気持ちで封を切った。

 装丁の重厚さに多少中身に気が重くなる。
 難解な俳句作品がどっさりなのか?
 という陰鬱さは、一句目で吹き飛んだ。

 自身の重い肩の荷を降ろした作者の安堵から、
 物語が始まるからだ。

 何気ない日常から切り離されたこの数年間。
 梅雨入りと共に不安になる気象災害。
 また頻発する地震災害。
 そして、疫病の蔓延。

 そんななかでも日常的な喪や生は営まれる現実。

 また瓦礫のなかに希望を見出しながらそこで生きる。
 そんな作者の姿が生々しく見て取れる。
 ドキュメンタリー映画を観たようだった。

 俳句を全く知らない人にも多分すんなり入る。
 物語として秀逸だからだ。

 また、俳句に捉われて創作に難を来している人には、
 あゝこうやっていいんだ。という視点をくれる。

 つまり、読後感の佳い「本」なのである。
 幼少期より本の虫であった私は、
 かなり「本」を選ぶのだが本日のヒット作!
 としてご紹介したい。

 こういった想いに駆られるのは、
 昨今なかったことなのでここにご紹介したい。

 修学旅行を思い出し、また足を運びたくもなる。

 永田満徳著「肥後の城」文學の森出版

   梅雨のなかで読んでも爽やかである。
   梅雨のなかだからこそ、かも知れない。

          一気に心に風が吹いた。

    流通はAmazonオンラインにて。
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「軟鉄」の句集『肥後の城』  ~『肥後の城』を読んで~

2022年05月14日 20時47分51秒 | 第二句集『肥後の城』

「軟鉄」の句集『肥後の城』

 ~『肥後の城』を読んで~

                          牛村 蘇山

 待ちに待った永田満徳さんの第二句集が出た。第一句集『寒祭』の上梓(平成二十四年)から十年。このたび『寒祭』を読み返し、『肥後の城』の世界に浸った。十年の歳月は満徳句をさらに磨き上げ、豊饒な世界を築かせていった。十七音の響きとリズム。『寒祭』を硬度の高い鋼(はがね)に例えるなら『肥後の城』は同じ鋼でも柔軟性に富んだしなやかな「軟鉄」といえようか。

 第二句集の出版計画が輪郭を整え始めたころ、思いも寄らぬ事態が起きた。肥後の大地を襲った平成二十八年四月の大地震だった。そして令和二年七月に球磨地域で発生した大水害。人吉市は満徳さんの生れ故郷だった。

 句集の顔を眺めよう。淡いブルーの「寒祭」の表紙。これに対し『肥後の城』は黒。熊本城はすっくと立っているが闇夜に孤立しているように見える。表紙からは大地震と水災害への哀悼と鎮魂の鐘が低く長く鳴り響いている。

        ☆

 大地震の年、私が東京から熊本を訪ねたのは地震からちょうど半年後の十月中旬であった。熊本空港に迎えに来た友人と空港からそのまま益城町へ直行した。地震から半年たっても町の姿は痛々しく目を覆うばかりの有様。かつてゴルフ帰りなどに立ち寄った静かな町並みは跡形もなく消え去っていた。

  骨といふ骨の響くや朱夏の地震

この上五・中七の措辞が地震の凄まじさをなによりも的確に詠み切っている。俳句の記録性という観点からも脳裏から離れない一句である。平成七年一月の阪神・淡路大震災の時は発生から一週間後に神戸、平成二十三年三月の東日本大震災の時は一か月後に福島のそれぞれの地を訪れた。その時の変わり果てた地域の光景と益城町の姿が重なった。

 阪神・淡路大震災を先人はこう詠んだ。印象深い句である。

  寒暁や生きてゐし声身を出づる 桂 信子

  国一つたたきつぶして寒のなゐ 安東次男

 また、東日本大震災ではかく詠まれた。

  四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と 高野ムツオ

  地震の闇百足となりて歩むべし  〃

 満徳句はこれら先人たちの句に対峙するとき作句精神において、語彙の選抜において一歩も遅れをとらない出来栄えを見せる。 

       ☆

 益城町の中心にできた「復興市場」に足を運んだ。市場の売り場に立つ女性たちと言葉を交わす機会があった。驚くほどよく通る声で話され、表情はきりりとしまり、笑顔も溢れとても頼もしく映った。

  「負けんばい」の貼紙ふえて夏近し

 市場の女性たちの立ち振る舞いはみな「負けんばい」だった。市場の建物全体から「負けんばい」が漲っていた。

 益城町から熊本市内へ。すぐに熊本城に向かった。想像を絶する壊れようだった。胸を締め付けられる惨状だった。熊本在勤時(平成八年~十一年)は毎日見上げた天守閣。美しい曲線を描く石垣や塀。哀しい崩れ方だった。

  曲りても曲がりても花肥後の城

  石垣のむかう石垣花の城

 花に囲まれ美しく気品溢れる熊本城をこう詠まれたが、わずか数日の大地震が城郭を激変させた。

  石垣の崩れなだるる暑さかな

 変わり果てたわが姿に驚き、炎暑に耐える気構えさえ失った石垣の心を詠んでいる。

  あれこれと震度を語る芒種かな

  体感で当つる震度や夜半の月

凄まじく揺れ動いた大地。震度に過敏になってしまった肥後の人々の姿がここにある。

        ☆

 記録性にも富んだ満徳句。故郷人吉の球磨川氾濫の惨状をこうとらえている。

  一夜にて全市水没梅雨激し

 むごかぞと兄の一言梅雨出水

  梅雨出水避難の床にぬひぐるみ

  出水川高さ誇りし橋流る

 熊本在勤時代。鮎釣りによく出かけた清流球磨川。水量に恵まれ、水は澄んで冷たい。延々と続く両岸の緑。その背後の山々から吹き抜けて来る緑の風。この宝石のような球磨川が豪雨で一転して猛り狂い、護岸を切り崩して氾濫。全市を水没させた。「むごかぞ」の兄上の言葉。この氾濫を「むごかぞ」の一言が人吉市の悲傷を象徴している。流された橋は天狗橋だろうか。それとも西瀬橋だろうか。

