横浜の伊勢佐木町に、牛鍋の老舗「じゃのめ」さんと「荒井屋」さんがあります。しかし、もっと前の明治初期に東京都港区三田で、牛鍋屋さんの多店舗展開していたお店がありました。本書では、その話について記述されていましたので、ご紹介いたします。
97ページ その人物の名は、木村荘平(1840 (天保11)年から1906 (明治39)年)、時代が彼に名付けた名前は「いろは大王」である。
明治時代、東京に「いろは」という牛鍋屋があり、これのオーナーが木村荘平である。牛鍋屋「いろは」は、最盛期(明治30年代、1900年代)には20店舗を超えたということであるから、当時としては、わが国最大のチェーンレストランであった。いや、管見の限り、当時、欧米でこのような同一ブランド同一オーナーによる多数店舗の運営があったようには思われない。牛鍋屋「いろは」は、おそらく当時、世界で最初にして随一のチェーンレストランであった。(つづく)
97ページ その人物の名は、木村荘平(1840 (天保11)年から1906 (明治39)年)、時代が彼に名付けた名前は「いろは大王」である。
明治時代、東京に「いろは」という牛鍋屋があり、これのオーナーが木村荘平である。牛鍋屋「いろは」は、最盛期(明治30年代、1900年代)には20店舗を超えたということであるから、当時としては、わが国最大のチェーンレストランであった。いや、管見の限り、当時、欧米でこのような同一ブランド同一オーナーによる多数店舗の運営があったようには思われない。牛鍋屋「いろは」は、おそらく当時、世界で最初にして随一のチェーンレストランであった。(つづく)