 当稿執筆している令和四年五月の人吉市。水害からの復旧作業をあらかた終えたのだろうか。気がかりである。

 鴨長明「方丈記」を読み返した。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」この有名な序章が終わると、天変地異に見舞われた京の都の惨状描写にうつる。大風で倒壊した多くの塔頭や民家。餓死・疫病。鴨川の河原や路地に打ち捨てられた夥しい遺体。長明の筆は見聞し、情報を集めては記録してゆく。歌人であり随筆家でありドキュメンタリー作家だったのである。

 満徳さんの『肥後の城』は熊本地震と人吉水害をコアに据えた句集である。当初の出版計画には予想だにしなかったテーマの出現だったといえよう。熊本の地でこのように真っ向から熊本地震と人吉水害を詠んで編んだ個人句集はまだ無いと仄聞している。『方丈記』とつながる水脈を強く感じる。

 今後「肥後の城」を追いかけるように熊本地震・人吉水害を詠みこんだ句集が登場するにちがいない。そうだとしたら熊本文学史にとって『肥後の城』はその嚆矢となる貴重な句集の登壇といえよう。

       ☆

 私は第一句集『寒祭』の栞文を書かせていただいた。その中で満徳さんに「熊本の自然を、阿蘇をとことん詠んで」と頼んだ。

 約束とおり阿蘇の秀句がふんだんに顔を見せる。句集の表紙にある一句。

  阿蘇越ゆる春満月を迎へけり

 春の宵。阿蘇五岳が悠然と座して、広い裾野の人家は水を打ったように雍容として満月の出を待っている。愈々月の出。阿蘇の春夜は肌寒いが美しい満月の感動がかき消してくれる。漱石の小説か漢詩に出くわしたような別乾坤の空間である。満徳句の範疇を超えて阿蘇句の秀吟といえよう。感動の一句である。

 私も熊本生活を終えて東京に帰還してからも熊本を訪ね続けている。阿蘇はずいぶん訪ねた。そのたびに勇壮で人懐っこい阿蘇の表情が好きになっていった。裾野の大カルデラ内には五岳を囲んで阿蘇市、高森町、南阿蘇村がある。鉄道が走り、温泉が湧き、観光スポットが随所にある。湧き水がおいしく、酒も旨い。

  大阿蘇の地霊鎮める泉かな

  大阿蘇は神のふところ青田波

 阿蘇の夏である。地霊・神のふところ。夏雲を従えて神々しく裾野を広げる姿がある。

  コスモスや阿蘇からの風吹くばかり

  阿蘇五岳まず野分雲懸かりけり

 秋の阿蘇はコスモスの集団がここかしこに揺れ動く。夏の喧騒のひと時が去り、少し寂しげな阿蘇の顔。阿蘇の野分雲は残念ながらまだ拝見したことがないがさぞや独特の天地の趣を見せるにちがいない。

  食前酒かつ月見酒阿蘇の宿

 阿蘇の月見。このあたりの世界となると東京から孫悟空の觔斗雲(きんとうん)に乗って月見の宴に駆け付けたくなる。

やがて冬。

  冬麗のどこから見ても阿蘇五岳

  阿蘇見ゆる丘まで歩く師走かな

  寒日和窓てふ窓に阿蘇五岳

  ひとしきり煙りて阿蘇の山眠る 

 満徳さんの師・首藤基澄先生が愛された阿蘇。その阿蘇句で編まれた句集『阿蘇百韻』。先生の句集『己身』『火芯』『魄飛雨(はこびあめ)』からの抄出句集である。

  きれぎれに思惟の飛ぶごと野火の煤(『己身』)

  阿蘇谷の田毎の煙半夏生     ( 〃 )

  転身の夢遂げて白独活の花    (『火芯』)

  山雨に根子岳奪られ山女焼く   ( 〃 )

  肥の国の山の滴り辿り行く    (『魄飛雨』)

  漱石の笑ふ阿蘇の温泉百日紅    ( 〃  )

 魂の翼を阿蘇の天地自在に滑空させた先生の百韻。満徳阿蘇句は首藤先生の百韻エキスを存分に滋養として詠んだ。

   ☆

 さて。

熊本地震・人吉水害・阿蘇へと筆を進めてきたが、満徳さんのユーモア句を見逃すわけにはいかない。

  いがぐりの落ちてやんちやに散らばりぬ

  助手席の西瓜ごろんごろんかな

  かたつむりなにがなんでもゆくつもり

  さみだれの音だりだりとわが書斎

  荒梅雨や呵呵大笑の喉仏

  あぶれ蚊の寄る弁慶の泣きどころ

 『肥後の城』には随所にユーモア句がちりばめられている。この句集の懐の奥深さを感じる。

立秋やどの神となく手を合はす

 八百万の神々。細かなことは脇に置いといてまず神様に手を合わす。なんという日本人論句だろうか。ユーモア句であり、深いため息をもたらす一句である。

  日本てふ平たきものよ餅を食ぶ

『寒祭』にある一句である。この列島に肩を寄せ合って暮らす島国人を詠んだ秀句であろう。

 まだまだ触れたい感動句はたくさんあるがこのあたりで擱筆としたい。

 満徳さんの分厚くなってゆく俳人としての力量。さらなるご健吟と後進指導を願ってやまない。  

 

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